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「陰陽五行説」

前回・前々回で「陰陽説」「五行説」について説明したと思いますが、今回は「陰陽五行説」を解説いたします。

まず初めに「陰陽説」が登場し、「五行説」が誕生いたしました。

そして、陰陽家の鄒衍(すうえん)が陰陽説に五行学派の五行説を取り入れ体系化し「陰陽五行説」が誕生しました。

鄒衍については、コトバンクから引用した内容を下に貼り付けておきますね。

鄒衍(すうえん):没年不詳。中国、戦国期の思想家。陰陽(いんよう)五行家の祖。

陰陽説と五行説が合体し「陰陽五行説」となったのは大体、紀元前305年~前240年頃になるそうです。

1つになるまでに大体5000年かかっているので、凄く膨大な知識量が込められた理論だということですね。

年代ごとに並べると以下のようになります。


「陰陽説」紀元前3350年~前3040年

伏義(ふくぎ)という人が見つけて、孔子が解釈した学問

河図(かと)・・・黄河に現われた竜馬(りゅうめ)の背に書いてあったという図

河図


「五行説」紀元前2070年~前1600年

禹王(うおう)中国の夏(か)王朝の始祖とされる人物で五行説の発案者。

洛書(らくしょ)・・・禹(う)が洪水を治めたとき洛水から出た神亀の背中にあったという文様

洛書


「易(えき)陰陽説」紀元前1046年~前256年

周王朝時代に成立した

占術=周易

周易:易と呼ばれる占術で、「易経(えききょう)」の考え方を元に作られた

五行の記述は「書経」にあり


「陰陽五行説」紀元前305年~前240年

陰陽家鄒衍(すうえん)によって体系化


昔の人の名前が出てきてテンパりそうですが、大体こういう感じで陰陽五行説になっていったんだ~ということです!

河図や洛書については勉強不足なため、また分かり次第noteに上げていきますね♪


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