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お経の謎解きから、平安時代の想いを知る


国宝「平家納経」の薬王品模本は、これまた夢のように美しいため、ついつい現実を忘れてしまっていたが、れっきとした法華経の一部、お経だ。正式名称が、薬王菩薩本事品第二十三、という。

お経というと辛気臭いというか、難しそうで避けていたが、模写をやる上でとうとう無視出来なくなった。薬王品にまた葦手(絵の中に文字を忍ばせる技法)があったのだ。それも、お経の一部を表現しているらしい。

絵の意味も文言の内容によって変わってくるし、そこには平安時代の絵師や発注者の意図があるはず。
さあ、まずは謎解きだぁ!

まず女房の上に重なり舞い落ちる蓮の花びらに文字が隠されている。
右から左に、「モ」「シ」。

女房の下、右から左に、蓮の花びらに「コ」「ノ」、
そして女房(女人)。
女房の持つお経。
女房の左手下に「ア」「リ」「テ」
女房の左から右に「此」「命」「終」
合わせると、

もし女人ありて この薬王菩薩本事品を聞きて
(その説くごとく修行すれば)
この命終わると

少し離れて岩の上に「即」
阿弥陀仏の下に右から左へ
安」「楽」「せ」
蓮の実に「か」、その下の蓮の葉に「い」
阿弥陀仏の右に浮かぶ蓮座の上に「生」

即、安楽世界の阿弥陀仏のいる(大菩薩の衆が囲んでいる)の蓮華の中の宝座に生まれかわる

 原文は

若有女人 聞是経典 如説修行 於此命終 即往安楽世界 阿弥陀仏 大菩薩衆 囲繞住処 生蓮華中 宝座之上

平安時代の女の人たちが、戦乱が起こり不安定な世の中で、極楽往生を願い祈ったことが反映されているのかもしれない。

ちなみに、女房サンの持っているお経に書いてある文言は、この葦手の文言の直前にある文言になっている。3ミリぐらいのメチャクチャ小さな文字で模写も解読も大変だった。

若有女人。聞是薬王菩薩本事品。
能受持者。尽是女身。後不復受。若如来滅後。
後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。
於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩
衆。囲繞住処。生蓮華中。宝座之上。
もし女人がこの薬王菩薩本事品を聞いて よく受持するなら、女人としての生は最後となる。
如来の入滅後五百年。
もし末法の世に、女人がこの経を聞きその教えの通りに修行すれば、命尽きてのち、 阿弥陀仏の世界に行き、菩薩たちに囲まれ、蓮華の法座の上に生まれるだろう。

女性としての生は最後になるって、ある意味それが良いことのように読み取れるのは、me tooの世の中的にも、現代の間隔ではちょっと受け入れにくい内容だ。
とはいえ、わたしの解釈が間違っているかもしれないので、もう少し調べねば。

ちなみに植木雅俊さんの本「法華経とは何か」の薬王菩薩本事品について書かれた部分を読むと、本来の思想と異なる思想が入っているとある。
ここもそうなのだろうか。

でも末法の世を生きる平安末期の貴人の女性たちは信じていた人もいたろうし、女性としては、権力も自由も制限された生きにくい世の中だったのかも。「とりかへばや物語」でも、主人公の女君は女性の立場になった途端に、ままならないことが増えて悩みが深くなった。

だとしたら、救いを求めたよね。

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