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ベッドに斜めに寝ている人の空間認知

ベッドに斜めに寝ている患者さん、多いですよね。
こういう人を見て、
「空間認知がおかしい」という評価をする場合があります。これは果たして正しいのでしょうか。

空間認知がおかしくて、ベッド上での姿勢制御がベッドという環境に対して正しくは無いという考え方に、もし空間認知が運動制御と姿勢制御を混乱させていて結果ベッドに斜めに寝ているというという意味であれば多分その評価は、間違いもしくは足りないと思うのです。
この考え方は、空間認知がトップダウン的に姿勢と運動を制御しているという考え方が内在するように思いますので、そのトップである空間認知にどうやって働きかけるかがとても難しい問題になってしまいます。

では、何を考えていけばよいのでしょうか。

少し話を変えて、生まれたばかりの赤ちゃんがどうやって空間を知覚していくのかを考えてみます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、空間の知覚と言ってもほとんど上手に処理できません。なんと言っても生まれたばかりですから。
物を見ても、その物体の距離であるとか重さであるとか、何に使う物かなどは初めての物だらけでわからないですよね。
物体の距離を知るには、自分からどの程度離れているのかと言った感覚を体性感覚、例えば伸ばした手が当たるなどの感覚で理解するのです。
だけど、それだけでもまだ不十分です。
そう、生まれたばかりの赤ちゃんは自分の手の長さも解っていないから。
赤ちゃんが最初頃に獲得する姿勢/運動の一つに正中位指向( mid line orientation)と言うのがあります。仰向けの赤ちゃんが手や足を持ち上げて身体の真ん中で触って遊んでいる姿を見たことがありますよね。


手足を身体の真ん中に集めることで、身体の中心軸を知覚して、手足の動きによって正中にある重心がどのように移動したかという経験が脳の中で情報処理されて四肢のアームの長さ変化に伴う重さの変化、重心/支持面(BOS)の変化から手足の長さを知覚するきっかけになっていきます。
これらはまだ不十分ですが動きとともに身体図式と言われる物を脳の内部に生成していくのですね。

で、あるとき手が物に当たる。それはお母さんでも良いし、おもちゃでも良いのですが。
当たった感覚に気づいたら何だと思ってみたりします。そうすると自分の感覚のあるところに手と対象物が見えたりします。それは手の重さの変化や重心の移動といった情報とともに触覚刺激が入って、視覚情報と組み合わさります。そこで手の長さ、距離の感じや触れた物の感覚が視覚と一致し始めます。外的環境を知覚していくわけです。
おもちゃが音を出して楽しかったり、お母さんが当たった手を暖かく包んでくれたりしてとても楽しい気持ちになったりすると同じ事を繰り返したりして学習は進んでいきます。
あるとき、手足をギュッと空に向けて伸ばしたりすると、重心が高くなり、身体の向きがごろんと変わったりすることがあるかもしれません。外的環境の中で中心軸が移動し、変化した方向の空間が新しく視覚情報として入ったりします。そっちにはまた違ったおもちゃがあったりして。

大分はしょりましたが、赤ちゃんはこうやって手足の感覚や正中軸を知覚していき、それらを中心に外的環境の構造や意味を知っていくことになります。

なぜ、赤ちゃんの話を出したのかというと、外的環境を正確に知覚しようとすれば正中軸を持った身体像が基盤になると言うことと、身体像や視覚の認知は運動によって構築されていて、それらは切り離すことが出来ないことだということをお話ししたかったのです。トップダウン的な認知→運動といった構造だけではなくて、運動→認知といったボトムアップの情報処理(あ~こんな話を書いているとどっちがトップなのかよくわからなくなりますね)が大事。
脳の基本的な構造は赤ちゃんと大人、変わらないですから。

では、話を元に戻しましょう。
ここまで読んでいただければ、
「空間認知がおかしい」という評価に多くの情報が必要である事が解ってきます。
この表現が、トップダウン的な発想であればそれはやはり間違いで、常に認知と姿勢/運動の相互的な関連性を意識しての表現であるなら正しいのです。

空間認知がおかしいとして、それにできるだけ適正な視覚情報を送り込み、どの程度空間に対する視覚情報処理が出来るのかと言ったことを知りたいですよね。
身体像や正中軸、それらを構築する姿勢と運動を、その人にどのような感覚入力が入っているのかと言ったことや、どのような感覚の変化を提供したらよりよい姿勢制御と運動性になり、それがどのように視空間の情報処理につながるのかといったことを踏まえつつ、どのような空間世界にそのかたがいて、結果ベッドに斜めに寝ちゃっているということを推論していくと、空間知覚に対して徒手的にアプローチする方法も見えてくる気がします。

例えば、斜めになっちゃう人って、ベッドに座った時点で姿勢制御は混乱されている様子がうかがえます。


一例ではありますが、こんな姿勢の人おられますよね。
骨盤が左後方に崩れ、重心が左に落ちそうになっている。足は左足が屈曲して床面から浮いていて、倒れそうになる身体を必死で右に身体を曲げて手でベッドを持って姿勢を維持している人。
おそらく左右の座骨はすでに圧(重力がかかった感覚)が不均等で、左右で異なった情報を脳に運んでます。足部は左が浮いているので左右の足底から床の水平面を感じ取るのは難しいかもしれませんね。床やベッドの水平が知覚できていないとしたら、どうなるのでしょう。
また、もしかすると左方向の視空間失認と言われる物も存在しているかもしれませんが、こういった人は頸部の可動性も左右差が激しいはずです。左の身体をもう少し知覚できたらもしかしたら左の方向に首や目を向けてくれるかもしれないですね。
そういった介入が可能かどうかを確かめながら左手もベッドの上に手が置けたら、手のひらからの情報は左右から入力されて、左右の脳の情報交換(脳梁を介した交連線維の働き)で損傷した側の脳の残った部分が意外な働きを見せて空間認知が良い方に変化するかもしれません。
左右が比較的対象に座れたら、そこで、正中軸や垂直軸はどうかという話も出てくるかも。
そしたら抗重力伸展活動を体幹に要求してみます。座って、少しでもまっすぐ垂直に重心が上に上がっていく運動が出来るようであれば、正中軸や垂直軸をよりよい方向に変化させることが可能かもしれないです。そしたらもっと周辺の環境は知覚しやすくなるはず。
そういった介入をしてみて、ベッドを知覚してもらった後はもしかしたら、最初よりまっすぐ寝てもらえるのかもしれないですね。

このあたりのこと、上縦束とその周辺領域の働きで結構説明がつきそうな気がしています。

さて。
相互作用について数理科学で明らかにされているのは、相互作用の形に本質的に違う以下の2つの在り方があることが知られています。

1)線形な相互作用と呼ばれているものです。それは、この𝑉𝐴𝐵を通して互いに相手に影響を及ぼす場合に、単にAは一方的にBに影響するだけであり、また、Bは一方的にAに影響するだけのような特殊な相互作用です。

2)非線形な相互作用と呼ばれているものです。この𝑉𝐴𝐵を通して互いに相手に影響を及ぼす場合に、AがBに及ぼした結果Bが変化し、その新たに起こったBの変化が翻ってAに影響を及ぼして新たにAが変化し、その変化がまたBに影響を及ぼし、、、、とぐるぐると回って互いに影響し合うような相互作用です。

そして、1)の線形の場合には、色々な変数変換を施した結果、その新たな変数の間に相互作用がない互いに独立は変数を見つけることができ、全体の性質はやはり部分の和で書くことができることが知られています。従ってこのような単純な形は還元主義的に理解できます。

ところが、2)の非線形の場合には、どんなに変数変換を施しても、相互作用を消去できない場合がほとんどであることが知られています。ですから、全体を理解するためには、系を部分系に分けて部分系の性質の和として理解するという還元主義的に分析するのではなくて、系全体をひとまとめに理解しないと、その系を理解するにあたって本質的な事柄を削ぎ落としてしまうことがあるのです。

生命現象は、この非線形効果が典型的に現れている現象です。ですから、いくら原子や分子にバラバラにしてその性質を精密に分析しても、論じることができない重要な性質を削ぎ落としてしまっているのです。 ということを念頭に置いておくと、空間認知が悪いからベッドに斜めに寝ているという論理が間違っていることが解ります。
人は非線形な相互作用を持つものですので、空間認知→環境での行動という図式が成立しないことになります。
環境⇔空間認知⇔行動⇔環境という相互的で複雑な相互作用が本質的な形なのです。

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