ゴメンなぁ。
4月の中旬。
私はある病院の手術室の前で待機していた。
そのほぼ1ヶ月前。
弟、母、私家族とで白浜へ旅行へ行った時、弟がこう言った。
「また元気で頑張って、みんなで旅行に行こうな。」
そう言った当の御本人が今手術中の患者である。
どないなっとるねん。
***
ある金曜の昼、携帯が鳴った。
表示板を見ると弟の名前。昼休みでもなさそうな妙に変な時間だった。電話に出ると、か細い声で「…僕やけど。」
いつもの調子とは全く違う声のトーンに、一瞬オレオレ詐欺かと警戒したが、スマホの画面には間違いなく血を分けた弟の名前が表示してある。
「…今、〇〇病院……に…い、いるんやけど…ちょっと…来てくれへんかなぁ…。入院する事になってん…。」
息苦しそうに話す弟。
話ができる余裕がなさそうだ。
入院という言葉に驚きつつも、とりあえず本人から連絡が来るくらいだから、命に別状はないのだろう。
私は碌に状況を聞かずに「分かった。取り敢えず行くわ。」と、電話を切り、財布にお金を入れ家を出ようとした。
弟の言う病院は隣町で割と大きな病院なのだが、微妙に辺鄙なところにある。
私は車の免許がない。
時間的にタクシーを呼ぶより、一旦最寄り駅まで出てそれからタクシーかバスが早いか。もしくは電車に乗って向こうの駅でバスかタクシー……。でも、あそこの駅、タクシー常駐してたっけ…??(田舎だから)
な、何ならもう40分かけて自転車で行くのがいいのか……ッ!?(←最高に悪手)
え…。ちょ…、ど、どれで行くのが正解なんや…!
落ち着けワタシ。
今、パニックになってる場合じゃないのに。
己の中の神様に見捨てられた気分になる。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
信じられないタイミングで神が降りてきた。
と、いうか帰ってきた。
"神(足)があるなら"と、慌てて母に連絡を取り、病院へ向かった。
病室に行くと弟が既に処置をされベッドで横になっていた。
やはり話す事が辛いようで、かすれるような声で「…ゴメンなぁ。」と、弟は言った。
その言葉に何だか妙な違和感というか、腹だたしさを感じた。
私は小声で「喋らんでいい。しんどそうや。」とだけ返す。
そんなやりとりをしているにも関わらず、強気自分の疑問第一優先系女子の母カナエ(82)は「アンタ、どうしたん!なんでいつそんなんなったん!会社でかいな!どこが痛いんや!」と、いつもの声量で矢継ぎ早に質問し始めた。
「…い…痛くはない…。」
律儀に返答する弟の声を掻き消し、尚も母カナエは機関銃のように質問し続ける。
返答しているのに聞いてもらえないという、こんな理不尽な質問がこの世にあっていいのだろうか。いいや、よくない。
母、カナエの悪いところを煮詰め倒した部分大放出である。
こんな緊急時に母の嫌な部分に当てられ「お母さん…!今、喋るの辛そうやから…ッ!」と、思わず強く言ってしまった。
…う…。やってしまった…。
自分の心の狭さにうんざりした。
近頃、すっかり高齢者然としてきた母。その姿に大事にしなきゃと日々心掛けていたはずなのに。
そんな私と母の掛け合いに、弟はまた「…ゴメンなぁ。」と、言った。
なんでアンタが謝る。
程なくして別室で医師から説明を受ける。
弟は"気胸"という病気だった。端的に言うと肺がパンクしたらしい。
なるほど。弟のベッドの横にはパンクした肺から漏れた空気の量を測る機械が置かれていた。
水上置換のような仕組みの機械は弟が呼気をするたびに盛大にボコボコと音を立てていた。
症状は重いながらも、処置が間に合い助かった事にほっとした。
レントゲンで見た弟の右肺はグシャっと紙を丸めたように縮んでいた。2.3日様子を見て、空いた穴が自然に塞がる様子が無ければ穴を塞ぐ手術をするとのこと。
外部から胸へ管を通し肺から漏れた空気をとにかく脱気しとかなきゃならないので、当たり前だが入院である。
説明の後、病室に戻り必要なものや書類を確認してまた明日来る事になった。
「また明日。」そういうと、弟は「迷惑かけてゴメンなぁ。」と、言った。
何回ゴメンいうねん。
そんな目くじら立たせるほどでもない言葉。
きっと"迷惑かけてゴメン"なんて、一番伝え易い簡単な言葉なんだろう。
弟は控え目な部分もある性格でもあるけれど、普段ここまでしょっちゅう「ゴメン」なんて言わない。
何なら「ありがとう」派。
そんな弟からその日の夜にメールが着た。
"ゴメンなんやけど、お母さん、あの調子やと毎日来そう。一人でここまで来るの心配やし、忙しいところ悪いけど、なるべく付きてきてあげて。"
…うーん。
病室から出る時、弟はかすれる声で母の今後の行動を察知し「毎日来なくていい。」と、何度か言っていたが母の目には"心配"と"まかせて"の文字が右目と左目それぞれに書かれていた。
絶対母の心には1ミリも届いていない。
子の心、親知らずである。
もう少し病院に運ばれるのが遅ければ、命に関わる状態だった弟。
そんな目にあったのにも関わらず、母を気に掛ける姿は何だか不憫にも思えた。
息巻く母をうまく丸め込み、パート(短時間)がある日は終わるまで待たせてから病院に行った。
弟の指令を遂行するワタシ。
母の熱意と行動を止められない以上、今の私に出来ることは弟の心の負担を少しでも減らすことである。
病院に行き、身の回りの不便を解決する度にやっぱり「ごめんなぁ。ごめんなぁ。」と、弟は言った。
喋るのも辛く、脱気のための傷口だって痛いはずなのに。
そもそも、弟は山手にある会社まで自転車通勤をしている。出発する前には既に症状はあったらしく、その状態で山へ向かう坂道を含む5キロの道を片肺で行き、午前の仕事をこなした末の救急搬送だったと言うのだからどんだけ無理するねん。
ちゅーか、よくそれだけ動いたな。
私は苦々しくそんな事を思いながら、吉本新喜劇の芸人アキさながらに務めて明るく私は「いいよぉ〜!」を繰り出した。
弟の「迷惑かけて」「ゴメンなぁ。」の言葉に終始モヤモヤした。
何でこんな気持ちになるのかわからない。
分からないからとりあえず「ゴメンなぁ。」には芸人アキの「いいよぉ〜!」だけを繰り返し返し続けた。
でないと、何だかいらぬ事を言ってしまいそうだった。
病人の言葉尻で不快になるなんて。
ああ、もっと大らかなお姉ちゃんでいたいのに。
そして"全然迷惑じゃないのに。"と、心の中でそんな言葉がぐるぐる回る。
ぐるぐるぐるぐる。
今、弟にとって近しく頼りやすい存在なのは年老いた母と私だ。
きっと私は自分が今、"弟にとって一番頼れるべき者でないと。"と、気負い過ぎだったのかもしれない。
"ゴメン"なんていちいち気遣われる立場ではいけないのだ。
チクショーと、絶叫できるなら絶叫してやりたい衝動に駆られた。
こんな思いをしているなんて、病人には絶対言えない。
そんなことに気負ってるなんて、気取られないようにしなきゃならない。
私は自然に誰よりも大丈夫そうにしてなきゃいけない。
弟に「自分の事以外、心配しなくても大丈夫だ。」と、安心させなきゃならない。
***
それから母は疲れが出たようで惜しくも皆勤賞を逃したが、私はなんだかんだで毎日病院に行かざるを得ない強制皆勤賞状態になっていた。
何故かというと、弟がより良い入院ライフにする為にAmazonでお買い物をし、その送り先を我が家にしていたからだ。
デスク扇風機(弟は暑さに弱い)やスマホを快適に視聴するグッズなどドシドシ我が家に送られてくる。
ワタシはそれを毎日病院に送り届けるのだ。
Amazonの箱の中の物を出し、それを抱え病院行きのバスに乗り、着々と弟のベッド周りがカスタマイズされて行くこと3日目。
我が家に着々とダンボールゴミが増えること3日目でもある。
仕方がないとは言え、容赦なくAmazonから送られてくる荷物を眺め、ふと思うワタクシ。
「アレ?アイツ、Amazonでお買い物しちゃうくらいには精神的には元気…?」一応、酸素マスクとモニター、点滴、脱気の機械と物々しい機械に繋がれ流石にダルそうな様子ではあるが、本人にはそれくらいの余裕があるのかと思うとその時、ようやく自分の緊張が緩んだような気がした。
変なココロのカドが取れたその日、病室に入ると相変わらず水の入った脱気の装置がボコボコを音を立て肺の中の空気を流している。もうそりゃあボコボコと。
それまでこのボコボコ音が、弟の異常を知らせる警告音のようでずっと怖かった。だけど、この日はその音を聴いてワタシが口に出した言葉は
「…アンタ、肺にグッピー飼ってるみたいやな。あと、気胸ってブラックジャックの話にあったよな。あの話また読みたくなった。」
弟は「…あったなぁ…"けいれん"(って話の回)やな。」と、ダルそうにしながらもニヤリと笑った。
弟が入院してから初めて笑った瞬間だったように思う。
うう。改めて己の器の小ささと情けなさに5秒だけ反省。
所詮、付け焼き刃でこさえた器のなんぞ泥の船並に脆いもんである。
結局、グッピーを飼育しているとしか思えない弟の肺は案の定、全く塞がらず手術する事になった。
ただ弟の場合、塞ぐだけでなく、元々嚢胞ができていて肺の表面の一部が薄くなっており、範囲が大きいのでそこも切除する。これを除去しなきゃ再発率が高いらしい。
手術室に行くエレベーターの中で弟は私の知る限り彼のしょんぼり顔トップ3に入るほどの顔をしていた。
「アンタ…今、アンタ史上稀に見るしょんぼり顔してるで。」
そう言うと、プロレスラーのような体格の弟はションボリしながら小さくコクリと頷いた。
一緒に乗っていた案内の看護士さんは吹き出していた。
弟は人生通算二度目の手術。一度目は高校生の時、盲腸で考える間も無く即手術だった。今回は時間があった事もあり、なんとも言えない不安や心配が襲ってきているのだろう。
エレベーターが止まり、弟はやっぱり
「ゴメンなぁ。」
と、ひとこと言って手術室のエリアに入っていた。
私の緊張が彼をそう言わせてしまっていたのだろうか。
単に、ついそう言っちゃうものなのかも知れない。
私だって言っちゃうんだろうと思う。
大して重い意味でもなかったと思う。
いろんな関係性の家族もいるだろう。
だから、家族だから親だから兄弟だからなんて十把一からげに言えない事だけれど、ただ、自分が息が出来ないほど辛い時くらい、ゴメンなんて一々言わないでもいい人がいるんだと思ってくれたらいいのにと思う。
少なくともAmazonの箱6つ分の荷物を病院まで運ばせるくらいの相手に対しては。
退院したら、そんなに「ゴメンなぁ。」って言わなくても大丈夫だって伝えてやらなきゃいけないなと思いながら、ワタシは弟を後ろ姿を見送った。