私がFP資格を取得した経緯
「或る独立FPの視点」というnoteマガジン50回目投稿の節目に、金融、保険業界等とはまったく無縁の仕事をしてきた私がFP資格を取得した経緯を書きたくなりました。
私は新卒で大手総合商社に入社し、複数の化学品系の国際市況商品トレーディングを担当していました。
1年の半分は世界各国に海外出張、それ以外は東京本社で深夜まで残業という「まるで商社マン」のような多忙な日々でした。
しばらくして担当商品群の海外主要拠点である米国南部の現地法人に転勤となりました。
そこでは仕事の充実もさることながら、妻と長男、そして現地出生の長女と共に楽しく豊かな私生活を送ることができました。
深緑に囲まれ、早朝には自宅庭の朝霧に野生の鹿すら現れる広大な郊外戸建て住宅から勤務地までは車通勤で、朝は早くても帰宅が夕暮れ後になることもほとんどなく、平日から子ども達と遊ぶことも普通の生活でした。
その後私は一度日本に帰任となりましたが、米国での生活が忘れられなく、同地に新規事業投資会社を設立することを企画立案し、その初代社長として返り咲く事ができました。
新社では米国人の雇用創出にも貢献できたこともあり、滞在ステイタスを会社スポンサーのE(投資家)ビザから永住権ビザに切り替えることにも成功しました。
しかし私はあくまでも駐在員です。
2回目米国勤務も8年超となりローテーション上の帰任が決定的になりましたが、私はこの局面に備えていました。
本社からの駐在員より報酬が低い現地採用への切り替えを自ら願い出て、それが不可能であれば別途誘いを受けていた米国企業へ転職する旨を伝えたのです。
上司からの返答は想定外な観点からでした。
「一度退職して現地採用へのステイタスに切り替えることは不可能ではないが、今回は内示に従い帰国すべきではないか。今辞めると君自身がかなり損をすることになる」
説明によれば、当時私は入社23年目でしたが、今退職することはそれまで天引きされてきた日本の年金保険料が全部無駄となり、老後の保障が何もなくなるというのです。
2017年8月以降、国民年金受給資格期間は最低10年に短縮されましたが当時はまだ最低25年が要件であり、国民年金受給資格を得なければ厚生年金と企業年金の受給資格もまとめて失うとの説明でした。
ちなみに米国にも老齢基礎年金に該当するSocial Securityという仕組みがありますが、2005年に日米社会保障条約が発効して以来、日本企業駐在員は米国での保険料納付をしていません。
要は今回は辞令に従い一度帰国して、25年要件を達成した後にそれからのキャリアを再考するのが現実的選択ではないのかというのです。
それまで私は「老後の年金」なんて一度も考えたことがありませんでしたが、熟考の末その説明に最終的に納得して異動を受け入れ再度日本に帰任しました。
「住めば都」というものなのでしょう。
アメリカを離れたくないと泣いていた娘も日本の学校に慣れていきましたし、私自身も本社管理職として多忙な毎日を送り、あっという間に3年の歳月が流れていきました。
ある日の仕事帰りに久しぶりに会った友人と酒を酌み交わしていました。
彼は私が日本に戻ってきたことに驚いたと言うので、例の公的年金ルールの話をしたところ、けげんそうな顔をしてこう言いました。
「その解説は間違っているな。確かに25年加入が要件だけど、米国永住権者とはいえ日本国籍なので外国に住んでいても国民年金には任意加入できた。それで厚生年金の受給権も確定だ」
「もっと言えば、以前は20歳過ぎでも大学生に年金加入義務はなかったので、卒業までの期間も合算されているはずだぜ。確認しなかったの?」
私はこの説明に身体が崩れ落ちるような衝撃を受けました。
もちろんこのような事実を知っていれば、間違いなく私は当時米国に残る選択肢を選んでいたことでしょう。
「ちょっとした無知」により自分の人生が大きく変わってしまったことを文字通り痛感した出来事でした。
その後しばらくして私は3度目の米国駐在の辞令を受けましたが、既に日本での進学ルートに乗り満足していた子どもたちと妻は帯同せずに単身赴任となりました。
実質的な内示を受けてから赴任まで時間に余裕が出てきた頃、私は書店でFP資格の教材本を偶然に手に取りました。
そこには公的年金のみならず、日本での個人税制、社会保障制度の実務的知識などが網羅されていましたが、ペラペラとめくったその本に書いてあることをほとんど何も知りませんでした。
私はいちばん簡単そうなFP3級のテキストを取りレジに向かいました。それはちょうど今から10年前の2014年の晩秋でした。
追記:
その直後の2015年1月にFP3級を受験合格し、3度目のアメリカ赴任出発直前の同年5月に受験したFP 2級にも受かりました。
これで最低限のリテラシーは身につけた感覚を持てたので「FPのお勉強」は打ち止めになるはずでした。
しかし暫くして私は深入りし日本帰国後に会社を早期退職して、最終的には独立FP事務所を開業するに至ります。
その経緯については次回に書いてみます。