自由な表現を邪魔するものがあるとしたらそれは何か
元々演劇は何でも観る方だったが近頃は興味の無いものを観るために2時間も3時間も拘束されるのに耐えうる体力が無くなってきた。
「これなら家で片手間にDVD見てた方が安いし楽だ」問題である。
僕は映画が好きだが、DVDで見て満足できるし、むしろ映画館では姿勢を保てずにゴソゴソ動いたり、それが他の人の邪魔になるんじゃないかと気になったり、全く楽しめない。
(最近DVDで見て「これは映画館で観たかった」と思ったのは、「正しく生きる」。とにかくスタッフロールの余韻がすさまじく身体中に響いて、家ですらテレビの前から動けなかった)
さて本題。
何が言いたいかというと、舞台作品(演劇に限らず)に関しても、劇場(ライブ)で観たいものとそうでないものがあるということだ。
演劇の何が今まで僕を惹き付けてきたのか、それはまさしく目の前で、稽古場で作られたであろうドラマが、あたかも今発生しているかのように再現されているという一見無意味なその芸術性に他ならない。
この仕掛けが分かってしまった今、そこで起きるハプニング性に興味が大きく傾いてしまい、劇場まで観に行く作品の数が大幅に減ってしまった。
最近は特に演劇以外の所謂「現代アート」みたいなものに触れるのが自分のペースで観れるから楽で、しかもそういうのは演劇よりもはるかにシンプルな方法で色んなものを見せてくれる気がして、マイブーム。
あとは即興演奏がすごい。
現代音楽と呼ばれるジャンルも、なかなか情報を掴めなくて(福岡では少ないのかな?)機会は少ないけど、面白い。
そんな感じで今自分がやってることが、もしかしたらかつて暗黒舞踏とか今ならコンテンポラリーダンスとか呼ばれるものに近いような気もするし、あるいは河原温さんの作風にインスピレーションを受けてるかもしれない。とにかく、演劇という『枠』に囚われない『ノージャンル』であることを意識している。
という意識自体が既に演劇に囚われてるということかもしれない。それは仕方ないと思う。僕は演劇しかちゃんとやったことがないし、まあ演劇すらちゃんとできてないと言えばじゃあやっぱりノージャンルかとか、くどくど考えていた時期もあったけど。
で、なんでその『枠』にこだわるのかっていうと、この『枠』が自由な表現を邪魔しているように思うからだ。
なんでもかんでも『演劇』と呼ばれてしまう時代では、こっちが何をしようと「それは演劇的にはこうした方がいいんじゃない」とか余計な口出しをしてくる輩がいる。
その時点でその作品は彼の中で死んでしまう。
出来損ないとして、生まれてすぐに死んでしまった。あーあ。
だいたい演劇で正解ってなんだ。伝統芸能か。
とか色々考えて行き着いたのが今の感じ。
こっちは喋る代わりに自分の表現を模索して見つけた手段がこれなんです。『演劇』をしてるわけではないので、ご迷惑はおかけしません。
熱くなってしまった。
『演劇』を観たい人は観てくれなくなるだろうか。
他ジャンルの表現(できれば芸術かアートと呼ばれたい)を観に、何かを受け取りに足を運んでくれたら嬉しい。
何も受け取れなかったとしたら、こちらの伝え方が悪かったのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?