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錦秋の京都旅「宇治橋と紫式部像」


皆様は乃木希典をご存知でしょうか。

私が彼を初めて知ったのは国語の教科書に載っていた夏目漱石の小説「こころ」になります。明治天皇のあとを追って殉死した軍人です。アイドル好きの方なら乃木坂46が彼を知るキッカケになっているのかもしれません。

最初、私は乃木大将が明治天皇に心酔していたと考えていました。通っていた学校が天皇制に否定的で戦前の日本はカルト国家だったと熱心に教えていたからです。公立校なのにヒドく偏った思想の押し付けですよホントもう。ただ小説でも西南戦争での失態が原因ではないかとか、理由はよくわからないという記述が見られたので疑問に思うことはありませんでした。

先日放送されたNHK『坂の上の雲』日露戦争のシーン。

それを観た私はこれまでの認識を疑い始めました。明治天皇崩御はただのキッカケに過ぎなかったのでは。ずっと前から死に場所を求めていたのではないのかと。もし遺書に書かれていた通りに西南戦争での失態が自刃の理由であるとするならば妻を巻き込む必要はまったくありません。一人で死を選んでいたはず。また、死ぬことで主君のために忠義を示す殉死は第四代将軍の徳川家綱以降に禁止された風習でありそれから数百年の時を経ています。例えるなら令和の時代に切腹をするようなものです。


旅順攻囲戦で多くの将兵を失ったこと
二人の息子を戦死させたこと


この二つが生きる意味を失わせたのではないかと私は考えました。辞世の句や遺書で日露戦争の言及をしなかったのは戦勝気分に浸る日本国民と戦友に水を差したくなかったからと見ることができます。ロシアの脅威は去ったものの欧米列強の覇権主義は未だアジアに向いていました。チームスポーツがまさにそうであるように後ろ向きの発言は味方の戦意を大きく損ねます。死してなお武人でありたい。だから日露戦争のことを伏せて西南戦争に置き換えたではないかと。遺書は人の手で書かれたものである以上、方便の嘘も勿論ありえます。

勝っても負けても人を狂わせる戦争。日露戦争に勝利した日本はのちに泥沼の戦いに身を投じます。その日本に勝ったアメリカはベトナム戦争で敗者となりました。武器を売って利益を得た商人たちも同様です。彼らは大きな富を得る代わりに大きな名誉を失っています。彼らを尊敬する人間は誰もいません。争いは誰も得をしないんです。

表に出ていない乃木希典の心情を夏目漱石が察していたかどうかはまさに本人のみぞ知るところですが、全国各地にある日露戦争の慰霊碑を見るたび私は痛感します。そこに住んでいた青年たちは見知らぬ大地で死にました。遺族の悲しみを背負うため、息子たちの弔いのために乃木大将夫妻は刃を己に突き刺し責任を果たしたのかもしれません。私も大切な人を亡くし一つ生きる意味をなくしました。親より先に死なないことが一番の親孝行だと言われています。多くの人に迷惑をかけている身ではありますが、一生懸命生きることで誰かのために尽くしたいと考えています。

最近心の痛くなる作品『火の鳥』『リゼロ』ばかりを視聴していたのでつい重い話をしてしまいました。気を悪くされた方ごめんなさい。そろそろ旅に戻りますね。


前回は縣神社と橋姫神社の参拝をしました。

長い間お送りした宇治観光。今回で最終週となります。次の宇治は何年後だろう?実はわが町から宇治までは直線だと近くて自転車で行けない距離でもないんです。数カ月後にはもう再訪していたりしてね。


宇治のサムネ画像で恒例の「夢浮橋ひろば」と「紫式部像」でございます。

JR宇治駅から押し寄せてくる観光客の隙間時間にちょうど入り込めたので思う存分写真を撮ることができました。あとがきにも載せていますので良かったら御覧くださいませ。


1870年(明治三年)の洪水で流されれるまで宇治橋西詰に橋姫神社が祀られていました。

ひょっとしたらその場所って夢浮橋ひろば?


こちらは最初に橋姫神社が祀られていた三の間になります。

毎年10月初旬に宇治橋周辺で宇治茶まつりが開催され、豊臣秀吉が三の間から茶の水を汲み上げた故事に因み「名水汲み上げの儀」がここで実施されています。川の水を汲み上げる儀式といえば祇園祭の神用水清祓式も有名です。四条大橋から松原橋上流までの鴨川を「宮川」と呼ぶのは神聖な水であると考えられていたからです。鴨川納涼床の下に流れる「みそそぎ川」も祇園祭に由来したものなのでしょう。


なぜ三の間と呼ばれているのか?


二番目と三番目の橋脚の間に作られたから「三の間」と言われています。柱間が三つあるから三間社と呼ぶ神社建築と同じ理屈ですね。


予備の橋脚とかおまじないの類だと本気で思っていたほんの数年前。

橋脚を守るための杭だと知ったのはつい最近です。伊勢神宮の宇治橋だと杭の上に屋根がついているんですよね。威厳や見栄えのためでしょうか。建築の知識って義務教育では習いませんからいつも苦労します。


夢浮橋ひろばから眺める宇治橋の画像って巷にありふれているから、じゃあ逆側から見てやろうじゃないかと思って撮った写真です。

これはこれでアリな風景ですよね。


以上です。ご精読ありがとうございました。宇治観光はこれにておしまい。

さぁて次はどこへ行こう。宇治に行きたすぎてあとのことをまったく考えていなかった私。頭からっぽのまま京阪宇治駅へ向かうのでした。次回へ続きます。



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あとがき


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