今年最後のアレ。
12月24日。
私はとあるバスに乗っていた。
バスのラジオから陽気なクリスマスソングに混じり竹内まりやの「気分はピーチパイ」が流れている。私はため息を吐きながらバスの揺れにその身を任せる。
今年は全然年末感が無いと感じながらも、すっかり世間はクリスマス色。
え?なぜバスからラジオかって?
…だってこのバスは路線バスではなく、
とある総合病院のシャトルバスだから。
少し前に今年は家族(夫、息子、弟)が手術を含む入院続きだったという記事を書いた。
おまけにこの秋に母は坐骨神経痛が悪化。前ほど歩けなくなった。
もう次は何かあるなら自分だろうと打ち震える日々。
そんな一年もそんなこんなで12月後半。
なんとなくもうこのまま何事もなく年を越せれば、もうこの不幸続きは終わりだろうと思っていた。
どっこい12月19日。
夜20時ごろ、弟から連絡があり弟の住むハイツに呼び出された。
彼からの呼び出しは大体良く無い事である。
何事かと思えば会社で腹部に強い張りを感じ、帰りに上司の車で病院に行ったらしい。
ただの胃腸炎との診断だったが、春に発症した気胸の症状と酷似していた事もあり、心配してくださった上司に「家族にも連絡をしておくように。」と言われ私が召喚された。
慌てて弟の住むハイツに行くと、玄関前でションボリとした弟と窪田正孝似のイケメン上司が待機しており、弟に代わって色々と説明をして下さった。
弟は少し顔色が悪くお腹をさすっていた。
胃腸炎でよかったと上司に御礼言い見送った後、弟の部屋へ一緒に行き、弟を寝かせて部屋を片付け「何かあったら呼べ。」とワタクシ華麗に帰宅。
この私とて「アラフィフからは何処かしら常々不調が出てくるから気を付けろ。」と、と色んな人から言われている。
弟は一つ下の49歳。彼もアラフィフ。
最近お腹が張ると言っていたから年末の忙しさのストレスで調子が悪いのかもと軽く思っていたのだ。
しかし、これが弟の歴史32年越しの伏線になろうとは思いもよらないワタクシ。
その夜の23:30分過ぎ。
お風呂から上がり、さて寝ようかと頭を拭きながらソファーで寛いでいると電話が鳴った。
表示板には弟の名前。
電話口には呻く弟の声。
「…おなか…いた…くるし…。」
ただ事でない様子に喉が「ヒュッ」と鳴った。
慌てて頭を乾かし、大慌てで既に寝ていた夫に「ちょっと弟の所に行ってくる!」声を掛けた。
しかし、まだ3/4夢の世界にいるのだろう彼は「あ…ク、クルマダソうか。クルマ…1☆*」と、異次元語を繰り出したかと思うと再びガクンと夢の世界へと帰っていった。
彼に罪はない。師走の時期、もう誰だって何処だって忙しいのだ。疲れだって溜まる。
私は同じ誕生日(3月6日)の柳沢慎吾が私に憑依したかのようなテンションでつぶやいた。
「いい夢みろよ。」
私はパニクると変なテンションになる。そして弟には申し訳ないけれど、頭の中で何故か"太陽にほえろ!"のOP曲がリフレインしていた。多分私の中で相当な事件だから。決して柳沢慎吾繋がりではない。
石原裕次郎がブラインドカーテンを指でカシャッと開けるラストシーンを脳内再生しながら、自転車を全力で漕ぎ5分。
こんな緊急事態にこんな愉快な脳内になってる自分に若干腹が立つ。しかし、こんな愉快が差し込む余地があったのもここまで。
私が部屋に入ると弟は痙攣していた。
***
弟は救急搬送され、病院の時間外受付の前でしばらく待つ。
背中には自分のリュック、手にはパニックになりながらも保険証の入った弟の財布と、弟の部屋にあった適当なスーパーの袋に突っ込んだ弟の汚ったない運動用靴をぶら下げていた。
一度、道で倒れている人を見つけて救急車を呼んだ事があるのだが、かなり動揺していた覚えがある。しかし、今回それ以上の動揺っぷりだったと思う。
近しい者の危機や見た事のない姿だったからだろうか。
何にせよ愛着という感情が絡むと同じ状況でも、人はここまで受ける感情が違うものなのかとボンヤリ考えていた。
一応、弟からの呼び出しの時点で救急車を呼ぶ事になる予想と覚悟はしていたのに。
しばらくすると処置室から医師がやって来て「お腹が随分張っている以外は異常はなさそうだが、一応専門医に診てもらうほうがいい。一度帰宅して痛みを一晩家で我慢して明日また受診するか、今晩は入院して明日受診するかどうしましょう。」と、聞かれた。
本人はお経を唱えるように「…どっちでも…どっちでも…。」と、力無く答えるのがやっとの状態らしい。
ワタクシ、弟の生殺与奪の権を託される。
いや。まず連れて帰るのが無理やろ。
どう考えても。
「…また救急車呼ぶ羽目になっても大変だし、この状態で連れて帰ることも連れて来れるとも思えません。入院させてください。」
私はきっと白目を剥いて答えていたと思う。
だって痙攣起こすほど痛がってたんだぜ。
そんな様子を見た後に一人で部屋に帰せないぜ。
何より弟はプロレスラーみたいな体格なんだぜ。
そんな大男、帰宅中や来院途中で倒れられたら身長152センチの私なんてどうしようもないんだぜ。
己の無力さを感じつつ、多少入院費用が掛かったとしても、いうてヤツ(弟)もボーナス出たところだからいいやろ。と、人の大事な財産に無責任な事を思いながら入院手続きの代筆をするワタクシ。
翌日の検査結果、弟は胃腸炎ではなく腸閉塞だった。
もちろん入院。(今年通算2回目)
しかしながら、上司から細かく話を事前に聞けていた事、弟が私を呼んだ事、私が一時帰宅でなく入院させる選択をした事もファインプレーだったのは不幸中の幸いだった。
そして、腸閉塞の原因なのだが32年前、高校生の時にやった盲腸の手術部分の癒着かららしい。
癒着は手術をすると、どうしても起こりやすいものらしいので仕方がないとはいえ、盲腸の手術をした病院がなんともヤ○で有名だったところなので、弟共々なんとも言えない気持ちになっている。
因みにそこの病院は潰れた。
↑その時の話はコレ。
幸い一旦痛みが治まるものの、お腹の張りは改善せず引き続き入院し、然るべき処置を受けていたのだが、やはり改善が見込まれないとのことで結局弟は手術する運びとなった。
29日の今日は朝一番からスープの冷めない距離にある夫の実家、中村家で餅を搗き、夕方から「抜け毛が酷いからコロコロ(掃除用具)持ってきて。」と、弟からの司令メールが着たので行くことに。
弟が病院に運ばれた時、母はちょうど軽い風邪をひいており、現在まで見舞いには一切行けてなかったので誘ってみた。
昨日の時点でもう処方された薬も飲みきり、症状もすっかり無くなっていたと言っていたもんね。きっと喜び勇んで「行く!」と、言うだろう。
母の携帯のナンバーを出し電話を架けた。
3コール目にいつもの元気な声で母は出たのだが、驚く事に「今、テレビがちょうどいいところなので今日はやめとく。」と、極めてドライなセリフが飛び出てきた。
まさかの 息子<年末テレビ である。
オヨヨ?あれだけ「今、何も出来ない自分がもどかしい。テッちゃん、頼むからよく見てたってな。」的な台詞を言っていたのに。
弟の見舞いに行く度に様子を連絡をすると、どんな時も「有難うね。連絡してくれると安心やわ。」と、しおらしいこと言ってたママン。
ママンったら冷静と情熱のあいだにどころか、もうそんな感情は通り過ぎちゃったのカシラ。それとも歳のせい?
しかし、弟は弟で母のそのセリフを伝えたところ「そうか〜。」と、事も無げに返し「何か食べたい欲が極まって爆食動画ばかり観ている。咀嚼忘れそうで咀嚼のイメトレしてる。」絶飲食10日目のキャリアを私に見せ付けた。
…そんなの観て、余計ひもじくならないのカシラ。
…なんで、そんなに自分を追い込むのカシラ。
…何より一番腸閉塞患者が憧れちゃいけない動画なんじゃないカシラ。
そんな疑問符を出しまくる私に弟は「悪いねんけど、売店で病院用の靴買ってきて。リハビリで歩かなあかんねんけど、ねぇちゃんが持ってきてくれた靴捨てようと思ってた靴やねん。看護士さんが履かせてくれはる時、靴が汚な過ぎて毎回申し訳なくて。」と、私が意識が飛びそうなくらいパニックになる中、必死で持って来た靴をサラリとダメ出しされた。
病人の弟と高齢の母に振り回される年末。
2024年も後、2日。これを記事を出す頃には大晦日になりそう。