見出し画像

2014文字、センスおよび死は論点を取り違えられてきたのでないかという話

2024-3-003

センスが良い悪いという概念は、重要なものと重要でないものとを分けられる分けられない、との意味合いで用いていれば、
小学生が理科の実験で求められてる差異を取り出せるようにセットアップを組むのに失敗してる事態と構造的に何も変わらない、
ドーピングによる金メダル的な茶番選抜について、修正余地のあるもの扱いをしているいないの差異と重なるはずです。

逆に、内実の確からしさの上限を損なわないように定まってる表層形であるか否かと関係なく、表層形の望ましさ自体との遠近と重なってるのなら、
その意味合いで用いてはおらず、修正余地のあるものを確からしいものとして扱わせる為の道具と化してると見なせます。


運用次第で世界の茶番化を抑制も促進もする、というこの運用問題を論点とせずに当該概念を持ち出してる場合、内実不問が言えますから、
上の意味合いで用いてる立場からは、重要なものと重要でないものとの差異を取り違えさせるだけのいらぬ囚われを剥ぐのに必要な、局面の疑似でない固有性と着目無視の設定との合致を、
自身に求めてる者と求めてない者との差異における後者として扱われる事になると考えます。



例えば、(生前や死後についての理解は、宗教的事実を獲得でき、かつ、それらを厳格に検証できる人の説明に準拠する事にして)肉体の死に関して言うと、
置かれてる場に通用し続けるという存在課題を生命という形式の下で引き受けてる生から見て、

内在不問外在軽視な典型自由観のような外在場に合わさない方向性は、それでもやっていけるだけのぬるい環境に通用領域を限定していますし、
通念的な空気を読む(場を荒らさない事に力点があるタイプ)のような外在場の表層に合わせる方向性も、
客船が氷山に向かって突き進んでる場合に客船と心中する内容の通用性しか持ち合わせていませんから、どちらにも修正余地があるはずです。


存在課題を引き受けた具体的結果である、ある時点での生有り様や死について、
場に合わさない合わせるという表層形反転二択の関係にあるこの二つの方向性の産物か、
それとも、場の本質に合わせる方向性(絶対主義相対主義を含むその二つの方向性の同時否定)に相当する、外在場を場と齟齬のない秩序に寄せにいった結果

(災害遭遇も、居合わせた事実や可能な対応は社会を通して受ける何らかの一種ですから、外在場の疑似でない個別性に即した秩序は事実上、
存在現象を抽象物と具体化条件に分けた上でそれぞれに受容に値する内実を求めてる対自己である、代替不可能な内外事情にしか応じない実存だけから成ってる社会、

したがって、自身における存在するのと引き換えと言えるものの忌避や言えないものの帰属を正当化する者のいない社会、
例えば、その実存の反映である需給事情込みで市場を否定する反動反発系とその実存の反映でない需給事情込みで市場を肯定する妄信系とが同時否定されてる状態と言えて、

その受ける何らかに修正余地なさを持たせ、外在場との関係、ひいては、存在課題との関係を受容に値するものにする為に、
我々ができる事の上限はその実存を自他に求める事であると推測される)の産物かを論点にしてない対死は、


内実不問(外在場に合わせる作用の過不足を問題視しない態度は、論理であれ歴史であれ展開性を、
抽象化具体化の交互反復による同一性変化性の同時達成として見た時の、既に与えられてる展開性に対して我々ができる事の上限である、抽象化具体化の精度最大化、

個別性が根拠になる局面では同種の他との共通要素捨象を、個別性が根拠にならない局面では同種の他との差異要素捨象を用いつつ、
精度最大化状態を損なわないように表層形が定まる事を表層形自体の望ましさに先立たせてるそれによる、

限定を受ける前状態の準備とそれが負う限定に対する引き受けざるを得ないとは言えない要素の削ぎ落し、
この両者の上限化の下での総合を内容とする理想現実関係の達成を放棄してる、

ひいては、有限の与件性の下での限定最小化を意味するこの理想現実関係が踏まえられる事で成り立つ、
持つ者は持つ者なりの役回りを負うなど、課せられてる条件の下での上限を誰もが求められる平等性や、
肯定も否定も依拠してる為に認識の前提と言える、通用してる領域の広狭と確からしさとの相関への全面的立脚を放棄してる形)ですから、


哲学的見た目をしていようとも(例えば、現象学は、各人の認識場の個別性について、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存を生きる事を通して修正余地なさを持たされたものかどうかを不問にしてる以上、

場の表層の汚れを拭ってるだけなので、認識場の性質を具体化条件として見た時の具体化精度不足が保存されてる形、
したがって、場と齟齬のない秩序構築としての整合の働きも形骸でしかないのに満足してる形であり、
この構造は拡張系にも言えてしまいます)、先に見たいらぬ囚われの現れと見なせるように思います。

いいなと思ったら応援しよう!

欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
ご支援の程よろしくお願い致します。