気づくには、知っておくしかない
西原理恵子さんの「女の子が生きていくときに、覚えておいてほしいこと」を読み終えた。
まさに、今の時代に大人として生きる女性たちが女の子だった時にこんなことを話してくれる大人に出会いたかったという内容だった。
例に漏れず、アラフォーである私はまだまだ男尊女卑の考え方が卑下される女性にまで根付き受け入れられている田舎の小さな社会で育った。
言うまでもなく、子どもは弱者であった。
護られるべき弱者な面も多少あったが軽視しても蔑ろにしても問題無しな弱者な面もあったと幼少期も感じていたし、大人になり親となったあの頃私の周りにいた大人たちの感覚は、おかしかったとハッキリと言い切れる。
なんなら、社会的弱者である女性と子どもの世界の中にも弱肉強食の感覚は人間というより動物のように根付いていた。
虐めるものより虐められるものが弱い。弱いものは軽んじられる存在であり、虐められる原因も虐められる子のみに押し付けられていた。
その世界のことしか知らないと、感覚が麻痺してくるし我慢するしかない。
でも、
“「自分さえ我慢すれば」は間違い。まずちゃんと自分が幸せにならなくてどうする”
と西原さんのように本気で接してくれる大人はいなかった。
我慢は美徳かのごとく綺麗な言葉で我慢を強いてくる圧力強い空気を作る大人ばかりだったように思う。
“優しい子ほど、自分のことは後回し、人に幸せを譲る。譲られた人はどう思うか?感謝なんかしないし、得したと思う。そして次からは当然になる”
大人の言うことを素直に聞いて優しい人であろうとすればするほど、立場が弱り、心がすり減るコミュニティであった。
“理不尽な暴力って気づけないんですよ、最初。”
“人格を否定されたり、お金をわざともらえなかったり、見えないところで、ちくちくとひどいことを言われたりしたら、殴られていなくても、それは「暴力」です”
“気づくには、先に知っておくしかない”
あなたの人格を否定してはいけないということや、否定していい人なんて1人もいないということ。
行政にはシェルターがあることや、いざという時の生活保護の受け方。
我慢しなくていいこと、逃げること。頑張ろうとしなくていいから一刻も早く逃げなければいけない時があること。
自分の力で幸せになること。
こんなことを西原さん自身の幼少期から最初の旦那さんのDVやアル中の中での妊娠出産育児のことなどなど…の経験が綴られ終えた最後の章に書かれていた。
ざっくりふわっとした言い方よりも一歩踏み込んだ具体性のある言い方で。
私が子どもの頃に大人から言われたような気がする性善説のような綺麗事の数々。悩んでようやく言葉として出せた言葉もそんなわけないとかき消されたSOS。その癖、今の時代でも自殺のニュースには必ずメディアでは悩んだら誰かに相談してとかここに電話してとかいう、文言。
この世界には意地悪なことを言ったりやったりする人がいる。そんな人たちの方に胡麻するように取り巻く人たちもいる。分かりやすくやる人よりタチの悪い陰湿な人たちもいる。助けを求めても臭いものとして蓋してくる人もいる。人の優しさや頑張ろうという気持ちにつけ込む人もいる。
そういう人がいることを知っているか知らないかでも、生き方は変わっていたと思う。
私は幼稚園の時、
お散歩の時とか2列で歩かないといけないと場面で毎回私の合谷のツボのあたりに親指の爪をグググッてしてくる男の子がいて、とても痛かったけど何をされているのか分からなくて何も言えなかった。
それでも何回もされるし皮もめくれたから家で母親にそのことを話したら『その子はあなたのことが好きなんや』と何かを諭すように言い聞かせるように低いトーンで私に言って、話は終わった。
私はさらによく分からなくなり、黙った。
しまいに、そこから透明な汁が出るようになり、誰にも相談できずにいたら飛び火になってプールは見学した。
中学の時には斜め後ろの男子から毎日毎時間のように授業中にオレンジの消しゴムをチマチマ小さくちぎったものを投げられ続けた。誰も何も言わないし、私からは投げてる瞬間は見れないし、それがその子なのかはっきり分からないし痛くはないからそれを虐めというものなのかもわからなかった。消しゴムのカケラたちは私の席の周りにいつも落ちているけど、先生はその消しゴムの存在のみを見ただけだった。
今になって思えば、あれはれっきとした虐めだった。
しかも証拠も残っている分かりやすいタイプの虐めといえる。それでも、この世に、このコミュニティに意地悪な人がいるかもしれないということを知らないと何が自分の身に起こっているのか理解が難しい。なんだかよく分からないけど辛くなって保健室に行ったけど説得されて(私の気持ちは無視されて)、すぐに消しゴム投げられる教室へ戻され、先生は解決した気になっていた。他にも色々、家でも学校でもあったけど。明からさまなのではなくて違和感的な暗い気持ちにさせられるような言葉とか雰囲気とかはあったけど、その頃はそれが何なのかどう気づけばいいのかすら分からなかった。
しかも、周りの大人たちがみんな、このコミュニティには根は良い人しかいないよみたいな空気をだしていると少女はSOSすら出していいのかも出し方も分からない。親と先生以外へのSOSの求め先があることなんて知る由もない。
ある程度の街ならグレルとか?って逃げ道もあるのかもしれない。コンビニもなかったど田舎でお金もない子どもだった私には夜遊び先や家出先すら見つからない。近所にはすでに顔見知りの大人しかいないレベル。みんな見たくないものはスルー。選択肢は独り耐えるか自死であった。私は痛くも苦しくもない死に方を見つけられなかったし、死ぬには痛い思いをしないといけないという判断ができたから耐えて生きた。耐えれば卒業して幸せが自ずと来ると思ったけどそうでもなかった。
自分で幸せになるしかない。
そのためにも、やはり特に少女にとってはこの本のような話をしてくれたり接してくれる大人が周りにいてくれることで少女の未来は相当明るく軽やかになるんだろうな、と思う。
自分で、とは言え、特に子どもにとって助けてくれる大人や信頼できる大人が1人でもいることはこれから生きていく上で必要不可欠だ。
私はもう大人になっちゃったから、西原さんのように子どもに生きる力を与える大人であれるようにいようと思う。
そして、私自身のこれからのことも大切に。