強さと優しさを持った人になるために
人を助けられる人になりたい。人を励ませる人になりたい。人を勇気づけられる人になりたい。人に少しだけの力を与えられる人になりたい。
そのためにはまず自分が強くならなくちゃいけない。そのためにはまず自分が優しくならなくちゃいけない。そんなに気を詰めなくてもよいのかもしれない。それでも私が目指す私になりたい。それでも私は私が理想とする私になりたい。
ラクイラの人たちはよく「強くて優しい」と言われる。私が仲良くしている友人はみんなそうだ。瞳の奥に少しも悲しそうなところを見せずに笑っている。あんなに美しい笑顔を見せられる人は他にいない。
なぜ彼らは強くて優しいのだろう。私はそのような人になりたいのだ。どんなつらい出来事にも負けない強さを、どんなに悲しい出来事があっても決して枯れない優しさを、私は持ちたいのだ。
私が冒頭に書いたことだが、私はマザーテレサみたいに人を助けられる人になりたいわけでも、ガンジーみたいに自分の決めたことを貫く人になりたいわけでもないのだ。私はただラクイラの人たちのように、強くて優しい人になりたいのだ。
優しいだけじゃ折れてしまう。強いだけじゃ人を跳ね返してしまう。その両方を持ち合わせた人こそが本当の人格者だ。
彼らの強さと優しさを考えるときに、ある友人がこう言ったことを思い出した。
地震について理解することで、君は私達の痛みだけでなく私達の強さや優しさをも、理解できるよ。
地震をきっかけに彼らは強く優しくなった。その友人は言葉にはしていなかったものの、彼は私にそう伝えたかったのだろう。なぜなら強さとは生存バイアスのかかったものであり、強くなる過程でドロップアウトした人は何も語れないのだ。地震はその揺れが終わったあとでも人々を傷つける。その傷に埋もれてしまった優しかった人たちがたくさんいるのだ。
強く優しい人になりたい。そのために私に何ができるだろう。その答えはGoogleには書いていない。自分で見つけるしかないのだ。