【hint.74】未来へのお手紙として
おはようございます。東京・吉祥寺を拠点として活動している、山田 鷹(やまだ たか)です。
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今日はなんだかとんでもない時間に目が覚めてしまい、もぞもぞと寝返りをうちながらもう一度寝ようとしたもののなかなか寝つけず、むしろ目が冴えてきてしまったので、ならばしょうがないと、すっかり起きてnoteを書こうではないかと、今こうしてパソコンのキーボードをカチャカチャとしているところなのです。
昨日のnoteでも書いたんだけれど、いま僕の中では大きく二つ、文章などのなんらかの形にしたい事柄が頭のなかにぐるぐるとしていて、それは「アドラー夏合宿」をきっかけに感じたことと、「大切な人がその命を終えた話」なんだけれども。
この二つについて、いまここで詳しく書こうとするのはなんだかちょっと違う気がするので、何かべつのことを、ね。
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「『こういうこと、この歳でも普通にあることだよな』ということを覚えておくといいんだろうな」ということを、昨日、駅の切符売り場で感じたんですね。
僕、電車に乗るときはSuicaを使っていて、そしていつも、なぜか決まって水曜日の帰り道、職場の最寄りの駅の切符販売機で、利用明細書を発行することがここ2年ほどの習慣になっていて。
昨日もそう、水曜日ですから、あっそうだそうだ、と切符販売機の前に立ったのですよ。
で、いつものように利用明細書を発行しようとしたのですけれども、手順を急に忘れてしまったんですね。
「あれっ?これどうやってたんだっけ?」という感じに。
僕は普段、こういう作業の方法を忘れてしまうことってそんなになくて。
ん〜、というよりも、もっと正確にいうとすると、久しぶりにやることだと、それはもちろんすぐには直線的な作業をすることができないこともたくさんあるんだけど、それは、自分の中でも、「まぁ久しぶりだからな〜」という感覚があって、その久しぶり感の強さと、直線的な作業内容の忘れ具合とがだいたい納得できる範囲で一致していることが多いといった感じでしょうか。
なので、何か作業をするという時に、そんなに驚くことはほぼないんですね。
だけど昨日はホント久々にびっくりしました。
「えっ?こんなに手順、忘れられるもんかね」と。
で、そこからなにを考えたかというと、この記事半ばの冒頭の『こういうこと、この歳でも普通にあることだよな』ということなんです。
これ、細かくいろいろと説明すると、とてもたくさん書かないといけないことになりそうなので、今回はさらっといきたいんですけどね。
なにが言いたいかというと、例えばこの現象が、50歳で同じく起こったとして、自分が同じように思えるかどうかってことなんですよ。
もしも50歳で同じことが起こったら、本当は今回と同じくただの「ど忘れ」をしただけなのに、「あれっ?最近おれ、忘れっぽくなったのかな?」って、必要以上にネガティブな反応をしてしまうことってあるんじゃないかと思うんですね。
いやもちろん、本当に忘れっぽくなっているってことも考えられるんですけど、そうではなくて単なる「ど忘れ」ってこともありますよね。
でも、不安を感じ、そこにとらわれ過ぎると、そこからいろんな「大変な状況」や「その大変さを裏付ける証拠」を次々と見つけることになって、自分で自分の状態を、どんどんと悪化させてしまうってこともあると思うんですよ。「悲観主義」ってやつですね。
そんなバカな、と感じるかもしれませんけれど、意外とこれ、けっこうあると思うんです。
いつでもどこでも「楽天主義」では困るけれども、「楽観主義」って、大事だと思うんです。
このnoteの記事は、僕がいつか、たとえば50歳になって読み返した時に、『あ、この歳でもこういうことあったんだな、自分』と、「楽観主義」に軸足を取り戻せるように、未来へのお手紙として書いてみました。