球数制限ルールに対して東海大相模と明豊が示した”答え”
ヘッダー画像引用:デイリースポーツより
どうも、やまけんです。
4月1日まで、阪神甲子園球場にて第93回選抜高等学校野球選手権大会(以下、センバツ)が開催されていました。昨年は大会中止を余儀なくされたため、2年ぶりの開催となりました。決勝戦では関東地区代表の東海大相模高校(神奈川県)が九州地区代表の明豊高校(大分県)に3-2で勝利し、10年ぶり3度目の優勝を果たしました。
「球数制限ルール」導入後、初の全国大会
今大会は「公式戦で1人の投手の投球数が1週間で500球に達した場合、それ以上投げることを認めない」という球数制限ルールが導入されてから初めての全国大会となりました。
以前から高校野球界では、1人の有力投手に過度に依存するチームが多く見られ、勝利の代償に将来有望な投手が選手生命を揺るがしかねない大怪我をするといった事例もありました。こうした背景もあり、投手の身体的負担に関係する「投球数」をルールによって制限する運びとなりました。
本来であれば、こうしたルールがなくとも各チームの指導者が選手の故障予防に最大限の配慮をすべきだと思いますが、ルールの導入によって明確に各学校が複数の投手を用意する必要性が生まれたといえます。
今年のセンバツで決勝を戦った両校も例外ではなく、それぞれ3人の投手を運用しながら決勝戦まで駒を進めました。そして、この両校で大会期間中の総投球数が500球を超えた投手は1人もいませんでした。
今回のnoteでは、東海大相模高校と明豊高校のセンバツでの投手運用を振り返りながら、投球制限ルールが導入された令和の高校野球における投手運用について考察したいと思います。
東海大相模:絶対的エース石田隼都から勝利を逆算
今大会の東海大相模を語る上でまず外せないのが、背番号1を背負った絶対的エース・石田隼都投手の存在です。
石田投手は1年夏から甲子園の舞台を経験しており、昨年、センバツの代替試合として行われた甲子園交流試合でも大阪桐蔭高校との試合で先発登板するなど実績は十分です。
今大会では、最速146キロを記録したストレートとスライダー、チェンジアップなどの変化球のコンビネーションを駆使し、29回1/3を投げて防御率0.00とまさに完璧の投球でチームを優勝に導きました。奪三振数は投球回数を大幅に上回る45個、与えた四死球はわずか2個で、同じ高校生を相手にかなり支配的な投球をしていたと言えるでしょう。
そして今大会での東海大相模の投手運用を見ると、先発は石田投手のほかに背番号18の石川永稀投手、背番号10の求航太郎投手が務めた試合もありましたが、全ての試合で石田投手が最終回のマウンドに立ち、試合を締めているという共通点が見えます。
あくまでも推測に過ぎませんが、投球数はもちろん、投手陣の調子や対戦校の打者陣の特徴、大会日程の間隔などを考慮した上で、絶対的エース石田投手にどのように繋ぐかを逆算した継投プラン(あるいは石田投手を先発完投させるプラン)を想定していたのではないかと思います。
実際に、門馬敬治監督は決勝戦後に
「もう最後は石田というふうに決めて、今日甲子園球場に来ましたので。選手たちにも伝えて、石田で締めくくりました」
と話しており、石田投手に絶対的な信頼を置いていた様子が伝わります。
また、先発として登板した石川投手や求投手も、後ろに石田投手が控えているという安心感があったからこそ、目の前の打者との勝負に集中することができ、好結果に繋がったのではないかと思います。
東海大相模は全国から有望な中学生が毎年のように入学してきますが、決して選手の力量に委ねるだけでなく、チームとしてやるべきことを着実にこなして試合に挑んでいる様子が継投を見ても伝わります。大会期間中にプロ注目の遊撃手で主将の大塚瑠晏選手が急性胃腸炎により離脱するアクシデントも発生しましたが、それすら感じさせないチーム力の高さを示しました。
明豊:個性の違う3投手を繋いで決勝まで勝ち上がる
東海大相模と同じく3人の投手を起用しながら決勝戦に駒を進めた明豊ですが、投手陣と起用法に目を向けると東海大相模とは対極的なチームであることがわかります。
今大会は背番号10の太田虎次朗投手が全5試合に、背番号1の京本真投手が4試合に、背番号11の財原光優投手が3試合に登板しましたが、東海大相模の石田投手のように絶対的な成績を残している投手はいません。しかしながら、右オーバースローの京本投手、右サイドスローの財原投手、左スリークォーターの太田投手とそれぞれ個性の違う3投手を継投させることにより決勝戦まで駒を進めてきました。この点は、絶対的エース石田投手から逆算して継投プランを構成した東海大相模とは対照的な起用法であると言えます。
さらに詳しく見てみると、先発は京本投手か太田投手が務め、京本投手から同じ右投手の財原投手へ直接の継投はなく必ず左投手の太田投手を挟むなど、直前に投げていた投手とのギャップを利用して相手打者を翻弄するなどの意図や工夫がうかがえます。決勝戦では惜しくも敗れてしまいましたが、個性豊かな3投手がチームの躍進を支えたことには間違いありません。
今大会での明豊の3投手に目を向けると、全国の強豪校を圧倒できるほどの絶対的な投手はいませんでした(もちろん、平均的な高校生より優れていることは間違いありません)。それでも、試合展開などの状況に応じて最適な投手をチョイスし、各投手の個性を最大限に生かして相手打線を封じる明豊の投手運用は、全国の高校野球部のお手本になり得るとも言えます。
有望な投手をスカウティングできない中堅私立校や公立校の野球部でも、タイプの違う複数の投手を育成し、最大限に活用することで、1人の投手にかかる負担を極力減らしつつ、チームとしても勝率を大きく向上させられるのではないかと自分は思います。
ちなみに明豊を率いる川崎絢平監督は、スーパーの店員やコンビニの店長を経験したことがあるという、高校野球界では異色の経歴の持ち主。今大会での臨機応変な投手運用からも、異色の経験によって培った下地が垣間見えました。
準決勝で姿を消した2人の絶対的エース
冒頭にも書いたように、今年のセンバツは「球数制限ルール」が導入されて最初に行われた全国大会でした。
決勝に駒を進めた2校はスタイルこそ違えどともに計算の立つ複数人の投手を準備し、状況に応じて最適な投手を登板させるなど、複数投手の運用の面で他校に優位を保っていたように思います。決勝まで駒を進めることができた要因の一つには間違いなくこの投手運用があるといっても過言ではありません。
一方で、準決勝で東海大相模に敗れた近畿地区代表の天理高校(奈良県)と、明豊に敗れた東海地区代表の中京大中京高校(愛知県)の投手運用に目を向けると、この両校にもある共通点があることがわかります。
天理高校の準決勝の先発投手は、背番号17の左腕・仲川一平投手でした。今秋のドラフト候補としても名前が挙がり、チームの絶対的エースでもある193cm右腕・達孝太投手は、1回戦から準々決勝までの3試合全てで先発していましたが、左脇腹に違和感を感じていたこともあり、準決勝では登板することなく敗れてしまいました。
初戦から好投を続けていた達投手ですが、投球数は1回戦で161球、2回戦で134球、準々決勝で164球と多くなっていることがわかります。準決勝時点で1回戦から1週間以上が経過したため、1回戦の投球数がカウント外となりルール上は202球まで投げることが可能でしたが、それでも記事にある通り達投手の今後の野球選手としてのキャリアを考えると身体に違和感を抱えた状態での登板は止めるべきだったと思います。
達投手を準決勝で起用しなかった天理の中村良二監督に対しては「甲子園での勝利だけでなく選手の将来まで見据えた良い監督」といった肯定的な意見もあった一方で、「もっと他の投手を積極的に起用して達投手の負担を軽減させられれば違う結果にもなったのではないか」などのやや否定的な意見も散見されました。後者の意見はあくまでも「もしも」の世界線なので実際にどうなっていたかはわかりませんが、達投手の負担を少しでも軽減させられていれば違和感を感じることなく準決勝にも登板し、違った結果になった…という可能性そのものは否定できません。
中京大中京も、準決勝で先発したのはドラフト候補として名前が挙がり、1回戦から準々決勝までの3試合に先発したエース・畔柳亨丞投手ではなく、背番号10の柴田青投手でした。畔柳投手は、先発の柴田投手が4回途中に明豊打線に捕まったところで2番手として登板し、完璧な投球でピンチを凌いだものの、右腕に力が入らなくなり、6回の打席で代打を送られそのまま降板、チームも5-4で敗れてしまいました。
今大会、中京大中京は1回戦が大会第6日と出場校中最も遅く、球数制限ルールの観点から見れば日程的に不利になってしまうことは避けられませんでした。しかしそのような状況下でも、準決勝で畔柳投手を登板させ、負傷交代させてしまった投手運用、あるいはその運用に至るまでの複数投手の準備の過程などの点には反省の余地があるのではないかと、自分は思います。
天理の達投手も中京大中京の畔柳投手も、1回戦から準々決勝までの3試合で先発してチームを勝利に導いており、東海大相模の石田投手同様「絶対的エース」と呼べる存在でしょう。しかし、準決勝で達投手は脇腹の違和感で登板回避、畔柳投手は右肘の疲労で途中降板となり、準決勝で敗れた両校には絶対的エースを万全の状態で起用できなかったという点に共通点があります。
一昔前の高校野球界であれば、1人のエースがチームを勝利に、優勝に導くスタイルこそ正義かつ王道であったのかもしれません。しかし、決勝に駒を進めた2校と準決勝で敗退した2校を比較すると、チームとしての投手力の差が結果に現れたのではないかと自分は考えます。
達投手、畔柳投手は高校生離れした素晴らしいボールを投げており、個人の投手力だけで見れば東海大相模や明豊の投手陣に勝っている部分も多いかと思います。しかしながら、複数の投手を起用し、1人の投手にかかる負担を極力抑えながら決勝まで駒を進めた東海大相模と明豊は、チームとしての投手力で天理、中京大中京に勝っていたと自分は思います。
そしてこの「チームとしての投手力」こそ、球数制限ルールが導入された令和の高校野球を勝ち抜くために欠かせない要素なのではないかと自分は思います。
本当に守るべきは球数制限ルールではなく選手である
結果的には天理の達投手も中京大中京の畔柳投手も球数制限ルールに抵触はしなかったため、両校ともルールは守ったことになります。一方で、今回のルールに対してはトーナメント上の日程間隔が考慮されていないことや、制限を守っても故障する投手が出たことで「ルールを設けた意味がない」と言った意見も聞こえてきました。
確かに今大会の畔柳投手のように1回戦の日程的に不利を被ってしまう投手がいることなどを考えると、現行のルールには改善の余地があることは事実かと思います。しかし、本来指導者が守るべきは球数制限ルールではなく、選手の身体ではないかと自分は思います。球数制限ルールは、あくまでも選手を守るためのひとつの手段に過ぎません。
例えば、試合での登板は1週間500球以内を守っても、ブルペンで何百球も投げ込みをすれば当然それだけ投手の身体にかかる負担は増えますし、故障リスクも高まります。同じ投球数でも、投球時の出力を6~7割に設定して投げるのと常に全力投球をするのではかかる負荷にも大きな差が発生します。
投手を管理する首脳陣は、公式戦での投球数という数字だけでなく、練習時の投球数や投球強度まで管理し、投手(に限らず、選手)の身体を守る義務があると自分は考えます。
さいごに
「球数制限ルール」導入後初めて行われた今回のセンバツでは、複数の投手を上手に運用した東海大相模と明豊が決勝まで駒を進め、決勝戦でも3-2という好ゲームを展開しました。一方、球数制限ルールそのものの問題点も露呈するなど、様々な側面から「意味のある大会」になったのではないかと思います。
球数制限ルールに対して否定的な立場の人からは、導入前に「投手の『投げたい』という気持ちや選手の『勝ちたい』という気持ちを否定することになるのではないか」といった意見も見られました。確かに、トーナメント制がほとんどの高校野球の公式戦において、投球制限のルールに気を遣いすぎて目の前の対戦校に敗れてしまったら、その時点で終わりが来てしまいます。
実際に、大船渡高校時代の佐々木朗希投手(千葉ロッテ)が3年夏の岩手県大会の決勝戦に登板せずに敗れた際には、学校に苦情の電話が入るなど、一種の社会問題のように騒がれたことは記憶に新しいかと思います。
球数制限ルールが導入された令和の高校野球では、複数投手の育成に積極的に取り組み「チームとしての投手力」を向上させることはもちろん、実際に試合を戦う選手(特に投手や捕手)と、その選手を管理する監督、部長、コーチなどの間でチーム方針や戦い方の考え等を共有し、同じ方向を向いて戦えるかが鍵を握るのではないかと自分は思います。
今大会で決勝に駒を進めた東海大相模と明豊の両校は、今大会を通じて「選手を守ること」と「試合に勝つこと」の両立は可能であるという”答え”を示してくれたはずです。この両校に続いて、複数の投手を運用して投手を守りながら大会を勝ち上がる学校は現れるのか、今後も高校野球界から目が離せません。