おめでとう、ありがとう。また会えますように。
ゴールデンウィーク中の2日間を使って、友人に会いに京都へ行ってきました。
(めっちゃ綺麗な街並みの写真とか貼ると思ったでしょ…酒だよ酒!!)
今の時代は便利です。(と、言いつつこの便利な時代しか私は知らないのだけれども。)会おうと思えばすぐに連絡がつき、直前に予定立てるのでもある程度どうにかなってしまう。
Facebookを使えば探したい人はすぐ見つかって、LINEとかMessengerで連絡もつく。
ただ、それだけで会えた様な気がしてしまうのも最近よくあるな、と思っています。会えなくても話せるし、楽しいし。
誰かとLINEをするたび、「この人に次会うのっていつだろう」と思っています。
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またどこかで会えますように。
以前私がFacebookのコメントで、サークルの先輩にもらった言葉です。
社会人なりたての4月生まれで、つい数日前まで同じサークルで練習をしていたその先輩へ投稿した「お誕生日おめでとうございます!社会人どうですか?」というメッセージへの返信でした。
「ありがとう、大変だけど頑張っているよ。ぼるけーのちゃんも頑張ってね。またどこかで会えますように。」
通知を開いてこのコメントを読んだ時、なんだか心の中でどこかが凍る様な、スッと何かが抜け落ちる様な感覚がしたのをとてもよく覚えています。
あぁ、そうか。この先輩は卒業してしまって、サークル以外の接点がなくて、きっともう会わないんだな。
どんなに素敵で可愛くて大好きな先輩でも、私もたぶんわざわざ「会いたい」とメッセージを送ることもないんだろうな。
あえて言葉にするのであればそんな感情。
他の先輩や友人が「元気?また会おうね!」みたいな返信をくれる中、「またどこかで会えますように。」という、確実に線を引いた様な表現であったその先輩の言葉は冷たかったのか、それともきっともう会わないという予感に対して上っ面の「また会おうね!」ではない祈りの様なものを込めた温かさがあったのか、その真意こそわからなかったものの、私はその時純粋に「さみしいな」と感じました。
私は基本人に対する感情が薄く(略して薄情)、卒業式で泣く気持ちとか本当にわからなかったのですが、先輩のこのコメント以降、節目節目での感情が少し湧きやすくなったと思います。
なので最近は別れの挨拶や誕生日のメッセージ、何かで久々に連絡をとったりする機会に「また会おうね!」と入れる様にしています。それに対し、「会いたいね!」とか「今度飲みに行きましょう!」とか返してくれた人には、たとえそれがお世辞でも「よし、いつにしよう?」と更に返します。
正直、そういうメッセージにすら「いいね、また会おう!」と返してくれない人はもうそれまでなんだと思います。その瞬間はまたちょっとさみしいけど、私はあくまで薄情なので、せっかく湧いたこのエネルギーを使うなら、これからも会える人が良い。
いつでもまた連絡が取り合える便利なこの時代に、「ぜひ会いましょう!」と言ってくれる京都の彼女をはじめとした友人のみんなに、最大限の感謝と、私は祈りを込めて。
「またどこかで会えますように」!