60歳の誕生日に「不惑」を自覚しました
5月6日に60歳の誕生日を迎えました。年齢という数字を過剰に意識しないようにしているのですが、さすがに干支がひと回りして還暦だよというのは、何か考えさせられるものがありますね。気づけば1ヶ月経っていました。あまりプライベートなことは書かないnoteですが、感じたことをまとめてみます。
おかげさまでの一病息災
おかげさまで、とても元気です。2019年の秋に、脳出血で入院しました。発病後数十分後に病院に行けたという幸運と、原宿リハビリ病院での3ヶ月間入院生活て完全復活しました。
健康診断などもこまめに行うようになり、原因だった高血圧も安定させ、今、人生で一番健康かもしれません。リハビリ退院後に再発を避けるために幾つかの病院で精密検査を受けましたが、脳外科の先生から「血圧さえ保てば再発はしないと思いますよ。一病息災ですね」と言われて、ホッとしました。
月数回のパーソナルトレーニングは今でも続けています。苦手なことは階段を駆け降りることで、意識してケアをするようになって人間の身体って不思議だなと思います。直径5ミリ程度の脳内出血が、一部の脳神経をダメにして、他の神経にその役割を代替させるのがリハビリテーションという行為だそうです。左脚の関わる筋肉の協調性に課題が残っているのが、階段を駆け降りられない理由です。3年以上経っても、不具合が残っているという不満と、今でも少しずつ良くなっているという神秘に向き合っています。
リハビリ開始時に決めた、ピアノを弾くことはたまにしかできてないのですが、これも面白いです。すごく下手になっています(笑)。自転車に乗るとか水泳とかは、一定以上は下手にならないと言いますが、ピアノも同様のはずです。バッハのインベンション二声を弾けるようにと軽く思っていたのですが、いまだにつっかえています。滑らかに指を動かすことができませんとはいえ、手には後遺症は元々なく、まして右手とか脳出血を全く関係ないので、どこまでが病気の影響なのかわからないです。ジャンプにしてもランニングにしても、自分が一番できた10代の記憶を基準にしてしまうので、「ダメだ!衰えている」と思いがちなのですが、ただの不摂生や、普通の加齢による衰えてとの区別がわからないです。ただ、80過ぎまで引き続ければ、脳の刺激になると思うし、ピアノの音色が好きなこともわかったので、続けていくつもりです。
年齢を言い訳にしない
40を過ぎたあたりから、友人知人で「もうトシだから、、、」という発言をする人を見かけるようになりました。僕はいまだに「加齢による衰え」を感じることは、ほとんどありません。「不摂生による能力低下」と感じることがほとんどです。だって、努力すれば成長ってできますよね?それをやってないから衰えるのは当たり前のことです。見た目が老けないことを驚かれることが増えましたが、この感覚が理由なのかもしれません。
実は、30歳を過ぎた頃に「オジサンになるのは楽だけど、ダサいな」と感じたのを覚えています。「俺ももうオジサンだから」と思ったり、言ったりすることはオールマイティな言い訳になります。太っていてもいいし、最近のヒットの理由がわからなくなっても仕方ないし、楽になるけれど、ダサいからなりたくないなと、思って、それを実践していたら、そのまま60歳になってしまいました。見た目が若いのは、最初は喜んでたのですが、50歳を過ぎたあたりから、ビジュアルが変わらない自分をちょっと持て余しているのが正直なところです(笑)。おっさんにならないまま、いつかおじいちゃんになるんだな、と最近は思っています。
そして、年齢に縛られないことは大事だなと、実感もします。
昔の年齢を1.5で割る説に同意。不惑な自分
年齢については、平均寿命が長いことや、教育のために必要な期間が長くなったことなどを理由に、以前に比べて、年齢を1.5で割るのが年齢の捉え方として正しいという説があります。
60歳になってみて、この説は正しい気がしています。僕の気分がまさに、「不惑:六十にして惑わず」です。孔子が自分の生涯を顧みて、学問に自信を持ち、進むべき道を確信したあれこれ迷わなくなったという言い伝えが、当てはまりますね。
大学にはほとんど行かずに、何も知らないまま音楽を仕事にしたいと思って、いつの間にか音楽業界にいられるようになって、ヒットを出す、スターを産み出すと必死に頑張っているうちに、音楽ビジネスがテクノロジーで構造変化していって、どうあるべきかを真剣に考えていたらエンターテック・エバンジェリストと名乗るようになりました。2011年から年一冊以上のペースで書籍を出版させてもらい、政府の委員なども頼まれるようになり、構造変化に伴う人材育成の必要性を痛感して、作曲家やビジネスパーソンや起業家などが育つ環境を作り、コミュニティにしていくことをやりました。気づけばいつの間にか「山口ブランド」を確立することができた気がします。今は、文化クリエイティブ産業という領域に自分の専門性を定義づけ、スタートアップ創出をテコに、グローバルにアジアの中の日本の価値を上げていくことに取り組む。そんな自分の立ち位置には1ミリも惑いはありません。
自分自身は好奇心を持って、新しいことにチャレンジしたいですが、「できるかもしれない」って言っても相手にされないキャリア年齢なことはわかっているので、世の中に対しては、「確実に今できること」で貢献していくつもりです。
貢献できることをやりたい
サラリーマンをやったことがないので、定年を意識したことはなく、100歳まで健康に生きると決めたので、まだまだやりたいことはたくさんあるのですが、そうはいっても人生の時間は限られてきました。好奇心を持って新しいことにも取り組みたいですが、同時に世の中に役に立つことに注力したいとちう気持ちも強くなっています。若い頃からこだわってきた音楽がデジタルやAIなどの新技術で進化していくことに関わっていきたいですし、文化クリエイティブ産業領域から日本の国力向上に貢献したいです。若い世代の活躍の場を作っていくことも重要な自分の役割だと認識しています。
変化を厭い、自己保身のための現状維持を続ける同輩先輩世代の言動が日本の病痾であることも認識しています。次世代のために障壁は壊しておこうと思っていたら、身近にも事件が起きました。昨年の大阪音大MB専攻の不祥事は、慚愧に堪えないと普段使わない言葉を言いたくなるくらい最悪の体験でした。人に対して心の底から軽蔑するという感情を生まれて初めて持ちました。
多くの方にご迷惑とご心配をお掛けしてしまいましたが、レベルの低い人たちと関わるような無駄なことにエネルギーは使わずに、音楽界の次世代育成に本気で取り組むことで、この後悔を解消していくつもりです。
友人と仲間を大切にして、
気づけば20年超の友人がたくさんいます。それが人生の最大の財産なのかもしれません。仕事上の仲間にも恵まれました。組織に属さないスタイルを続けているので、世の中が僕にあることにしてくれている能力のほとんどは、同じ価値観と高い志を持った優秀な仲間たちの存在だなと思います。
トップの写真は、ヘアカットしてもらった時に撮った、同じ年齢の美容か柳延人君との2ショットです。30年を超える付き合いになります。
これからの人生で、仲間や友人と一緒にやっていくのだと思うと、嬉しい気持ちになります。
そんな60歳になっての所感でした。今後ともよろしくお願いします。note読者の方も今後ともお付き合いください。
モチベーションあがります(^_-)