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意味があるように思うのは

先日、仕事でお世話になった或る分野の先生が亡くなった。

数年前から入退院を繰り返し、昨年秋に容態が悪化、年明け頃から終末期の医療施設に入っていた。職場で事情を知っている人はほとんどいなかったのだが、私の上司がお見舞いに行ったところ、先生が私の名前を出してくださったので、私は知ることができた。
お見舞いに行くと、先生は少し痩せていたものの、ベットの上でよく話し、いつもの溌剌とした明るい声を聞かせてくれた。けれど何度も「寂しい、皆に会いたい」と言っていたので、その後は私も思い浮かぶ同僚に声をかけ、お見舞いや電話などを勧めるようになった。

その日は、私が久しぶりに行く日だった。この日にしたのは、関西在住の同僚Mが東京に来るからというので、もう一人の元同僚Oと一緒に3人で行こうと約束していたからだ。
しかし会えなかった。受付で面会票を出したら、家族に電話するように促され、電話で聞いたところ、前日の夕方に容態が急変、深夜1時半に息を引き取ったとのことだった。間に合わなかった。どこか呑気にしていた自分に気づき、深く後悔した。
ご家族から、「本人の交友関係を把握できていないから、なるべく幅広に周知してほしい」と言われたので、その場で件の上司に電話で相談し、連絡先を知る人に連絡しようということになった。
ショックと悲しさで、しばらくその場から動けなかった私たちだったが、この時一緒にいたOが「(職場で最初に知ったのが)山田さんであることに意味があると思う」と言った。意味があるのかは分からなかったが、私はこの後悔の念を埋めたいという思いで、とにかくしっかり周知しなければと思っていた。

その後、思いつく限りの人に連絡した。5年以上やりとりがなかった人もいたが、皆、同日中に返信をくれた。それぞれのメールを読みながら少し驚いたことがある。文体のカラーは人によって異なるものの、皆一様に、故人へのお悔やみ、悲しい気持ち、知らせをくれた私への感謝、そして私がいかにショックであったかを慮り心配する言葉を連ねていたのだった。確かに、私はお知らせをしたわけだし、ショックも受けている。それは事実なのだが、そんなことよりも、職場内で最初に先生の訃報に接した身としての、使命感のようなものの方が強かった。だから、自分が感謝されたり心配されたりする立場だとは微塵も思っていなかったのだけど、ここでようやく客観的になれたというのか、何ともいえない不思議な気持ちになった。そして、「山田さんであったことに意味がある」というOの言葉が重なった。

誰かがこの世を去った時、親しくしていた者たちの心はより繊細になる。これは私も何度かの経験で痛いほど分かる。こういう時の「意味」とは一体何なのか。私は「メッセージ」と同義語でもあると思う。

あの日、見舞いの品としてクッキーの箱詰めを持って行ったのだが、先生に渡すことができなかったので、3人で分けて持って帰った。そうしたら後日、関西のMが「おいしかった。こういうのを自分で買うことはまずない。先生が、『たまには自分で食べたらいいよー』って食べる機会をくれたみたい」と連絡をくれた。そんなことからも、各々が先生からのメッセージとして、色んなことに意味を感じやすくなっているのだなと感じた。

葬儀は、先生の逝去から約10日後に行われた。会場には、供花や弔電もたくさんあり、先生の幅広い交友関係がうかがえた。久しぶりに会った元同僚も多数おり、涙を浮かべながらも再会を喜び合った。何だかまた先生が繋げてくれているようだった。この中の一人が、葬儀の数日前、「同窓会にみたいになりそう。先生が、人材育成・教育・人の輪の拡大に生涯をかけてこられたことの反映かもしれないですね」と言っていたのだが、まさにその通りの場となっていた。
葬儀の最後、先生のお父様が喪主挨拶をされ、「私たちは娘の一面しか知らなかったが、先週は日本中、世界中から弔問に来てもらい、また本日もお花や弔電をたくさんいただいた。娘が素晴らしい人たちに囲まれて、本当に充実した、幸せな人生を送ったのだということを、本日確信いたしました」としっかりとした声で仰られた。まさにそうであると私も承知していたことだが、ご遺族がそのような思いを持つことができたということが、勝手ながら私にとって大きな救いとなった。こうして、葬儀に参列できたことも、色んな意味があったのだ。

その日は朝から横殴りの大雨で、葬儀前はあまり寒くなかったものの、葬儀後に外に出ると、4月だというのに身震いするほど風が冷たくなっていた。これだってどうしても意味があるように思えてならない。

その後、私は親しくしていた人たちと場所を移動して、遅めのランチを取りながら先生と一緒に働いていた時の思い出話に花を咲かせ、最後は笑顔でお別れした。こういう空気にさせてくれたのはまさにあの先生だからだろう。
そして帰宅後も、その人たちから改めて感謝の連絡をたくさんもらった。

感謝しなければいけないのは、私の方だ。あの日訪ねたのが私であったことに、多少なりとも「意味」を持たせるべく、先生から「山田さんちょっと頼んだわね」というメッセージがあったものとして、こうして先生の最期に微力ながらも携われたのだから。
先生を偲びつつ、先生に繋いでもらった縁をこれからも大事にしていきたいと、今、切に感じている。