書けなくなった訳とまた書こうと思った訳(2)
そう、(1)の続きなのだが、大学院を退学したし、いいかげん引きこもるのをやめて、社会復帰しなくちゃなと思った時、困ったことに帰る場所がなかったのだ。
もともと無所属の自営業者が、情報発信もせずに、人づきあいから遠ざかっていたのだから。こつこつと組織の中で実績を積み上げたり、コミュニティの中にしっかり根を降ろしたりしている人のようにはいかない。専門性はそれなりに磨いてきたつもりではあったけれど、その価値をわかってくれる人がいてこそ活かせる場ができる。
ところで、少し話が脱線する。河合隼雄先生の『生と死の接点』(岩波現代文庫)を読んでいたところ、ライフサイクルの考え方の一つとして、ヒンドゥー教の四住期(しじゅき)説が紹介されていた。
私が世間と距離を置こうとしてきた期間は、第三の林住期に当てはまる行動のようだ。「脱俗の生活へと徐々に接近していこうとする段階」と山折哲雄先生が言っているらしいが、まさにそうしたかったのだよと思った。このまま第四の遁世期に移っていければ、ライフサイクルの自然な流れに沿っているのだろう。
が、残念ながら、余生を趣味三昧で暮らしていける蓄えをしてこなかったし、文字通り隠遁生活をする勇気もない。生計を維持するためにも、生きがいを持つためにも、あと10年か、健康なら20年くらいは働きたいと思えば、社会とつながり直すことだろう。
どうやって、自分の居場所を社会の中につくり直そうか? 自問したときに、また書いてみようかと思ったのだ。創業した頃、メルマガやブログを書くことで、デジタル空間の中に自分がいて、人とつながっていることを感じられていた。人生4周目の始まりに、初心に帰るのもよかろうさ。
創業時は、集客目的だったけれど、今回は、自分のために書いてみるのもいいんじゃないか。そんなことを思っているときに、『「書く習慣」が身に付く1週間プログラム』を受講した。ライターのいしかわゆきさんが熱く語って、書く習慣を身につけるコツ伝授してくださった。
すぐに実行できるノウハウが盛りだくさんだった中で、書くモチベーションをどうつくり、維持するかというお話にとても共感した。
「未来の自分のためにタイムカプセルを残すような気持ちで、まずは自分のために書いてみよう。」そうそう、自分が昔 書いた文章を読んで、つまんないことで悩んでいたんだなと笑ったり、良いこと書いてるじゃないかと驚いたり、することあるな。
1週間のプログラムの課題を1つもしていなくて、コミュニティにも参加し損ねているのだけど、私にとって、すぐに役立つ実践的な講座だった。おかげさまで、こうして投稿している。講師のいしかわゆきさんにも、企画してくださったnoteの事務局のみなさんにも感謝しかない。と、ここで密かにつぶやいておこう。。