無常観合宿2022〜世界の変化の中にいながら、常にわたし自身も変化しながら世界と生きる〜
「風を受け、いのちを祝う 地蔵の森」のやっくんこと福元です。
2022年に入り、毎月の合宿が続いていました。
1月にはイマジン屋久島合宿
2月にはコロナ感染自宅待機合宿とオンライン未来塾
3月には屋久島未来塾と無常観合宿。
今振り返ると今年になってから2週間に一回は合宿の日々。
内省の繰り返しの中で自分の深いところまでおりることができた気がしてます。
実は落ちすぎて今這い上がるのに必死なところなのですが、、、苦笑
そんな中で、ある意味令和3年度の締めくくりでもあった無常観合宿。
ふりかえればふりかえるほど、学びの多い時間でした。
それは、1月から続く合宿の旅路で行き着いた先に無常観合宿を経たからかもしません。
無常観合宿とは
広島で本と対話のワークショップをしているあやとのコラボレーション企画。
2021年からゆるゆるとお付き合いいただいて、
2021年の5月に「感性を探る旅」という、
オンラインとリアルのハイブリット企画をやってました。
そのご縁から2022年にも屋久島で合宿をすることに。
一言で表せない合宿になっているので、詳細は下記のリンク見てもらえると嬉しいです。
自分なりに要約してみると
変化が多いこの時代を、したたかに生きていくために
穏やかに居つづけられるためにはどうしたらよいのか?
つながりを感じ続けるためにはどうしたらよいのか?
どんな思想・思考をもって生きていけたらいいのか?
という問いをもちながら
"変化”と相対するにあたって、
屋久島独特の「悠久の時間と自然観」
と日本の原点にもなる禅の教え「無常観」を軸に、
この機会をともにする人たちと、
自分たちに今できる最大限の学びの機会を思い描く場でした。
無常観をテーマにしていたので、合宿のスケジュールは大枠しか決めず。
その場で必要とされているものとともに過ごすスタイルの合宿。
企画側としては、本当にノープランで当日に挑み、その場でスケジュールを決めると言う暴挙。
だからこそ、予定されていない変化の連続の中で自分と向き合う時間を過ごせたと思っています。
僕としてはいつも通りですが、ノープランの行き当たりばっちりな内容でした。笑
ただ、その感覚が本当に心地よかったのとこれからの学びの可能性や旅の可能性を感じさせてくれた時間でした。
無常観×自然体験×読書会
無常観という大きなテーマの中で、僕とあやの2人のファシリテーターで場をホールドさせてもらいました。
僕は自然体験(マインドフルネス)担当
あやは読書会担当。
この組み合わせがめちゃくちゃ良かった。
うん、本当に良かったです。
基本は僕が場を開きながら、あやが人と言葉をチューニングしてくれて、場が醸し出されていたイメージ。
自然体験の意味は、今ここを感じられるマインドフルネスやセンスオブワンダーを呼び起こし、変化を感じられるように感覚を開くこと。
読書会の意味は、自分の内側につながることによって、言葉でわたしとつながり、世界とつながる。
そんな意味があったんじゃないかとふりかえっています。
僕とあや、2人の全然タイプの違うファシリテーターをやっているからこその掛け算の良き空間でした。
やっぱり誰かとコラボすることは、自分の想定内の世界がぶれる楽しさもあるし、ある意味自分が開放感されている心地よさがありました。
語彙力がなく申し訳ないですが、これはみなさんに体験して欲しい空間でした。
学びが多く言葉にしたいことだらけですが、今思いつくをつらつらと残します。
無常感と無常観
今回のテーマである「無常観」。
ふりかえりの中で気づいた、あやとやっくんの無常観の捉え方が違ったことに終わってから気づきました。苦笑
最初は気づいてなかったのですが、
参加者から質問をもらった時の気づき。
「むじょうかん合宿の感じはどっちが正しいんですか?」
「?」
僕自身、無意識に使っていた漢字
僕のむじょうかんは、「無常感」
あやのむじょうかんは、「無常観」
今回の合宿は、仏教の無常観から気づきを得ようがコンセプトだったので、
「無常観」の感じが正しいのですが、
僕の感覚的には「無常感」がしっくりくる。
自分が感覚的な人間なので、
観察することではなく、感覚で変化を感じながら
変化の中にいたいんだということを改めて
感じた瞬間。
この合宿でもらった無常観を言い表しているなと感じたことば
「人は大きな川の中にいて、人も川として流れている」
この感覚を受け取れることが無常感・観のコアな価値観だな
と腑に落ちた問いでした。
無常感はセンスオブワンダー
無常感という言葉をもう少し表現しておくと、
まさにセンスオブワンダーだなっと腑に落ちたのも今回の合宿。
センスオブワンダーは、1962年に歴史的著書『沈黙の春』を刊行した米国のベストセラー作家であり、海洋生物学者であったレイチェル・カーソン(1907-1964)の著書。
センス・オブ・ワンダー とは、 「神秘さや不思議さに目をみはる感性」
と表現されています。
この言葉だけでは、受け取るものが少なくなりますが、
普段こどもたちとともに時間を過ごすことが多い僕は、
センスオブワンダーの尊さをこどもたちに教えてもらっています。
今回の合宿では、息子2人を連れてファシリテーターをさせてもらいました。
息子たちを受け止めていただいた無常観合宿のみんなには本当に感謝しています。
この合宿でもセンスオブワンダーを最大限に発揮してくれた2人。
だからこそ、参加したみんなが受け取ってくれたものも大きかったと聞いています。
その中でこどもたちのことを「ゴールデンエイジ」と呼んでくれました。
ゴールデンエイジの定義はしっかりとあるけれど、
この合宿の文脈で言えば、
「世界の変化の中にいながら常に、彼ら自身も変化しながら世界を楽しむ在り方」
だと受け取っています。
本当に我が子たちに学なばしていもらいながら、
希望を受けっとているんだと文章を書きながら涙がこぼれてきました。
無常感・観も定義がありますが、
自分自身の一つの答えとして
「環境の変化の中にいながら常に、わたし自身も変化しながら世界を楽しむ在り方」
だとここに置いておきます。
せっかくなので、自分のためにもセンスオブワンダーの一節こちらに残します。
老いる(死)と向き合うとは
いろいろな問いをもって対話をした無常観合宿。
問い1つ1つが深かった深かった。
その中で生まれた問い。
「老いる(死)と向き合うとは?」
その中で、生まれた言葉。
「老いるからこそ、美しく生きていたい」
その言葉から生まれた僕の言葉
「老いることは美しい」
その時はスッとできた言葉だったのであまり気にしていませんでしたが、
僕が若い時であれば老いは受け入れられなかっただろうなと。
大人になりました。笑
レジェンドと呼びたいほどの方々と対話を重ねることができていたからこそ生まれている自分自身の感覚だなっと思いつつ。
変化の中で、生きてきたその人なりを感じることができるようになったからこそ、自分自身の老いも受け入れられるようになったなと振り返っています。
老いることのゴールである死。
死と向き合い、探求することをさらに進めたくなった時間でした。
僕の中から生まれた声
3日間我が子といることの嬉しさを感じつつ、こどもたちの世話をしつつ、ファシリテーターとしてバタバタと場を回し、毎日2時ぐらいまで対話をした日々。
心地よいハードさでした。笑
そんな最終日に自分から生まれた言葉。
今回の無常観合宿を凝縮した僕の言葉。
この言葉にあまり情報を足したくないので、このまま置いておきます。
Beの問いを生み出せる人
まずは、無常観合宿を共に過ごした
あや、しらりょん、りん、むっちゃん、がくと、れふと、あきら、かんちゃん
本当にありがとう!
このメンバーに感じたこと。
「Beの問いを生み出せる人」たちと一緒にいれることの豊かさや希望。
目の前の見えている世界に焦って、どうやって動こうと悩むことも大切だと思います。
それ以上に目の前の見えている世界と共にどうやって生きるかを探究できることが大切だと感じています。
本当によかった場だったからこそ、次回は秋にすることが決定しました。笑
無常観合宿2022秋開催決定です!
乞うご期待。
リアルの合宿が本当は良いのですが、この感覚を育むオンラインコミュニティも始めます。
「Beの問いを生み出せる人」を育む場づくりにしばらくははまりそうです。
無常観合宿の様子
1日目
2日目
3日目
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