せっかくの意識の高さ、志の高さが、目立つ倫理系言説や成功例に振り回され不健全化するのを防ぐのに必要と思われる事(投稿用の改訂版も付記)
2019-12-006
学校関係のスレに一応、投稿しておきました。
経営者とサイコパス気質の正相関みたいな話をスルーし、実際その種の疑い持たれて仕方ない類の成功者に、
疑問持つ事なく憧れたり自己を律するレベルで感化される等を避けるのには、
少なくとも、それぞれの場が持ってる代替利かない性質に即した扱い(損得や役回りの割り振り)を、
場に置かれたものは受けるべき、との理解と整合的な他者評価の基準を持ち合わせてる必要があるはずです。
同様に、進んだ国や進んだ主張と見なしたもの見なされてるものを基準に、劣位的有り様を糾弾する試みが、
有害なもの、実態は揺り返しの推進に過ぎないものとなるのを避けるのにも、
場の本質に即した扱いへの支持(フェア)は必須でしょう。
しかし、搾取や差別に対する修正の働きかけでさえ、
場の性質と扱いとが整合してないから正す、という内容とは言えないのが普通である上に、
不当な不利益回避や利得が許されるポジションのすげ替えを事実上図ってるだけの勢力と、
不当な不利益回避や利得を強者弱者によらず認めない(フェアを越えては助けない)勢力とが、
争ってるような形跡もないので、後者勢力はかなりの少数と推察されます。
とはいえ、割り振りの確からしさ(非ご都合主義)に厳格でないまま歴史における功罪を、あるいは、
未来の望ましい姿を語る者、示唆してる形の者は後を絶たないわけで、
それらに振り回され、対象が想定してる達成要件や持ってるロジックを吟味する作業に支障を来す人が多い、
この状況は修正利きにくい環境という個人レベルの不都合だけでなく、社会の為にもならないはずです。
事実、指揮機能が依拠してるロジックの甘さを、現場の覚醒作用のみで穴埋めする不効率なパターンを、
日本は先の大戦という分かりやすい例を持ちながら、繰り返してきたと言っても良いように思われます。
なので社会は、問われるべき事を違えてるという齟齬の解消、問われた帰結(優劣等)の他への越境阻止、
これらを内容に持つ次元設定原則(着目する差異は局面が決めるという、問われるべき事と捨象の合致)を、
市民はじめ、社会のあらゆる主体に求めるべきであるし、教育次第でそれは十分に可能と考えます。
そこでまず、抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究を、性質把握や有り様規定に持たせてる。
問われるべき事(場の本質)と捨象の合致配慮を、次元設定やリアクションに持たせてる。
(この相補的な二つの持たせる作用を越えて目的や方法は持たない。)
そうした態度を、知性や倫理から失わせせないようケアしつつ為す教育をもって、
情報が溢れてる時代状況にあっても情報に振り回される程度を抑え、上の吟味作業を最大化させられる人を、
育てるとの教育理念を、
また、その教育がなければ、意識の高さ、志の高さを備えた若者やシステムも、
目立つ倫理系言説や成功例に振り回され、
その高さから期待できるパフォーマンスにいらぬ偏り(不健全さ)を負ってしまうとの危機感を、
持ってもらうよう教育関係者に求めていきましょう。
2019-12-006'(上の改訂版)
別の学校教育関連のスレへの投稿内容
割り振りの確からしさ(ご都合主義的かどうか)に厳格でないまま功罪や望ましい状態を捉えてたり、
溢れてるその種の語りや示唆に振り回される事で、達成要件やロジックの吟味に支障を来してる人が多い程、
現象や課題にまともな原理把握なしで立ち向かってる状態から抜け出しにくい社会と言えるはずです。
指揮機能が依拠してるロジックの甘さを、現場の覚醒作用のみで穴埋めする不効率なパターンを、
先の大戦という分かりやすい例を持ちながら、繰り返してると言って良い日本としては、
問われるべき事と捨象の合致(着目する差異は局面が決める)という次元設定原則に立脚する事で、
問われるべき事を違えてるという齟齬の解消、問われた帰結(優劣等)の他への侵入阻止、
それらを機能させるよう、また、割り振りへの接し方をその原則の利き具合で評価するよう、
社会を構成する全主体に求めていくべきでしょう。
そこでまず、抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究を、性質把握や有り様規定に持たせてる。
問われるべき事(場の本質)と捨象の合致配慮を、次元設定やリアクションに持たせてる。
(相補的なこの二つの持たせる作用への支持を、目的の選定や方法の選定の要件としてる。)
そうした内容を知性や倫理から失わせないケアを、担当の教育期間を通して押さえる事で、
情報が溢れてる時代状況にあっても情報に振り回される程度を抑え、
(失敗なり変化なり、不可避と認知した際には対象を代替不可能化させる処理で応じ、)
上の吟味を最大化できる人を育てるとの教育理念を、
また、その教育なければ意識の高さ、志の高さを備えた若者やシステムも、
目立つ(割り振りの確からしさに厳格とは限らない)倫理系言説や成功例に振り回され、
その高さから期待できるパフォーマンスにいらぬ偏り(不健全さ)を負ってしまうとの危機感を持ってもらうよう教育関係者に求めていきましょう。