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旅人歴10年の私がバックパッカーを辞めた話



30カ国。


世界には200近い国がある中で私が訪れたことのある国の数はそのたったの15%ほど。

世界一周というよりも、行きたいエリアにだけ点々と訪れるひとり旅を重ねた。
アジア、アフリカ縦断、変わったところだとチベットやパプアニューギニア、バングラデシュなど…。
たったの15%ですが、文字通り自分の世界を広げる良い経験だった。

そんな私は、旅をするのにいくつかルールを設けてた。


バックパッカーあるある
というよりもこれは私の旅のこだわりの話と、そのこだわりが無くなっていった話です。

平成の歩き方で街を知る

2015年/ラオス・ルアンパバーン


バックパッカーを始めたのは10年前、大学生の頃です。当時はeSIMなどなく、SIMフリーという概念すらぼんやりしており、貧乏旅人の私はWi-Fiを借りるなんて選択肢は1ミリもなくいわゆる電波無し旅でした。


とはいえ、平成。


地球の歩き方を片手に歩くような時代でもなかったので、オフライン地図アプリをつかってとりあえず帰れる!という安心材料を作ってから、まずは宿から目的なく出歩くのが私のこだわりルーティン。

謎の果物やら、食べ物やら、名も知らぬものに引き寄せられながら一日中歩き回る。

「これはなんていう食べ物?」

など聞いて、教えてくれるのだが、聞き慣れない言葉なので大体3分後には忘れてる、というところまでがルーティンと化してた。
初日だと目的なく歩いて、その街の空気を吸ってるだけで楽しい。

2日目以降、同じところに行くと顔を覚えてもらえるのが嬉しいんですよね。
そんなことを繰り返していると少しずつ街を知れる。

着いた初日は何も予定を入れずに疲れ果てるまで歩き回るのが恒例だった。



紙ではなくなんでもスマホ手記

2020年/バングラデシュ・ダッカ



SNSはあまりやっていなかったので、旅の感想やら覚えておきたいものは全部スマホのメモ帳に時間と一緒に記録してた。


以下は当時の残ってるメモの一部。

15:30 3時に屋上でご飯食べよう!と言ってたラージ君、来ないので下に降りたら何故かウノしてた。なんでやねん。
16:08 きのうのアトデチョット君、顔を覚えてたらしく、「アトデ言ったでしょー!」と怒られてしまった。

2016年 山田のインド手記より



なんのことやら覚えてないけど、メモを読み返すとうっすら記憶が蘇ってくるから面白い。

たしかゲストハウスで仲良くなった男の子のラージ君がマイペースすぎて異文化を感じてたんだと思う。アトデチョット君は、おそらく宿の近くの客引きボーイだろう。


紙の手帳だとこう気軽に読み返せないので、数年経ってから読むとまた面白い。

何にいくらかかったとか、こんなウザい奴がいた、虹が綺麗だった、とにかくなんでもメモしてた。


もしいつか…旅の本を書くことがあれば、これを引っ張り出そう。
そんなことを考えてメモするこだわりを持っていたけど、それはまだ実現していないようです。



海外で煙草を持ち歩く

2016年/インド・デリー



私は普段そんなにタバコを吸わないパーティスモーカーですが、バックパッカーひとり旅してる時は現地でタバコを買ってた。


日本と違う自分…みたいな厨二心が0だったかと言われると否定できない。


私は下戸で酒が飲めない分、各国で何か味比べできるものが欲しかったというのが一つ。
あともう一つがコミュニケーション。
一日中ボーッとしてる謎のおじさんと目があって「ん」ってタバコをあげるとなんかめっちゃ喜んでくれる。歯がないことが多い。


タバコ一本で、とても感謝されて握手して自撮り、Facebookを交換しよう!までがお決まりの流れ。
(その日からそこを通ると毎回タバコをせびられるのは結構だるい)


日本では吸わない分、私の中でタバコは、海外を感じる1つのツールのようになってたと思う。



名前以外を捨てる

2018年/ナミビア・dune45



海外において、私たちはただの外国人。
観光で訪れた日本人の1人でしかない。


そんな旅先ですら、マウントをとってくる日本人はいる。
1番ダサかったのは開口一番
「ぼくね、商社勤めなんだけど、どこでしょーか?」
と聞いてきた三菱商事のオッサン。
(きっと今の自分くらいの年齢だったかもしれないけど、当時学生だった自分からするとダサいオッサンだったのだ)

あれはダサかった…人生の中のベストオブダサい大人、3位には入ってるくらい衝撃を受けたので鮮明に覚えている。
今思うと本当だったのかどうかも怪しい。


私は、旅先で出会った日本人に、日本でのことを聞かれるのが好きじゃなかった。


どこの大学?と聞かれたら、「東京にあるよくわからん大学です」と答えてたし
会社を聞かれても「地味な仕事です」とか答えてた。

2週間一緒にアフリカをレンタカーしてた同行者ですら、大学名や就職先とかは話さなかった気がする。それが気楽だった。


壁を作っていたわけではなくて、肩書きやレッテルを貼られたくなかった。
なので、評価対象になりそうなパーソナリティは隠してた。
いまでこそSNSで発信なんぞしてるけど当時は、旅してる時は「何者にもなりたくなかった」のです。

名前以外は捨てて、コミュニケーションをする。これはただの私のこだわりで、良いか悪いかわからないけど当時はそれがとっても心地よくて、旅が好きになった。




私はバックパッカーを辞めた

2024年/タイ・チェンマイ



バックパッカー時代、そんなこだわりを持って旅をしていたわたしですが、しばらくバックパッカーはしていません。辞めました。
結婚をして落ち着いた…というわけではないです。


海外という場所が「旅」から「暮らし」にシフトしたからです。


会社員になってからも、有給を全てツッコみ、期限付きのバックパッカー旅を繰り返していたけど、
時間という制約を取っ払って、今では夫婦でリモートワークをしつつ、海外を転々としながら住み歩いてます。

いわゆる海外ノマドという生き方を選びました。

するとどこでも仕事ができるから、旅を言い訳に休むということがしにくくなった。
スマホで仕事ができてしまう令和に、平成スタイルバックパッカーは性格的にも少し難しい。

お気に入りのタイ・チェンマイという街は、バックパッカーとして来たら多分あんまり魅力を感じなかったかもしれないけど、「暮らし」の観点でみた時にドンピシャで、住むことに決めました。


いまでは海外は「旅するところ」ではなく「暮らすところ」になったけど、
私のこだわり旅はまだ心の中に残ってるので、きっといつかまた取り出す時が来ると思ってる。



#私のこだわり旅 #バックパッカー

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