(パート2)超ミーハー国民日本への渡来と変遷
それでは前回のつづき
6.663年(天智期)の百済が滅亡。国内での急速な浸透・発展を遂げる。
ここで百済から”重要人物”・”貴族”・”文化財”などが日本に入ってきます。
なんと、この時代には既に”日本”と”中東”の貿易も盛んに行われていました♪
日本は昔から貿易大国だったのですね~
7.天武天皇が壬申の乱(762年)の後、陰陽寮を設け、占星台(天文台)を設置し、陰陽五行思想を駆使して日本の国体・政治システムの元になる基軸を創り上げた。
豆知識:天武天皇は陰陽道の使い手でありました。陰陽道は心理・脳科学戦に優れているので、なんと!負け戦と言われていた壬申の乱に勝っちゃったのです!!そして、もっと凄いことに天武天皇の奥さんも天武天皇よりも凄い陰陽道の使い手なんですよ♪
8.安倍晴明の登場!!
921年~ 四国讃岐の生まれで右大臣・安倍御主人(あべのみうし)の子孫にあたる。
豆知識:安倍御主人(あべのみうし)は「竹取物語」に出てくるかぐや姫に告白する王子の一人
ここで安倍晴明のすごい経歴について記載いたします♪
~ちょーーーーエリート「安倍晴明」のすごい遍歴~
①「陰陽師」
自分の一族もエリート陰陽師なので、もちろん「陰陽師」になる教育を受け見事陰陽師に就任。
②「天文博士」
天皇と密接な関係にある天文士。優秀すぎてここからどんどん天皇に仕える者としての地位がグングン上がっていく。
③「蔵人所主計権助」
簡単に言うと天皇直属の秘書室長。もうこの時点でもだいぶ凄い。
④「大膳大夫」
天皇陛下が食べる食事を司るトップ。天皇陛下の御体に直接関係するので、天皇陛下の内部事情までをも相談するような部署のトップ。
※陰陽道の考えを元に食事を整えたり食事に結界を張り邪気を防ぐ役割もあった。
⑤「左京権大夫」
京都の司法・行政・警察のトップ。もうエリートすぎてどんな仕事なのか不明。
⑥「穀倉院別当」
安倍晴明も歳をとってきたため隠居生活。その際に割り当てられた仕事が穀物庫を治める仕事。特にすることはなく、安定したお金が入ってくる隠居生活にぴったりの不労所得。ここらへんで、映画にもなった「安倍晴明」の陰陽師としてのお仕事・相談もこなす。
※天皇陛下からも、頻繁に呼ばれて陰陽師の仕事をこなしていたそうです。
エリートすぎて、もはや想像できない。。。
9.南光坊天海(天台密教僧)
徳川家康、秀忠、家光のアドバイザーとして徳川幕府の礎を築く。
徳川家以前は、武田信玄・織田信長・豊臣秀吉にアドバイザーとして仕える。家康自身も陰陽道オタク。家康の陰陽道オタク具合は南光坊天海に匹敵するレベル。
そんな家康が南光坊天海と考え方や話が合いすぎて、恋人以上の仲良し具合なのであった。
なぜ、南光坊天海が敵の家紋に仕えていても殺められなかったかというと、本当に優秀なアドバイザーすぎて、どこの家紋も喉から手が出る程欲しがった超逸材だから
ここで、安倍家の末裔である土御門家(つちみかどけ)を陰陽道宗家となる。土御門家は元々は安倍家のこと。なぜ土御門になったかというと場所の名前が土御門という地名だったため。
・・・・・こうして、国家体制や組織の中に組み込まれた陰陽五行思想は、その後も歴史上一貫して朝廷、幕府、政府により、政治・軍事・農業・医学・経済・祭政・年中行事等、広範囲に応用実践され続けて”いる”のであった・・・・。
ミーハー日本人の吸収力恐るべし。。。
今も昔も日本人の良いところは他国の文化や神様・宗教などの来るもの拒まず精神・調和の民なところなんですね♪ ^o^/
ここまで読んでくださりありがとうございました!