ないものねだり
マスク着用を強いてくるあの強敵により、大学最後の一年はほぼ外出しなかった。
そんな私は、選んだ仕事が本当に天職だと思った。対面で大勢とコミュニケーションが取れること、他愛のない会話や軽い相談がすぐにできること、周りに期待してもらえること。
ちょっと頑張ってますアピールを大きくするだけで、一年目なのに! と褒めてもらえる。
一年目は、帰り道の夕日がひどくきれいに見えた。
二年目。リモートで働けたらいいのになぁなんていう欲が出てきた。
大学最後の年に、リモートの息苦しさを体感していたのに。
仕事は、すごい楽しいよと言えば嘘になる。ふつうだ。無。可はなくてちょっと不可がある。
責任が大きすぎるのは嫌だと思っていたけれど、どうでもいい雑務ばかり任されるのも辛くなってくる。
プライベートを充実できているぶん、仕事が前ほど充実していると思えなくなってしまう。
日々を重ねる中で、知らぬ間に比べることが増えている。
こうなったらいいのにな、こんなことしてみたいな、、、
仕事についてそんなことを考えながら目を輝かせたのはいつのことだったんだろう。今の仕事って、本当の意味の、天職なのか?
私の夢
大学生の私は、不良だったと思う。
夜遅くまで都会にいて、よくわからない人たちとつながりをもち、少しサボって、朝には起きれなくて、バイトは半分クビ。
でもそんな"ていへん"な時期は必要だった。マイペースに前を向いて努力していき、自分のことを認められるようになって、幸福度を高めてきた。
自分の経験から、叶えたいと思ったこと。私の夢。
それは多くの人に幸せを感じて生きて欲しい、ということ。
心の余裕と、広い視野をもって考えれば、些細なことも幸せのひとつになるんだから。
捉え方次第ですぐに幸せになれるんだよ。
捉え方を変えるために、まずありのままの自分を受け入れて、広い時間軸の中で自分と自分を比べたらいいんだよ。
、、、本気で思っていた夢。
この夢を考えて二年後の私は、たくさん幸せを感じて生きているんだろうか?
幸せはたしかに感じる。仕事以外でたくさん。
でも仕事については、わからなくなってきてしまった。
働く大人たちの険しい顔。満員電車の蒸し暑さ。愚痴るパートの母。
彼らはもっと楽になって欲しい、幸せになって欲しい、そう思っていたし、実際なれるはず。
ただ、仕事に幸せを見いだせる余裕が、ない。私も、わからない。本当に、ターゲットに届けたいことってなんだろう。今の私みたいな人に届けたいことってなんだろう。
友達のインスタグラムを見て、ああ、私もこんなことしたい、と思う。
同じように、過去の自分を見て、ああ、こんなふうになりたい、と思うこともある。
でも、それは不幸なことなのか。いや、ちがうはず。
私は幸せに思うことも、不幸に感じることもある、というだけ。
みんな私と同じ、なんてことはない。
夢? 変わってもいいし、なくてもいいよね。小さい夢でもいいなあ。
もっと短くしたら似合いそうだよね
職場で雑談していたら、言われたこと。
嬉しいけど、実は私もそう思っている。だからずーっと短めの髪を保っている。
一方で、そろそろ髪型を変えたい気持ちもあるんだ。
そういえば、
慣れとはなんだろう。幸せになりたいって、なんだろう。
私は、いろんなことが"ないものねだり"に思える。
仕事もそう。幸せとかもそう。
今あることに気づくのが大事だし、それで充分満たされるのに、満たされない部分を気にしてしまう。
そして、ないものを、もっともっと、とねだる。
ないものねだりをするのが嫌だなあと思う。
でもこれもまた、ないものねだりなんだなあ。
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