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間違ったキャリア教育の結果
文科省が2000年前後から言い出したキャリア教育、そしてキャリアコンサルタントの資格や、さらに国家資格化の流れが、日本での四半世紀であった。私は初めから疑問というより違和感を覚えていたのだが、結局キャリア教育は失敗の不良品だったのでは?と改めて思う。
最近の人は「やりたいことで生きていく」とか「好きなことを仕事にする」とか言うのが当たり前になっているが、本当にそれが正しいのだろうか?という違和感が私にはある。理想の夢を語っているのであれば分からないではないが、現実に思い込んでいるとするのなら危険な思想になりうる。
そのような人間を造り出したのがキャリア教育であった。多様性は良いのだが、問題は多様性の名のもとに自分勝手な地に足が付かない人間を造り出したことが問題なのである。天才の才能を持っている人であれば自分がやりたいことだけをやって生きても良いだろうが、多くの普通の凡人を騙して嗾けるようなキャリア教育は危険である。
世の中には、①自分がやりたいこと、②自分が出来ること、③義務として行うべきことがある。一番の理想は①②③が同一なモノだろうが、それは単に「理想であって現実ではない」ことを知ること、が大切なコトになる。
プライオリティから言えば、先ずはモラルある人として③の義務を果し、社会人として②を全うさせ、余裕や余暇があれば①にも目を向けるというバランス感覚であろう。しかしキャリア教育はこれを根本から崩壊させ、「なりたい自分になる」とか「私にしかできないこと」とか「自分らしい生き方」など、言葉面だけで言えばそのこと自体は間違ってはいないが、プライオリティを無視してそれをやってしまうと社会に適応障害が生じ、個人を崩壊させることに繋がってしまう危険思想だからである。
大切なコトは、先ずモラルのある人間づくりであり、社会に適応できる自立した人間づくりであり、その上での自己実現をめざす高貴なチャレンジ精神づくりなのであるから。
いくら自分がやりたいと思っても、出来ないことであれば夢見る夢子ちゃんであり、「大人になっても子供の状態から抜け出せない人」、「社会の中で自立しないワガママな人」にしかならないことを理解しなければならない。
自分がやりたいことばかりをやっていると、社会の中では現実を知って脱落することも多く、その結果どうなるかというと、メンヘラになったり、逆メンヘラで根拠のない自信に満ちた危険な人間に陥ってしまう危険性があるのだ。それは社会の労働力を低下させ、社会保障費を増大させ、医療コストを無駄に増やし、逆に生きづらい社会を助長することに繋がるのだから、全くナンセンス極まりない行動である。
その結果、訳の分からない自分勝手な精神疾患になったり、単なる迷惑な人になったり、いずれにせよ本人も周囲も無駄な苦しみを覚える状態になり、誰も幸せにならない結果となる危険性が高い。
人として生まれたのであれば、先ず自分が出来ることで自立するのが先決であり、かつそれは社会にとっても有効で価値のある行動となる。さらに言えば自分の義務を果すことだ。日本国憲法には「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」が記されている。それを積極的に、優先的に実行し果すことである。
人は誰でも、その人に「出来ること」がある。それは一般人はもとより、病人でも精神疾患者でも、障害者でも高齢者でも同様である。誰でも、その人の範囲で出来ることがある。大切なコトは、まず「自分が出来ること」から始めることなのである。
そういうモラルを持った上で、初めて余裕の中で自分がやりたいことをやってみるのも良いだろう。それは趣味かもしれないし、社会貢献活動かもしれないし、NPOなどのボランティア活動かもしれないし、単なる自己満足活動かもしれないが、モラルがあり、プライオリティを理解した人であれば、そこで初めて自由であり、謳歌できるというものだろう。
私が言いたいことは唯一つ、「やりたいことではなく、出来ることをやってください」である。モラル欠如の人が増えたのも、キャリア教育の失敗であったと思うのは私だけだろうか?
やりたい仕事をやる前に、先ずは「出来る仕事」をやってください。
なりたい自分になる前に、先ずは「周囲から期待される自分」になってください。
そこにこそ、あなたの本当の価値があることに気付くべきです。
#note #エッセイ #高齢者 #フリーター #役立たず
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))