続・闘病・リハビリ記〜脳出血・発症一年左脚麻痺からの帰還
後編を書くと言いながら、随分時間が経ってしまいました。2019年10月9日に発症してから、一年が経過しました。改めてご心配をおかけした皆様のご厚情と、リハビリ病院の皆様に心からの感謝を申し上げます。人は独りで生きているのではないというアタリマエのことを思い知った、思索の機会になった貴重な体験でした。入院から退院後のリハビリ、この1年間について改めて記そうと思います。
2月6日に原宿リハビリ病院を退院しました。発症から約4ヶ月後のことです。リハビリ入院は3ヶ月半でした。退院したらすぐ<続編>を書くつもりだったのですが、生活を立て直しながら仕事で忙しくしているうちに、コロナ禍の「自粛」が始まり、すべての仕事を在宅オンラインで行うモードになって、気づけば、10月になっていました。予告よりも随分遅くなってしまいましたが、自分の人生の備忘も含めて、まとめておこうと思います。
入院最高!療法士ネ申!!
というのが、入院中に一番思っていたことです。不謹慎に思われたら申し訳ないのですが、原宿リハビリ病院での日々は、本当に本当に素晴らしいものでした。療法士、医師、看護師の皆さんのお陰で入院生活は充実していました。
朝食は8時。7時過ぎを目安に起床するとベッドでストレッチして、スマホでニュースやメール、SNSをチェックして、朝ご飯を食べるという段取りです。8時ギリギリの起床になってしまう日もありましたが、毎朝目覚めとともに窓越しに天気を知るという生活は素敵でした。リハビリは1枠が40分もしくは60分で毎日3〜4本組まれます。僕は初期に「120%復活=5km走るまでリハビリをやる」と宣言したおかげで、担当トレーナーも付けてもらえ、メニューは多めでした。8:40から16:40の間で、正午のランチタイムを避けて、3〜4本のリハビリが組まれます。理学療法士と作業療法士(おおまかには脚と腕)の二種類でそれぞれ担当は決まっているのですが、担当療法士は、都度都度違います。いろんな角度からの意見が聞けるのは、とても良かったです。僕のメインの担当は坂本さんという男性で、とてもロジカルで優しい人でした。神経麻痺からのリハビリテーションをどうやって行えばよいのか、切実かつ、好奇心旺盛になっている僕の質問の全てに丁寧に答えてくれました。彼の存在が僕に心の平安をもたらしてくれたので、言葉に言えないくらい感謝しています。作業療法の担当は橋本さんという可愛らしい女性でした。いつも明るい笑顔でメンタル面で非常に救われました。今思えば、結構、シンドかったメニュー内容も、彼女に「できますか?」と言われると「全然だいじょうぶ!やる!」となります。4ヶ月の入院で、BMI22の理想体型になっていきました。彼女の明るいメニュー提示に応えていったことが、20代前半以来の締まった身体を僕にもたらしてくれました。象徴的だったのは、トレーニングやストレッチを自主トレも含めて前向きに取り組むと「ありがとうございます」と言われることです。自分のためにやっている当たり前なのにと思いつつ、そう言われると嬉しくなります。「ありがとう」ってマジックワードなんですね?言葉の大切さをって大改めて感じました。今後は色んな場面で使うように、心がけていきたいです。
16:40から20時までの間は一階のロビーで面会ができるので、18時からの夕食時間をはさみつつ、毎日2〜3本のミーティングをしました。原宿というロケーションの良さもあって、みなさん足を運んでくださり、仕事の進捗に大きな問題はなかったです、スタッフは週に何回も来ることになるので、原宿と渋谷の間というロケーションには助けられました。連日打合せに来てくれたスタッフの負担が少ないのが良かったです。
お見舞いにものべ150人以上の方がいらっしゃいました。お陰様で不安になる暇がありませんでした。自分の状況を説明して、お話することで前向きな気持が保てました。本当に感謝でいっぱいです。
食事についても聞かれますが、僕は全く不満ありませんでした。健康が保証されて、栄養士によって、1500カロリーにコントロールされた3食が病院の中で食べられるのです。味も全然、問題ありません。一度も残さずに完食、もちろん禁酒なので、4ヶ月で内蔵もキレイになったことでしょう。体調も良かったです。
今回本当にラッキーだったのは、緊急入院から退院まで一度も、「気持ち悪い」「痛い」「シンドイ」が全くなかったことです。突然、左脚が動かなくなり、左半身が自由にならなくなりましたが、そのままタクシーで病院に行き、検査、緊急入院という流れ(その経緯の前編はこちら)の中で、身体的な苦痛は一切ないままでした。入院生活が「甘い思い出」になっている一番の理由かもしれません。
消灯は22時です。20時に打ち合わせを終わらせて、7階に上がり、ネットがスムーズなロビーで仕事をするのが日課になりました。そこには普段の生活では接点のない人たちとの交流がありました。今回の入院でよかったなと思うのは、ざまざまな立場年齢の方々と素の自分に向き合えて、「結構、人間力あるな、俺。」と思えたことです。
入院生活では、患者同士の交流もありました。リハビリ名目での麻雀も楽しい思い出です。もちろん自動卓はないので牌は手積みでお金を賭けずに1時間半位なのですが、リフレッシュになりました。左指のリハビリのためにロビーのグランドピアノでBachの練習をしていたのを見られてクリスマス・パーティでのピアノ伴奏を頼まれたのは困惑しましたが、担当の橋本さんのお願いでは断れません。サンタ帽子をかぶってトイピアノでクリスマスソングを弾くなんて「俺だいぶキャラが変わったな」と心のなかで苦笑していましたが、おじいちゃんおばあちゃんの合唱の伴奏はなかなか楽しかったです。
リハビリ病院は、入院期間が最大半年間と法律で決まっていて、ほとんどの人は、症状が改善されて退院するので、病院にありがちな湿っぽさはまったくなく、スタッフも明るく、精神的にもポジティブな状態でいられました。
入院中は、療法士や看護師が驚く超スピードで復活していきました。「車椅子要介護」という、トイレ行くにもナースコールを押すという立場から、「車椅子自律」→「歩行器」→「杖」と毎週ステータスをアップ。2ヶ月ほどで、「院内自律」という病院の中は自由に行動できる資格を手にいれられました。自分で好きな時に病院の大浴場に入浴できて嬉しかったのを覚えています。褒め上手な人達なので、話半分かもしれませんが、「こんなに復活が早い人はみたことない」と何人もから言われて、誇らしい気持ちでした。
原宿病院には通院制度がないので、紹介状を書いていただいて退院後は初台リハビリ病院へ週一回(途中から隔週で)通院しました。その通院も今月が最後です。まだ完璧ではないので、続けたいのですが、担当医師から「山口さん、もう十分でしょ」と嬉しいような悲しいような通告を受けたところです。
入院して2ヶ月余の昨年末には「院内自律」、要するに日常生活は送れる状態になり、医師からここまでの状態なら退院時期は自分で判断して希望を出してください、と言われました。予定のない年始は海外で過ごすことにしている僕ですが、流石に無理ですし、元旦からリハビリメニューをやってくれるということを知り、病院での年越しを決めました。年明け最初の医師面談で、2月初旬の退院を決めました。正直を言うと、その時点では、初台リハビリ病院と病院のトレーナーから紹介してもらったジムに通って、GW頃には何キロか走って、完全復活宣言しようなどと思っていました。
ところが、そんなに甘くはなかったのです。リハビリテーションというのは、自分の身体と向き合い、その神秘に触れる体験でもあります。8割治ったなと思ったところから、こんなに時間がかかるとは思ってもみませんでしたが、まだまともに走れません。課題は左脚の様々な「筋肉の協調性」という課題です。退院して8ヶ月たった今も、週に一つか二つ、自分なりに進歩しています。停滞しているわけではないのです。良くなっているのにまだゴールに辿り着かない。人間の身体って本当に絶妙のバランスで動いているのだなあと感心します。
実は「治る」という表現は不正確です。緊急入院した時に虎の門病院の脳外科の医師から言われた「出血した部分の神経は元に戻らない。代りの神経が筋肉を動かすようにするのがリハビリ。代わりができるかどうかはやってみないとわからないけれど、できるだけ早く、たくさんリハビリするのがよい」というのはこういうことだったのです。別の神経で左脚を動かす訓練をやっているのです。先日、友人が打合せに2歳児を連れてきていて、微笑ましく観ていて気づきました。「俺、左脚だけ2歳児なんだ!」
膝を曲げて、脚を前に運び、踵から地面に落とし(その際にハムストリングスに力を入れ)親指の付け根のあたりに体重移動をして、右足を踏み出せたら、蹴り上げて左脚を前に運ぶという繰り返しが、「歩く」という行為です。これを意識しながらスムーズに行おうとしています。一つ一つの動きは複数の筋肉群が同時に伸ばしたり曲げたり「協調」して行っています。この協調性を司っている神経を新たに作り直しているというのが僕のリハビリの正体のようです。
何度も痛感しているのは、リハビリの初期に、療法士達との会話を通じて目標設定をしたのは本当に、良かったなということです。そして120%を目指すと決められらことが(このまま僕のリハビリが成功できたら)最大の勝因です。ちゃんと走れるまでやると決めていなければ、とりあえず歩けるようになっている今、仕事をしながらトレーニングやストレッチを続けられなかったかもしれません。
ということで、脳出血発症、左脚完全麻痺から一年。僕のリハビリは仕上げの時期に突入しています。概ね治ってからこんなに時間がかかるとは思いませんでいたが、5km走るまでは、まだ時間がかかりそうですが、やり抜いて、noteに「闘病リハビリ完結編」を書きます。もう少々、楽しみにお待ち下さい。リハビリメニューもメモは残しているので、完結編では公開しようと思っています。
改めて、本当にラッキーだった今回の発症からの闘病と、人情の大切さを思い知ったこの一年間。全てのみなさんに心からの感謝と、残りの人生で少しでもお返しできるようにと、ここに誓います。