三宅香帆・著『女の子の謎を解く』からの連想
三宅香帆・著『女の子の謎を解く』
それまで全く知らなかったのですが、ここ note で三宅香帆さんを見つけて読んでみて、物の見方が非常にフラットなことに感銘を受けました。それで初めて彼女の著書『女の子の謎を解く』を読んでみたのですが、こちらも非常にフラットで、しかも明晰な分析です。
いや、フラットな上に明晰というのは雑な表現であって、物事の奥深いところまでしっかり見据えているからこそそのフラットさが維持できている、というのが正しい表現だと思います。
雑駁な言い方をすると、この本は女性と社会について書かれたものですが、彼女自身が女に生まれたことに対する呪詛めいた表現は全くありません。
今の世の中が女性をどう扱っているかということについては、もちろん彼女自身にも大いに不満もあるのでしょうが、そういうことはあくまで冗談めかした表現で短くインサートされているだけです。
つまり女という立場から女を語ったりはせず、ただ人間として社会を見、読者/観客として作品を語っているのです。そのスタンスと文章のリズムには小気味良いものがあります。
「あとがき」で彼女は「けっこうずっと『批評』が好きでした」と書いています。そして、
と続けています。これは僕も全く同感です。僕自身も、自分が書きたいのは読書感想文ではなく書評だと思っていますので。
そして、こういうフラットな物の見方ができる人こそが、真の批評家になれるのだと僕は思っています。
この本では、ありとあらゆる小説、漫画、映画、テレビドラマ、アニメなどに登場するヒロインたちと、そのヒロインたちを取り囲む環境を片っ端から分析しています。
『源氏物語』から始まって、僕でもタイトルだけは知っている少女漫画の代表作、ディズニーやジブリの名作、『ルパン三世』の峰不二子、『逃げ恥』、『アナ雪』、『映像研』、AKB と坂道アイドルたち、小津安二郎、『寺内貫太郎』、村上春樹、そして上野千鶴子をはじめとするいくつかの評論も網羅しています。
もちろんこれらを全部残らず読んだ読者(観た視聴者/観客)はいないでしょう。でも、彼女の筆致を追っていると、知らない作品や作家についての文章でも充分に楽しめます。ここが彼女の素敵なところで、彼女は単なる評論家ではなく、自分の文章を楽しく読者に読ませる文筆家なのです。
ヒーローやヒロインの陰には必ず彼らを支え、ケアする人間が必要となります。もちろん昔の作品ではヒーローやヒロインの、そんな裏側なんて描かれていなかったかもしれません。でも、人が実際に生きて行く上では絶対にそういう存在が必要なのです。
それは人は休まないと生きていけないからです。そして、かつてはそういう役割を一手に引き受けてきたのが女性でした。その社会が少しずつ変容し始めており、そのことが作品の中にも反映され始めているというのが、彼女がこの本の最初のほうに書いている論旨です。
以下、いくつか文中から引用してみます:
ここにはあえて上記の文章がどの作品に触れたものなのかは書いていません。それは皆さんが読んで確かめていただきたい。僕にはとても説得力がありましたし、とても面白い読み物でした。
僕の大学受験記
さて、ここから先は三宅香帆さんから離れて僕の個人的な話になるので、書評をお読みになりたかっただけという方はどうぞここで離脱してください。
三宅さんはこの本の「あとがき」で、
と書いています。それは確かにそうですね。
まとめちゃった途端に非常に類型的な発想に陥ってしまう可能性もあります。でも、結局彼女は、「やっぱりまだ語られ足りないヒロインたちを描きたい」という思いからこの表題でこの本を書きました。僕は結果的にこの著作がそういう危ない罠に嵌ってはいないと思っています。
そして僕は、彼女のこの文章を読んでいて、自分も「男」とか「男の子」という風に随分無理やりに括られて来たなあということを思い出したのでした。
僕の場合は父親が化石みたいな封建主義的、家父長制的な価値観の持ち主でした。小さい頃から「男やったら泣くな」とか「男が泣いてええのは親が死んだときだけや」などと繰り返し言われてきました(それは「俺が死んだときには泣けよ」という意味でもあったと思います)。
親に逆らおうとすると、「誰のお陰で今日まで飯が食えたと思てんねん!」「誰が金出したったと思てんねん!」と罵倒され、下手すると殴られ、姉も僕も父親にはほとんど逆らえずに育ってきました。
中学に入って卓球部に入ろうとしたら、「アホ言うな、ピンポンなんか女のやるもんやんけ」、大学の文学部を受験したいと言ったら、「文学なんか女のやるもんじゃ」と言われ、希望は果たせませんでした。
父は眼鏡やレンズなどの光学製品の貿易会社を経営しており、その会社を僕に継がせるために小学生の僕に英語を教え、自分が文系だったので「理系の大学に行って光学の知識をつけろ」と言い、「もし受験に失敗したら大学なんか行かんでええから、会社に来て手伝え」と言っていました。
結局、僕は経済学部を受験しました。理系ではありませんでしたが、彼にとっては経済学や会計学も会社経営に役立つ可能性があったので、恐らく許容範囲だったのでしょう。
現役受験に失敗して黙って一浪を決め込んだのが父親に対して初めての反抗でした。それができたのは母親が味方についてくれたからです。
「そんなこと言うても、もう予備校の入学金と授業料を払い込んでしもたもん」と母に言われて、ドがつくケチの父は払った金が無に帰することが辛抱できず、不承不承容認したのです。
ところで、僕らは大学受験の結果を卒業後の母校に報告に行く習わしになっていました。高校の職員室に担任だった教師を訪ねて「落ちました」と報告すると、担任は「え? 君落ちたん? えー、君は通ると思たけどなあ」と言いました。
びっくりしたのは僕のほうで、「先生、『君の合格の確率は五分五分や』って言うたやないですか?」と返したら、担任は澄ました顔で、「うん、男の子にはちょっときつめに言うねん」と言ったのです。
こんなところでも、僕は「男」「男の子」という型に嵌めて捉えられていたのか!とショックを受けました。
男の子にはきつめに言っておくと「なにくそ!」と奮起する、女の子には優しく言わないとへこたれてしまう──そんな男女観だったのでしょう。でも、あの時代にして既にそんな子たちばかりじゃなかったはずです。
僕は「五分五分」と言われて「なにくそ!」とは思いませんでした。同じ学年に、志望校欄に「京都大学法学部」と書いて提出したら担任に笑い転げられた挙げ句、「おもろい。受けてみぃ」と言われ一念発起して見事京大法学部に通った奴がいましたが、僕はそういうタイプではありません。
過去何百人の生徒たちを見てきたベテランの先生が五分五分と言うのであれば、それはそうなんだろうな、と単純に受け取りました。
その時に考えたのは、五分五分の丁半博打に賭けてみるか、それとももう少し確実に合格できそうな大学に志望を変えるか、ということでしたが、結局初志貫徹しました。
1年後にまた同じ大学を受けたのは、「あ、ひょっとしたら1年目で通っていたかもしれなかったんだ」と思ったからかもしれません。1年目に「君は通るだろう」と言われていたらきっと通っていたなどとは言いません。ただ僕は、良いことも悪いことも正確に伝えてほしいと思うだけです。
まあ、幸いにして僕は一浪で合格し、母と共闘してのらりくらりと父の横暴をかわし、貿易とは何の関係もない放送局に就職し、その後は父の思いなどは無視して生きてこられました。
漸く僕はカビの生えた旧い男女観から解放されて生き始めたのです。母との離婚をきっかけに既に没交渉になっていた父の死を知らされたときも、僕は全く泣きませんでした。
『女の子の謎を解く』で描かれているように、女の子たちも大変です。でも、自らが少しずつ変わり、世の中も少しずつ変えて行かなければなりません。男の子たちも全く同じです。
この本を読むと、世の中が少しずつ変わって行き、それが文学や映像の作品の中にしっかり反映されていることが確認できます。この本を読んで、そういう意味で、僕はなんか嬉しい気持ちになってしまいました。