「出来事が全てアートになる」からBanksyのファンなんです。
「バンクシー作品を「落書き」から守れ!」という見出しを見て、目が点になりました。虚構新聞かと思うような、アイノリー(皮肉)です。
記事を読んでみると、バンクシーが描いた壁に、白いペンキが掛けたらたので、建物の所有者が、ビニールシートで覆わって守ったということのようです。
でも、バンクシーってグラフティアート、つまり落書きだよね~って笑いながら記事を読んでいたら、SNSで同じように感じた人たちが、話題にしていました。
記事で紹介されている写真を見て、「あーあ台無しだな」と感じて、「バンクシーはどう思っているんだろう?その白いペンキも含めて、作品だとかいいうかな?」などと考えていたら、この「醜悪なビニールシートも含めて作品」なんだなと気づきました。
現代アートの定義をかたるほどの含蓄を持っているわけではありませんが、アートを制約から解放していくという流れがあることは間違いないです。作家性は生き方や思想とも結びつきますから、現代アートでは、その行動や取り巻く現象も含めて「作品」です。バンクシーの場合は、覆面型の活動で正体がつかめないこともあって、従来の美術の枠外で話題になることが多く、そこに僕は「アート」を感じます。
バンクシー自身は、資本主義を批判したり揶揄するスタンスを持っている人のようですが、そういう言動をすればするほど、実際は商業主義的に価値が高まっているという皮肉な展開が起きています。
思い出されるのはサザビーズでの出品ですね。代表作「風船と少女」がサザビースのオークションで高額で落札された直後に額がシュレッダーと化して、細かく切断されたという事件です。商業主義への批判を形にしたわけですが、結果として、100万ドルで落札されたものが5倍の価値になったと言われています。詳しくはニュース動画をどうぞ。2018年のことだったようです。
2年前に原宿で大体的に行われた展覧会「天才か反逆者か」でもおなじことを思いました。
「天才か反逆者か」とタイトルが付けられる、トリックスター的な存在は、コンプライアンスが重視される現在では、存在が難しくなっている気がします。相撲取りや歌舞伎役者に庶民と同じ倫理観を求める昨今のメデイアの報道ぶりは嫌いで、狂気や非常識を受け入れる部分もないと社会は面白くならないと僕は思っているので、バンクシーの巧みな「成功事例」はこれからのアーティスト、クリエイターに参考にしてほしいなと改めて思います。
人間としての倫理観さえ持っていれば、多少の非常識ならフォローするよ、その代わり自分の才能はとことん突き詰めてね、って、僕の中にあるマネージャーマインドが語っています。
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モチベーションあがります(^_-)