20.10.16【週末の立ち読み #2】死に至る病、それこそは老化。──デビッド・A・シンクレア『LIFE SPAN 老いなき世界』(東洋経済)を読む
※この書籍で書かれている内容はあくまで著者:デビッド・A・シンクレア氏の意見と考えである。そのため医療サービスの紹介などが存在するものの、それを使用した際の効果を完全に保証するものではないことを事前に注意しておきたい。
また、同様に僕も専門家ではない。そのため知識や意見の是非について、批評をするわけでもないことを、あらかじめ注意しておく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
人がどうしても避けられないもの──それは、老・病・死。
過去の歴史上、この3つから逃れ得たものはいなかった。どんな愚者もこの3つには恐怖を覚え、どんな賢者もこの3つに万全の解決を得ることがなかった。
ソクラテスは正義のために毒杯をあおいだが、その弟子のプラトンは永遠を探究することになった。
秦の始皇帝は永遠の命のために誤った薬(水銀)を飲み続けた。
仏陀はこの3つに悩んで出家し、日本でも田道間守(たじまのもり)が永生の果実である橘を求めて常世に向かう物語が存在する。
そもそもが人類最古の文学『ギルガメッシュ叙事詩』からして、死にゆく定めの人間のあり方についてを問うものだった。
人間は死から━━もっと言えば、老いと病いから、完全に逃れることはできないのではないか。その格闘の人類史が、皮肉にも裏付けであっただろう。
本日紹介する書籍は、一部では話題の書籍、デビッド・A・シンクレア氏の『LIFE SPAN 老いなき世界』(東洋経済)だ。
この書籍では、老化のメカニズムの解説と、その改善方法についてのレクチャが記載されている。なんだか魅力的な内容だ。一見するとそういうワードで人をたらしこむ詐欺なのではないか。そう思いたくなる。
しかし、どうもそうではないらしい。詳しく聞いてみようではないか。
サーチュイン(sirtuin)、という酵素がある。これは酵母の研究から発見されたもので、老化のメカニズムに関係する重要なものだ。
この本の最重要人物、いわば主人公と言っていい。
彼らは複数種類、われわれのからだに存在する。それは、僕たちの生体情報を司るDNAの修復に関わっている。
通常、老化は人の生命維持装置が経年劣化するようなイメージで僕らの知識に定着している。
しかし、単純な経年劣化なら、僕らは50年も生きれなかっただろう。実際にはサーチュインが適度に機能し、生命維持装置の基盤となるDNAを修復してくれるから、おいそれと老化しないのだ。
だとすると、このサーチュインをうまく機能させ続けられれば、老化は抑制することができるのではないか━━正確ではないものの、大体このようなロジックで、著者は4つほど、老化防止のアクションを提示している。
が、これらの解説は、中田敦彦さんがYouTube大学の中でしてしまっているため、詳述しない。代わりにリンクだけ貼っておこう。
僕はと言えば、中田さんが熱弁したところとは違うところで「面白い」と感じていた。だから、以降はそのことを記載していこうと思う。これも実際に本を手に取り、読んだものの特権だろう。
著者(及び共著者のマシュー・D・ラプラント)が本書に書き込んだ情報は見事なもので非常に多岐にわたる。
研究史に研究成果の紹介、体験談に健康法、サプリの紹介、歴史に経済、などなど。
最後のほうを聞いて「おや?」と思った方もいるかもしれない。しかし、これこそが〈老いなき世界〉を生きるにあたっていずれ考えなければならないことであり、本書のタイトルが「LIFE SPAN(直訳すると人生を生きる時間)」である理由でもある。
僕たちは老化を自助努力で抑制できる。いずれは科学とテクノロジーで改善すらできる。しかし、そのあとはどうなるのだろう?
そんなのSF作家の仕事ではないか、と思われるかもしれない。しかし未来はすでにいま、ここにある。ただいまだに広まっていないというだけの話だ。
本書の冒頭は、〈老いなき世界〉を知るための重要なヒントをほのめかしている。
それは著者の祖母ヴェラが一気に老衰していく過程だ。壮年まではつらつとしていた人間が八十に差し掛かる頃には、見る影もなくなっている。それを「仕方ない」と受け止めていることに、著者は次第に疑問を感じていたという。
著者の疑問のうち、最も重要なのは、現代は「寿命は延びている」、しかし「人生は延びていない」ということだ。
この課題が、著者シンクレア氏を老化のメカニズムの研究に走らせ、サーチュインをはじめとする本書の成果に結びつく。
では、この成果が発展し、その他のものと結びつき、いずれ社会的に普及したとしたら、それはパラダイスになるのだろうか?
肯定的に捉えても良いとは思う。しかし、それで延びるのがただの「寿命」ではないということを、改めて意識したほうが良い。
僕たちは「長生きできる」を、ただ「寿命が延びる」と同じだと思い込んでいる。そこにはまだ、「働けるのは60代ごろまで、あとは余生」だという思い込みがある。
そうでなかったとしても、人生の終焉が病室で寝たきりであることと、切り離せないでいるはずだ。
著者が述べている〈老いなき世界〉とは、そういう類のものではない。老化を抑制することで、60代以降もそれなりに身体が機能し、頭脳は経験に裏付けられてますます冴え渡るということまで視野に入れているのだ。
そうなると、人生の過ごし方の意味や、人生計画そのものが変わる。
老後の資産運用はどうなるか?
老いてもなお働ける社会の雇用はどうなるのか?
経済は社会保障費で埋まってしまうのか?
引退しない政治家が牛耳る政界ができるのではないか?
そして実は、老化を阻止することで人間の経済はより良くなるのではないか? と。
著者は、その点についても独自の考察を描き、それなりの根拠を持って未来をあり方を提示している。
ここからは、僕の個人的な感想を述べよう。
数年前から〈人生100年時代〉ということばが一躍有名になっていた。
しかし、いずれやってくるのは100年どころではないかもしれない。いま現在でも、心掛け次第では120歳以上生きることも夢ではない可能性が見えてきた。
だとすれば、なお一層のこと、「何を生きたか」ではなく、「どう生きたか」が問われてくるはずなのだ。
生涯にどんな年商をあげたかとか、どんな経歴・肩書を得たかとか、そういうことはいつしか大した意味を持たなくなってくる。
勝負の世界(ビジネスでもスポーツでも、なんでも良いが)では、意味を持つだろうが、それはそういうルールだからであって、人生でどんな価値があるかは測り難くなってきているはずなのだ。
もちろん、当面はそういう数値的な面での評価が、有益な時代があるだろう。成績表からフォロワー数、いいねの数からAmazonの星レビュー、賞味期限から成分表、心拍数から平均年収まで、僕らはありとあらゆる数値に影響されている。このトレンドは変えようもない。
しかし、それは記録であって、記憶ではない。僕たちの人生を意味づけるものは、数値的なデータではなく、質的なニュアンスで彩られた思い出ではないだろうか。
本書が説明する老化のメカニズムで、非常に興味深い部分がある。
それは、老化に真に関係するのは、ゲノムではなく、エピゲノムだということだ。
いったん整理しよう。
通常、人間を含む生命は、DNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれるデジタルな情報によって構成されている。これをゲノムという。
このデータは、例えば肺の細胞が酸素を取り込み、二酸化炭素を追い出すみたいな役割と機能を定義している。
一方、エピゲノムというのは、後付けされたアナログな情報だ。
例えば、生活習慣の遺伝。これは日々の積み重ねでそういう風になった身体のメカニズムであって、あらかじめDNAに記載されたものではない。しかしDNAと同じぐらい強力にインプットされたものだ。
著者デビッド・A・シンクレア氏は、このエピゲノムこそが、老化のメカニズムに本格的に影響するのだと書いている。
喩えるのであれば、CDのデータと裏面。ディスクの裏側にある部分(エピゲノムに相当する)が傷ついたからと言って、CDのデータ(ゲノムに相当)が壊れたわけではない、ということ。しかしエピゲノムが壊れてしまうと、データ(DNA)は取り出せない。音楽は聞けないままなのだ。
だから老化を阻止するためには、傷ついたディスクを研磨する「手入れ」が必要なのだ、と著者は説く。
だとすれば、これはアナロジーでしかないことを承知の上で、こう思う。
きっと人生の最期をどう肉づけるかも、後付けのアナログな情報が関与しているということではないだろうか、と。
かつて古代ローマの賢人セネカは言った、「過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる者には、人生は短く、不安に満ちている」と。
では、もし過去の不摂生を理解せず、現在の健康を顧みず、未来から目を逸らすものは、どうなるのだろう。きっと人生は短い。なぜならそこに老化が忍び寄るからだ。
老化とは、身体の衰えではない。精神の反応が鈍くなり、活力と意欲が失われ、衰えていくことだ。それがそうだとわかっていながら日々を過ごすことは、あまりにも不安で、不毛だ。ゆえに人は死ぬことを恐れ、死の間際にある病の苦しみを恐れ、老化による無力を嘆くようになる。
古今東西の人間を悩ませてきたこの問題こそは、いまに始まったことではない。むしろ老化こそが全ての命を死に至らせる、致命的な病であったということだ。
ということは、まさに古今東西繰り返されてきた問答が、改めて首をもたげてくる時代にわれわれが生きるということでもある。
だから、いまこそ改めて見つめ直さなければならない。僕たちは自分の人生を記録……つまり年収で、肩書で、経歴で、実績で、フォロワー数で見てきたのではないか、と。
そしてそうではないあり方を、自分の中で見つけなければならないのではないか、と。
▼以下書誌情報▼
■今週の一冊 『LIFESPAN 〈老いなき世界〉』(東洋経済新報社)
・読みやすさ:高い(ただし生物学の基本的な知識が必要)
・面白さ:高い(エピソードが豊富で話題性に富んでいる)
・入手しやすさ:高い(大きめの書店やオンラインで随時入手可能)