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プラネテス 本日Eテレで再放送。

本日、1月9日 夜19時から私の大好きなアニメトップ3に入るプラネテスがEテレでやるそうで。(全26話)

この作品、DVDで何回観たかって位に観ています。嬉しくてもう朝から小躍りしています。

もう19年前のアニメですが、今見ても遜色ないクオリティ。名作と名高い作品ですのでご存知な方も多いかと思います。

元は漫画が原作。作者は最近同じくNHKでアニメ化した「ヴィンランドサガ」の幸村誠さん。

原作漫画とアニメは同じエピソードは有りつつも、ずいぶん異なった部分も多いのですが、アプローチの違いであるだけで根幹の部分は双方同じテーマです。

時代は2070年代。
この時代は月面に居住ができ、宇宙資源の採掘や宇宙旅客機が当たり前のように飛び、宇宙開発が発展している世界。
しかし、そんな華やかで現代の私達が夢見るような時代の反面、地球では貧困、紛争問題がまだまだ未解決であり、暗い影を落としている。

スペースデブリ(宇宙ゴミ)が社会問題になっている宇宙で、デブリを回収するサラリーマンの星野八郎太(ハチマキ)が主人公。

ハチマキはいつか自分の宇宙船を買う事が夢。
その夢の為に奮闘しているが、仕事に対して理想と現実、矛盾や納得の出来ないものを感じながらも「仕事」と割り切って日々、受動的にこなしている。

その姿は現代の私たちのよくある姿となんら変わりない。

そこに新入社員として入ってきたタナベ アイ。
このタナベ、事あるごとに「愛」という言葉を使う。そして彼女は青臭いほどに真っ直ぐで真っ向勝負。
ハチマキはそんなアイの偽善めいた言葉や姿に堪らなく苛立つのだった。

宇宙モノって多くが壮大で希望的なものが多い。
しかし、本作は宇宙という舞台でありながら、身近にある日常の延長にあり、宇宙から社会問題、個人の夢や現実と、マクロからミクロな問題を描いている。

その中で主人公ハチマキは、「人とは何か、自分とは何か」ということに向き合うことになるのだが、私はハチマキのその泥臭く、今まで誤魔化してきた自分に悩み惑う姿に心を打たれるのだ。
ハチマキがどす黒い感情を持て余す姿は堪らなく人間臭い。

閑話休題の様なギャグ回のような話の中にも、全話見終わったあとにアニメ プラネテスの中で、なくてはならない伏線であることにも気付く。

下記の動画のキーワードの一部、

何のために生きる?

誰かの為か?

それとも自分の為か?

一人になるのが望みなのか?

一人でなければ耐えられないか?

誰かを愛していたいのか?

誰かに愛されたいだけか?

観る度に人であるがゆえの苦しみを考えさせられ、私自身が生きづらさを感じている部分に容赦なく抉られ、話が進むにつれ胸の詰まる感覚に陥ります。

生きることの悩ましさ、矛盾。狂おしいほどの愛の形。そして自分はどこへゆくのか。このアニメにはそんな一つの答えが詰まっています。

プラネテスという言語は古典ギリシア語で「惑う人々」という意味だそう。

この作品は原作漫画もアニメも人のどうしょうもない、一言では言い切れない簡単には語れないような人間の本質を自分に問われる感覚に陥る作品です。

興味を持たれたら是非。



追記: 原作では原作者さんがお好きなのか、宮澤賢治の"グスコーブドリ"の伝記を引用されていたりと、原作は原作で沢山の魅力が詰まっています。今回はアニメの話なので割愛させて戴きました。


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