『宣伝が出来ない劇団員をどうするか』の答え
集客問題、以前の問題。集客どころか、宣伝や告知すら出来ない団員がいることをよく耳にする。劇団あるあるなんかな??
その理由は人によって千差万別だろうけれど、ひとつに営業が苦手な人が多いんじゃないかと私は思う。
売り手が売り込む商品の良さをちゃんと理解出来てなかったり、謙虚さを勘違いして商品の紹介が上手くできなかったり、そういうのから苦手意識を持っちゃってる人は多い気がする。それで、求めている人にちゃんと情報が届けられて居なかったり、告知や宣伝するたびに嫌な顔をされるようになったりして、ますます集客できなくなる、みいな。
“営業”自体をネガティブに捉えてるんだろうな。宣伝や告知するのですら申し訳ないと思う人も少なくない気がする。「買ってー!」と声を出して言うことが憚られるのは、そういうところじゃないかな。
私達が忘れちゃいけないのは、「宣伝告知は、ファンサービス」であるということ。(団員には散々言ってきてるので耳ダコだよねごめんよ。)
お客さんからしたら、宣伝告知してもらえるのは普通にそれだけで嬉しいし、それで推しとメッセージのやり取りができるなんて最高のサービスなのである。それと、身内やリアル友達からすれば、観に行く行かないは置いといて、普段どんなことをしているのかは知りたいと思うし、そんな話が気軽にできる人間関係であるべきだとも思う。
でもまぁ、私も宣伝告知できない人間だったので気持ちは分かるよ。
私の場合、身内に声をかけたくないのは、演劇が身近にある人があまりに少ないからだった。演じる姿を馬鹿にされそうで怖かったのもある。自分自身もまた、変身願望から役者をやっていたこともあって、見られるのは恥ずかしくて嫌だった。
自分を含め、どいつもこいつも『演劇』を『ごっこ遊びの延長』としか認識していないのが問題なんだな、きっと。
演劇は芸術活動だし、私達はアーティストだ。演劇は社会貢献であり、商売でもある、私達はビジネスマンだ。『どうすればもっと売れるのか』という研究は、作品を作る上で付随しなければいけない課題である。(はたしてどれだけの演劇人が真摯に向き合っているのだろうか。)
話を戻すけれど、宣伝告知が出来ない団員達は、商品(作品)に対する理解や研究がもっと必要なんだろう。この商品はここが素晴らしくて、こういう人に買ってほしい!こういう作品になればもっと売り込みやすい!みたいな意見を出し合わなきゃいけないんじゃないかな。
そして、それすらできないとしたら、なにかしら自身に問題がある気がするし、本人たちがそれは一番わかっているんじゃないだろうか。所謂、温度差ってやつ。演劇に対して本気じゃないんだろう。
だから、しみず(劇団こいろは主宰)が『もし宣伝告知すら出来ない団員がいたらどうするか』の問いに、『宣伝したよ!って報告を挙げないならペナルティをあたえる!とか??』と答えた時はひっくり返った。
いやいや、そんな『宣伝の報告』なんて、いくらでも嘘がつけるじゃないか。逃げ口ガバガバの作戦に思わず私は呆れてしまった。
しみずは昔から感覚派で、言語化するのがあまり得意ではない。彼女がボードゲームなどの戦略が苦手なのも知っていた。なかなか私の意見も伝わらず、この話し合いのときはヤキモキした。
けれど、理解できてなかったのは私だった。しみずの本意が知れたとき、私は自分が恥ずかしくなった。
しみずはまず、自分の劇団員を信じている。
団員たちが嘘をつくなんて思いたくない。本気じゃない団員なんてウチにいないし、本気じゃないのならばそんな団員はいらない。もし宣伝告知が出来ない団員がいるなら、それはきっと発信することに慣れていないだけだろう。彼女はそう考えたようだ。
『だから、とにかく発信するきっかけを与え続ける。癖付けれるように訓練する。あとは、先陣を切る団員達があとから来る団員たちのためにも道を作っておくことしかできないだろう。』
言葉こそ違うものの、彼女の思想はこうだった。
本当に、ウチの主宰がこういう人でよかった。きっと、しみずがこの記事を目にするときには「そんな話したっけ?」と忘れているのだろうけれど。
『他人は変えられない』ということと、『まずは信じる』ということは、私のモットーであったはずなのに、気がつけば忘れてしまっていた。自分の都合の良いように他人を動かそうとしてしまった。これは反省しなければいけない。
結果が出せない相手も、“やりたくない”とか“やる気がない”とかでなく、“できない理由がある”のだ。そこから問題を見つけて、ともに解決していくことを考えるべきだ。
温度差もそう。きっと一人一人が、きちんと自分のやるべきことをやり、互いに切磋琢磨すれば、バラバラだった心も自ずと一つにまとまっていくものなのだろう。
トラブルをみつけたとき、まずは、自分の行いを振り返るのは大事かもしれない。他人の粗はよく見つけられるが、はたして自分はどうか。自分にできる事、できた事は、まだあったんじゃないだろうか。
問題児をみつけたとき問題児にアプローチをかける大人が多いが、『問題』は、問題児を取り巻く周りの環境や、はたまたアプローチをかける大人自身にあったりする。問題児は初めから問題児だったわけじゃない。
『宣伝が出来ない劇団員』を育てているのは劇団だ。
『問題』があるのはその劇団員ではなく、劇団なのである。
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