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屋久島 第2章

「今浴びているこの水を知っている」と思った。
浜ちゃんが葉山へと帰り、久しぶりのひとり海上がりに浴びた、山からごうごうと降りてくる雨水と、しとしと降るお天気雨。

ついに浜ちゃんラストナイトということで一昨日の夜、お世話になった方たちを招いて持ち寄りご飯会をした。
夜遅くまでいい時間を過ごし数時間眠ったのち、まだ眠い目をこすりながら雨降る朝、屋久島空港で見送った。
同じくまだ眠いだろうに見送りに合流してくれたTさんとMさんと少しお茶をして、僕はひとり波乗りに向かった。

屋久島に来てからひと月と少し。
そのうち3週間寝食をともにした友人がいよいよ帰るとなり寂しいのはもちろん、自分まで屋久島生活の終わりを迎えるような氣持ちになり、今見ているこの景色もいつまででもないのだ、とより一層寂しさがつのった。

そんなことを思いながら海に着いたら、抜群にいい波ながらも少し混んでいた。隣のポイントは誰もいないが、充分に楽しめそうだ。あまり人と喋る氣にもなれず、一人で誰もいない海に入った。
波は、少し潮が引いてきたためか割れるのが早く、乗るのに難しい波だった。海底の岩やサンゴも見えていて、怪我をしないように全身で意識を巡らせながら数本乗った。
それにしても美しい海だ。
朝までの大雨が嘘のように晴れていて、雨に洗い流された山はキラキラと輝いている。風も止み、波もガラスのようにツヤツヤと輝いている。
あまりいい波には乗れなかったが、一人ならではの緊張感のある海との一対一の交感を全身で楽しんだ。

屋久島の海のいい所の一つに、海上がりにそのまま川で潮を流せることがあると思う。海よりも冷たいその川の水は心身をシャキッと引き締めながらも後にはふわっとほぐしてくれる。
今日一人で入ったポイントには川がないので、大雨のあと山からごうごうと降りてくる山水をボトルに汲んで浴びた。
ちょうどお天気雨もパラパラと降ってきた。

友人と一緒に4泊5日で旅した宮之浦岳縦走。(その様子はこちら)
島の中央にそびえる宮之浦岳の山頂に降る雨とその景色、旅の間中、顔を洗い水を汲んだいくつもの沢を知っている。
山を巡る水と一緒に歩いた時間がまだ体に残っている。

山からごうごうと降りてくる雨水と、しとしと降るお天気雨は、山を歩く前とは全く違ったリアリティを持って今、体を洗い流してくれている。
「今浴びているこの水を知っている。」
全ての山が前よりも近く、そしてより厳かに美しく語りかけてくるようだ。

一人の時間から二人の時間、そしてまた一人の時間へ。
しかし、今は最初の頃とまるで見え方の違う山と自分自身に氣が付く。

屋久島生活、第2章へ突入という感じ。
初めて西回りでお家に帰った。

イカ釣りに行ったら大きな虹が釣れた朝のスケッチ

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この文章を書いている途中、星野道夫の『旅をする木』の中の「もうひとつの時間」というエピソードを思い出した。

「いつか、ある人に聞かれたんだ。例えば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるか?って」
「僕なら、写真を撮るか、もし絵が上手かったらキャンパスに描いて見せるか、いや、やっぱり言葉で伝えるかな?」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆく事だって... 夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆく事だと思うって」

星野道夫「旅をする木」

時間、そして人の可能性というのはどこまでも面白い。
屋久島 第2章、よろしくお願いします⚪︎

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