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PLAYERS' INTERVIEW vol.5 堀川 太一
ヤクルトレビンズ戸田の等身大を皆さまに知っていただく「選手が語る」コーナー。前回は日本人プロ選手としてオン・オフザフィールドでチームのために働く石井清選手をインタビューしました。今回は、昨年12月下旬に大きな怪我をしながら今年12月のリーグワン開幕に向けて人一倍努力している堀川太一選手です。今の自分を形成しているのはラグビーと話しているように、ラグビーと共に歩んできています。大きな怪我や難病指定されている病気を抱えながらも実直にラグビーに取り組んでいるさまをインタビューしました。
(取材日:8月17日)
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試合中の怪我でラグビー魂に火がついた
――ご出身はどこですか?
長野県岡谷市です。諏訪湖の近くで山に囲まれている場所で育ちました。
――ラグビーを始めた年齢ときっかけを教えてください
小学1年の頃だと思います。父親が諏訪湖ラグビースクール(以下、スクール)のコーチをしていて、姉もスクールに通っていましたのでその流れで始めました。
――初めてラグビーに触れたとき、どんな思いでしたか?
とにかく楽しかったですね。
――どんなところが楽しかったですか?
タックルするところです。
――最初についたポジションはどこでしたか?
スクラムハーフ(以下、SH)です。中学時代はラグビーをしませんでしたが、高校から社会人3年目頃までSHでした。
――中学校はラグビーをしていなかったのですね?
はい、部活動にラグビーがなかったのと、サッカーをやってみたい気持ちが強く、3年間ずっとサッカー部で活動していました。
――その中学時代はスクールでも活動はしていなかったのですか?
はい、3年間部活動を引退するまでラグビーボールに触ることはなかったです。
――そんな3年間を過ごしたのにラグビーの試合に出場したそうですね
3年の夏にサッカー部の活動が終わったころ、夏に菅平でラグビーの試合があることを知らされました。なんとなく声をかけられて、気楽な気分で出場してみようって試合に出ました。実は高校進学はサッカーで進もうと思っていたくらいでした。
――ラグビーで高校進学を決めた経緯を教えてください
たまたま試合に出ましたが、プレー中怪我をしてしまいました。肩鎖関節脱臼で痛みを抱えながら試合に出続けました。そこで思うようなプレーが出来なかったことが悔しくて悔しくて。心の底に眠っていたラグビー魂に火がついたんでしょうか、ラグビーを続ける決心がつきました。
――その決心を後押ししたものが他にもあったのですか?
スクールの佐々木コーチが常々私たちに言ってきた「自分自身に負けないこと」が後押しになりました。その怪我もトレーニング不足もあったと思いますし、相手にタックルに行ったときに怪我をしたものでしたので(笑)。
――そこで岡谷工業高等学校(以下、岡谷工業)に進学を決意したのですね
その当時、長野県で一番ラグビーが強い高校でした。またスクールの活動拠点が岡谷工業のグラウンドでしたので、迷うことなく決めました。
――中学時代のブランクがありましたが試合には出場できたのですか?
はい、1年生から試合に出場していました。その当時3年生が5人しかいなくてほとんどのメンバーは下級生が占めていました。
――3年生のときに花園出場を果たしましたが何か環境の変化などあったのですか?
小・中学校の気心知れた仲間を中心に、スクールの後輩らが岡谷工業の進学を決めてくれたこと、そしてラグビー部OBの方々が指導してくださったことが大きな要因だと思います。また有望な後輩も入学してくれたのが大きかったです。今一緒にプレーしている力也(大石)もその一人でした。
――高校3年生のとき、キャプテンを務めていたのですね
はい、私から手を挙げてキャプテンを務めました。今思うと良いキャプテンだったかは分かりません。とにかく喋ることは苦手だったので、誰よりもグラウンドで体を張ることだけを心がけていました。今でも喋ることは苦手です(笑)。
――自分より大きな相手にタックルをすることの怖さはありますか?
無いと言っては嘘になりますし、正直怖さはあります。でもタックルしないでピンチになることが許せないですね。自分自身の性格がそうさせているのだと思います。
――高校時代の思い出や心に残っている言葉などありましたか?
とにかく走りました。めちゃくちゃキツかったことだけ覚えています(笑)。あと、入学してから2年間、花園に出場できませんでしたので、その当時の顧問の白鳥(しろとり)先生が大きく改革をしてくれました。というよりラグビーの戦術云々ではなく、気持ちの部分を変えてくれました。今でも部のスローガンになっているのかなと思いますが、「臥薪嘗胆(がじんしょうたん)」という言葉をスローガンにして活動しました。
――白鳥先生の教えが堀川選手の支えになっていたのですね
白鳥先生の教えはラグビー選手である前に一人の人間であることを伝えてくださいました。
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ラグビーで掴み取った大学進学、毎朝作った80個の目玉焼き
――日本体育大学(以下、日体大)に進学を決めた理由を教えてください
白鳥先生に勧められました。実は高校卒業をしたら地元企業に就職をしようと考えていましたが、日体大でトライアウトがあると聞かされ、自分自身の実力を試す意味でもチャレンジしました。そこで推薦枠をいただき入学を決めました。その頃からラグビーをこれからも続けていきたい気持ちになり始めていました。
――大学生活は楽しかったですか?
いえ、まず寮生活に慣れるまで時間がかかりました。岡谷工業の部員数に比べると圧倒的に多かったですし、1部屋4人で生活をするのです。各学年一人ずつで構成されるのですが、知り合いもいないし、先輩方もみんな怖く感じてしまって(笑)。今となっては優しくて大好きな先輩です(笑)。
――その慣れなかった寮生活の思い出は何かありますか?
仲間との生活ですね。最初は慣れなかった生活も、苦楽を共にした仲間ができ充実した大学生活を送ることができました。ときには意見をぶつけ合って雰囲気が悪くなるときもありましたが、ちゃんと解決させていました。今となっては良き思い出で、今でも同期とはたまに飲みに行ったりしてますし、今でも週1回連絡をしてくる奴もいます(笑)。
――大学ラグビーは楽しかったですか?
1年生の頃から試合出場機会がありましたので楽しかったです。最初はリザーブ出場でしたが、2年生になったらスタートに選ばれ、プレー時間も増えていきました。しかし、3年生になった頃から後輩に優秀な選手が入学をしてきて、出場機会が少なくなり、また体調に異変を感じるようになって満足のいく練習や結果が出せませんでした。
――体調の異変って何があったのですか?
実はお腹の調子が良くなくて、すぐお腹を下すようになっていました。病院に行き診断されたのが、「潰瘍性大腸炎」で難病指定されている病気です。一時期、体重が15kg弱減ってしまい、体力もどんどん落ちていきました。
――順調に試合出場していた矢先の病気に落ち込んだりしましたか?
診断された時はショックでした。でもなんとかなるだろうって(笑)。
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大好きな家族、弟の分まで
――充実した大学生活だと思いますが、実家を離れての生活は大変でしたか?
楽しい反面、親のありがたさが分かりました。毎朝、実家にいた時は母親が食事の準備をしてくれましたし、洗濯も然りです。寮生活は全て自分でこなさなきゃならないですし。
――何人兄弟ですか?
5人兄弟です。姉がいて私、そして弟、妹2人です。
――弟もラグビーをしているのですか?
はい、していました。
――今はしていないのですか?
実は私が中学3年の春に、交通事故に遭い、現在も半身麻痺の状態です。その当時、救急搬送され生死を彷徨っていました。今は実家に帰ったときに片手でパスをしたりしています。この弟の事故でより一層家族の結束が強まり、絆が深まりました。改めて家族の大切さや尊さを知ることができました。大好きですね、家族(笑)。
――レビンズに入った経緯を教えてください
大学の先輩で栗原さん(大介、採用担当)に声をかけてくださり、私自身もラグビーを続けたい思いでいましたので一択で採用試験を受けました。
――仕事とラグビーの両立は苦労しましたか?
学生時代はアルバイトを含め、働いたことがほとんどなかったので、最初は苦労しましたが、だんだん慣れてきました。
――どんなところが大変でしたか?
体力面です。仕事で体を使いますので、最初の頃は疲労感を抱えたまま練習に参加していたので、満足のいくパフォーマンスが出せなかったです。改めて社会人でラグビーを続ける大変さを身に染みて感じていました。満足のいくラグビーができていなかったので辞めることも考えていました。
――誰かに相談はしたのですか?
ラグビー部のOBの方々に相談をしましたが、叱咤激励をしてくれました。自らレビンズでラグビーをしたいと思って入社を決めたのに、弱気になってしまって。あのとき声をかけてくださった言葉は本当に支えになりました。
――思いとどまったのですね
そうですね、仕事もうまくいくとラグビーの練習にも集中できますし、集中できれば自分自身のパフォーマンスもどんどんあがっていくので。改めてラグビーが好きに感じたのと、チームのことがより好きになりました。
――チームのどんなところが好きですか?
どんなところですか、、、レビンズが好きなんですよね。戦術もそうですし、仲間もそうです。同じ境遇でラグビーをしていますし、仕事もラグビーもハードワークしているところや一生懸命、チームのために何ができるかを考えていますし、何よりみんな体張っていますよね。
中途半端なままでは終われない
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――昨年末に大きな怪我をしました
昨年のリーグ戦が終了して、3地域社会人リーグが控えていた12月21日の練習のときでした。
――怪我の具合はどんな感じでしたか?
左大腿二頭筋損傷という怪我です。いわゆるハムストリングの断裂です。今まで大なり小なり怪我はしてきましたが、今回のような大きな怪我は初めてです。
――怪我をしたときの気持ちを聞かせてください
怪我をした直後は自分の体を動かすことができずにいましたが、何とかなるだろうって安易に考えていました。でも痛くて寝れなくて、病院で診察を受けましたらすぐ手術をしてくださいって言われました。
――復帰できるまでどのくらい要すると言われましたか?
約七ヶ月はラグビーらしいことできないと言われました。でもそんなに時間を要するのか若干疑っていました(笑)。
――手術後はどんなことを意識しましたか?
手術後、1週間も経過しないうちに松葉杖で歩くことをしました。ただ、怪我をしたところが臀部の付け根付近でしたので、トイレが大変でした(笑)。
――ようやく体を動く状態になったタイミングでチームはオフに入りました
はい、3地域社会人リーグの決勝戦はグラウンドに出向くことができました。まだまだ思うように体が動かず、痛みもありましたのでオフ期間中は食べることを意識しました。この怪我を機に体重増加をして復帰後のトレーニングのことを考えていましたね。
――グラウンドで走り回れるようになったのはどの位でしたか?
しっかり走れるようになったのは1ヶ月前くらいです。思った以上に時間がかかりましたね(笑)。
――そこに焦りはありますか?
もちろんあります。周りはしっかりトレーニングを積んでいるので。でも、考えても仕方ないし、とにかく目の前の与えられたトレーニングをこなすだけです。あとは幸いなことにリーグワンの開幕が12月なので、そこまでにはチーム内競争に入れるようにしたいです。昔のように走れない可能性があるとも言われていますが、グラウンドに立ったら関係ないですし、そんなこと言っている暇なんて私にはありませんから。
――この覚悟は堀川選手のこだわりですね
はい、ラグビーできる環境がありますし、何より弟の分まで頑張らないといけません。こんな中途半端な状態では終われません。
――12月にリーグワンが開幕します
すごく嬉しいですし、周りの期待も大きいと思います。特に大学の同期からは期待以上の言葉をかけてくれています。正直、プレッシャーが大きいですが、せっかくなので楽しみたいです。
――職場の方やファンの皆さまにコメントをお願いします
まず、職場の方には日頃から本当に感謝しています。ラグビー部のみんなが口を揃えて言っていると思いますが、職場は活動の状況を理解してくださっています。また、合宿や試合遠征などで数日間職場を離れることが多々ありますが、私たちのことを応援してくださっています。だからこそ、しっかり結果を出して恩返しをしたいと思います。またファンの皆さまに覚えていただけるようにしっかり戦っていきます。私たちのチームはこれからです。うまく言えませんが一緒に戦って欲しいと思います。
――最後に堀川選手にとってラグビーとはどんな存在ですか?
私の軸でありそのものです。私は今までラグビーで歩んできましたし、多くのことをラグビーから学びました。このラグビーに恩返しできるようにこのチームのメンバーとして誇りに感じながら自己犠牲の精神で戦い続けます。
――ありがとうございました
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取材後記
常に病気や怪我に悩まされ続けている堀川選手。普通の人であれば何度も心が折れてしまうことを努力で乗り越えてきています。現在復帰に向けて毎日ハードトレーニングを積んでいます。決してあきらめない行動が今のチームには欠かせないものだと感じさせてくれています。
取材・編集:広報担当
写真:土居政則、ヤクルトレビンズ戸田、本人提供