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錦秋の京都旅「宇治川右岸エリアの寺社仏閣を巡る」


『M-1グランプリ2024』観ました。

大学お笑いサークル出身者が跋扈する中、最終決戦に割り込んだバッテリィズ大健闘でした。おバカ漫才は昭和の漫才ブームの時に流行った形式の一つです。現在主流になっている傾向と対策のロジカルなインテリ漫才に唯一対抗できるお笑いだと思うんですよ(錦鯉の長谷川さんとか)。ただ、バッテリィズって昨年の敗者復活戦と同じスタイルで変化がほとんどなく実体験を元にしているのかとても幅が狭い印象を持ちました。ファーストステージ一位になった偉人ネタを超えるのはなかなか厳しい気がします。まぁエースさんはキャラが立っていますので東京でもテレビのバラエティ番組で活躍できるでしょう。大手企業のCMオファーもありそうです。

次回の優勝候補は間違いなくエバースですね。来年に繋がる4位でした。M-1グランプリの予選と決勝はまったくの別モノだと言われています。漫才って二人のキャラクターを観客や審査員に認知させることが何よりも大事。最終決戦には残れなかったけれどエバースの漫才を多くの人が知ることとなりました。自己紹介は済んだので来年も決勝に進出さえすれば観客の多くがエバースの味方となるでしょう。

国民的行事となったM-1グランプリ。「審査員を審査するな」という声を最近よく聞きます。それは違うと思うんですよ。世界で一番権威のあるノーベル賞は全員に賞賛されているわけではありません。特に経済学賞と平和賞と文学賞は政治の思惑で決定されているのでほとんどの人はこの三つに否定的です。審査員の価値と賞の権威は等しいものでありお笑いは観客があってこそ成り立つエンターテイメントです。審査員が審査されたくないなら無観客無配信で仲間内でネタを見せ合えばいいんです。審査は後進を育てるという育成の面もあります。出場者が審査員に審査され、観客が審査員を審査することでその分野が大きく発展していくのです。

ただ今年のM-1グランプリは審査員への酷評の声がほとんど聞こえてきませんでした。大会前には「格が足りない」だとか「漫才師以外の人選も考慮せよ」などの否定的な意見が寄せられていました。ああだこうだ言われるのは仕方ない、と初めて審査員になったオードリー若林さんがオールナイトニッポンで覚悟を表明していましたが全ては杞憂となり炎上はほとんど見られませんでした。M-1グランプリ2024は全てにおいて大成功だったと言っていいと思います。

わたくし昨年は疲れて最終決戦を心底楽しめませんでした。なので今年は笑い疲れが起きないようCM中に本を読んだりしてクールダウンしながら視聴しました。優勝が決まり時計をみてビックリ。針が22時を指しているじゃありませんか。自分めっちゃ夢中やったんやって少し恥ずかしくなりましたよ。敗者復活戦が始まったのが15時でしたから七時間ガッツリ笑った計算になります。

連覇した令和ロマンなど言及していない決勝進出者の論評は長くなってしまうので他の人に任せます。2024年の締めにふさわしい神大会でした。ほっぺたがちょっと筋肉痛です。

それでは本題に参りますね。


京阪中書島駅から始まった新シリーズの第二回目。

宇治駅の駅舎を出たところから始めていきます。


私は大の『光る君へ』ファンと同時に京都ファンでもあります。

なので大河ドラマ展は見送ることにしました。なるべく多くの観光名所を巡るという目標がありましたので七年前に訪れた宇治市源氏物語ミュージアムもパスすることにしました。そもそもどちらもまだ朝早すぎて開いていないんですけどね。


なんとなく違和感のある長細いバスロータリーですよね。

実は元々宇治橋近くに駅舎があって1995年に線路を数百㍍後退させて新しい駅舎が作られました。乗客自身がJR奈良線を潜らなければいけなくなったため利便性が大変悪くなってしまったもののバスロータリーが作られたことにより交通渋滞が緩和されました。バスやタクシーが橋の出入り口の一車線分を塞いでいましたからね。


私にとっては七年ぶりの宇治橋の景色です。


増水したときに歩行者に知らせる電光掲示板でしょうか。


車道と歩道はこんな感じになっています。

宇治橋の歴史について今回は割愛します。またここに戻ってくるのでそのときに説明いたしますね。


日中ごった返す右岸のメイン通り。

午前七時台ということで観光客は本当に私しかいません。だがそれがいい。わたくし人混みや行列がホント苦手なんですよ。


宇治茶を売ってる宇治の宇治茶自動販売機です。

側面に書かれている「碾茶入り」の碾茶てんちゃとは、微粉末に加工する前の抹茶の原料のことです。普段我々が飲んでいる煎茶とは違う味わいを楽しむ事ができます。煎茶とほぼ同じ形状なので抽出方法はお湯出しや水出しになります。


道を間違えました。

北側に門が見当たらなかったので坂を下ります。メイン通りの府道247号線をそのまま進めば良かったんですね。


橋寺放生院です。

すでに開門されていました。この寺院一番の見どころである重要文化財「宇治橋断碑」は午前九時からです。見学料が必要となります。


さあ次はどこへ行こう。

地図アプリを開きスマホとにらめっこ。堂々と道端で立ち止まることができるのもずらし旅のいいところ。通勤する地元の人と時々すれ違うくらいで静寂そのものです。


立派な寺号標を発見しました。


正覚院さんです。

開運不動尊ということで交通安全祈願の寺院になります。宇治川の船乗りや奈良街道の旅人が安全を祈願していました。


旅の安全を祈り終えふたたび目的地へ向かっていたところ小さな祠が。

解説板があったので急遽立ち寄ることにしました。こちら末多武利神社になります。なぜ末多武利なのか。名の由来について調べてみたところ何もわかりませんでした。おそらく日本神話か大陸文化のどちらかの言葉なんでしょうね。ちなみにこのあたりの地名は「又振」となっていて神社由来となっております。


さてここで神社が建てられるキッカケになった怨念について少し考えてみたいと思います。

大河ドラマ『光る君へ』では刀伊の入寇で日本と九州の民を守ったのに朝廷から十分な恩賞を戴けなかった大宰権帥・藤原隆家。彼は兄の伊周のように道長一派を恨むことはせず九州の武士たちを労いこの世を達観していました。一方、関ヶ原の戦いで遅参した徳川家忠の如く「平将門の乱」征伐に間に合わなかった藤原忠文。恩賞を貰えなかったことに腹を立てて大納言の藤原実頼に怨念を抱きます。

隆家の器の大きさを評価すべきか。忠文の図々しい逆恨みと蔑むべきか。人それぞれ考えは異なるかと存じます。68歳の高齢なのに平将門追討の責任者にされたことには同情の余地がありますけれど武功を挙げていないのに褒美をもらおうとするなんてね。嘉賞に反対した大納言・藤原実頼の裁定が正しいと私は思いますよ。


ちなみに藤原の氏長者として村上天皇を支えていた藤原実頼。天皇の外戚になることができず藤原師輔もろすけに実権を奪われてしまいました。

そうです。

歴史に詳しい方ならすでにお気づきでしょう。悪霊民部卿こと藤原忠文の呪いのおかげで藤原の氏長者は師輔となり、子の兼家、孫の道長へと受け継がれ藤原北家は隆盛を極めることとなりました。結局のところ恨みを買わないのが一番お得ってことなんでしょうね。摩訶不思議な因果です。


宇治は平等院鳳凰堂だけじゃございません。歴史と魅力がたくさん転がっています。世界遺産だけを巡る旅ももちろん素敵ですよ。でも宇治の歴史を知るためにはそれだけじゃ全然物足りません。今回はマイナーだけれど見応えのある寺社仏閣を紹介致しました。

次回は七年前に訪れたあの場所へ再訪します。乞うご期待。



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あとがき


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