僕はお別れの場で泣けましぇん!あなたのことが好きだから!
またしても葬儀に関する不謹慎かもしれないシリーズ。
私以外にもこういう人いるんじゃないかなという期待も込めて
今回は「葬儀で泣けない私は冷たい人間なのか」について書こうと思う。
そういえば卒業式でも泣けなかった
「寂しい」「悲しい」「別れ」みたいな場が苦手だ。
いや、得意な人なんているのかよって話だけど、ちゃんと意味があるから
「卒業式」や「葬儀」などのセレモニーがある。
一旦一区切りだよ?????という圧が苦手で苦手でしょうがない。
「いいの?言い残したこと、やり残したこと、ない?」「伝えておかなきゃいけないことない?」「忘れ物ない?」「ティッシュ持った?ハンカチ持った?」
と、小学生の頃おかんが家を出るときに畳みかけてくる量の問いかけを
私の脳内おかんが、おせっかいだなあというくらい問いかけてくる。
脳内おかんのせいで冷めるのよ…
そうなるとちょっと冷めてしまう。
「どうせまた会えるし」「つながりが無しになるわけではないし」
「出会えた事実は消えないし」…
とバリバリ反抗期の脳内娘が「うるせー」と反撃。
反撃をアウトプットするときには、なぜか「ヘラヘラ」してしまう。
脳内おかんも、脳内娘も正しいのよ、どっちも合ってるのよ。
だから、そこの気持ちをうまく飲み込むことが出来ずに、
葬儀や卒業式など別れのセレモニーの場では自分の気持ちがわからなくなってしまう。
「お別れ」の受け止め方はイロイロ
大好きな人、離れたくない人との「お別れ」を受け止める時間や受け止め方は人それぞれだ。
意外とケロッと受け止められる人、ずーーっと受け止められない人もいる。
ケロッと受け止めたからといって、相手に対する想いが軽いというわけではない。しっかりとその人なりにお金や時間などをかけて、供養をする人をたくさん見てきた。
葬儀に関わって、しかもお墓を売って、大切な人を亡くした人と接する機会が多かった私 is エビデンスだ。
私は「お別れ」の処理速度がちょっぴり遅くて、受け止め方がド直球なんじゃないか?
ここで大好きな人を思い浮かべてみてほしい。
会えただけで超嬉しくないですか?
私はうれしいです。
なので、いくら「お別れ」の場で合っても会えたことの「嬉しさ」の方が勝ってしまう。
しかも大好きな人が主役…なんてことになるともっと嬉しくなってしまう。
だから、お葬式もやはり悲しい、儚い…みたいな気持ちも抱きつつ、
会えてよかった!尊い…!みたいな気持ちも抱いてしまうのだ。
「お別れ」の前に「会えた」が先行してしまうのだ。
だから、処理速度が遅くなってしまう。
これでいいのだ
葬儀で泣けない自分は冷たいと思っていたけど、ちゃんと1つずつ考えたら「大好き」が先行しちゃって「寂しい」より「会えて嬉しい」が先行してしまうことがわかった。
そう考えると冷たくなんかない。なんか飼い主に会えた柴犬っぽくていいじゃないか。
「お別れ」の場でもしっかり嬉しさでしっぽをぶんぶん振りつつ、
「お別れ」の独特の雰囲気でそわそわしてしまうような…
正直に自分のやり方で「お別れの場」で「大好き」を伝えられればいいと思う。
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