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3599文字、既存の文系権威との付き合い方について、通念的な自由はどう否定されるかにも触れて

2024-10-004

自身の個別性の取り違えを最小化してない(自身の個別性を同種の他との共通要素捨象に十分さらしてない)人の場合、
自分が自分である限りこうならざるを得ないという感覚は形骸です(例えば、自身の感情なり価値判断なりについてのこの感覚は形骸であり、

認識場の個別性が疑似化してる為に、感情選抜にせよ、ある状況での競争有り様や協調有り様についてなどの意見選抜にせよ、
足の速さが問われてる状況で家柄の良し悪しが序列に反映されてる的な茶番選抜です)。

形骸な根拠の産物を受容に値するものかのように扱い、自他に受容させる可能性を高める不当達成の試み
(自身の取り違えを最小化させた内外事情のみ引き受ける実存をもって理想と対峙する事で理想を割り引く程度を最小にする、

この理想現実関係を生きてないのに、仕方なさ等の有限能力の現れな概念を持ち出すのもこれ)を、
常時生きてるのに等しいこの事例と同じ構造を、既存の文系権威は持ってると解して、

個別性の取り違えを文系論理的な飛躍と位置づけ、理系者が通念的な論理飛躍への寛容さを放棄してるのと同じだけの厳格さを、文系者に文系論理的な飛躍に関して求め、
論理飛躍の存在しにくさを、例えば、権利概念によって主体についての文系論理的な飛躍がかくまわれてきたこれまでから、理系空間と同程度にまで持っていく事で、
文系論理的な飛躍のある秩序(通用の行き渡ってない中途半端な構築物)を保障しようとする有害な影響力を、権威者によるもの含めて弱めにいきましょう。



市場や民主制を根拠にする立場も、反映される個々事情が代替不可能な内外事情にしか応じない実存にとっての事情に限定されてないケースを含む
(特に、実態を根拠にしてない立場に対する批判にかこつけて、文系論理的な飛躍を抱えた実態の根拠化を押し通す有害な疑似二択の帰結として採用してる)のならば、その種の秩序を支持してる形ですし、

多様性の確保を根拠にする立場も、代替不可能な内外事情にしか応じない実存以外も保障する
(代替不可能な内外事情にしか応じない実存が受容条件である為に、この実存の反映でありさえすればどんな表層形も肯定される、
それこそこの実存間で生じてるのであればどんな競争有り様もどんな協調有り様も肯定される世界、

つまり、より確からしいものが取って代わる運動性の受容阻害が最小な有限性の反映は、
帰属関係に修正余地がなく受容に値するものとして扱われる世界とバッティングする、

実存の無条件肯定が内容の理念に立脚してるとか、取り違えが最小な局面事情を引き受ける具体化精度上限化への志向の欠如から着目無視設定が局面と一致せず、
次元設定自在性という人間性に振り回されたり持ち腐れさせてる事態を美化してるなどの、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存ではない部分まで肯定する過剰肯定な世界を意味する)のならば、その種の秩序を支持してる形です。


文系権威がその種の秩序を支持していてなお権威でいられるのは、文系空間で評価される能力に、個別性の取り違えを可能なだけ取り除く能力が含まれていないからであり、
個別性が根拠になる局面で個別性の取り違えの有無を検討する能力の機能具合が評価対象でない以上、既存の文系権威は、先に見たような茶番選抜の産物に他ならないからです。

(取り違えを最小化させた局面事情と着目無視設定との合致は上で見たように人間性を生かし切る条件ですが、
合致させたままの対他者は各場が持たざるを得ない偏りのみを負わせるが故に平等に相当し、
合致に伴う捨象が保持されるように自己を扱う対自己は囚われてない状態に導くが故に自由に相当します。


ここで対人を対概念に差し替えると、負わされる理由のない偏りを負わせるとの意味での不当な扱いが概念に対して見られたり、概念がいらぬ囚われを負ってる事態に疑問を持ってさえいないなら、
人間性不全が言えてしまう為、概念を自在に扱えるとか、持ってる概念が豊富といった量的側面のみで知性を捉える発想は、人間性不全が言えるレベルで知性が機能してない証拠となります。

同じ事は対存在性、つまりは、美意識に関しても言えるわけですが、既存の文系空間は、
個別性が根拠になる局面で個別性の取り違え具合を検討する能力が評価対象に含まれておらず、文系教育からして人間性を生かし切る方向を向いていません。

にもかかわらず、そこには知性倫理美意識の権威が存在し、影響力を持ち、文系空間の有り様に対する修正要求を、
例えば、置かれてる場に通用させ続けるという存在課題に種レベルで対応した結果の一つである性別システムの帰結から、人間Aと人間Bは内在性質だけでも差異があって、

前提である個々の個別性、主題に対する具体化条件ともなるこれについて取り違えを最小化するか、捨象するかは、
個別性が根拠になるならないという局面事情差異に整合させるよう求める要求を、潰しさえするわけです。)



存在するのと引き換えでない要素まで存在に帰属させてる帰属操作状態での存在立脚に対する糾弾
(他の搾取を否定しながらこの搾取には肯定的であるご都合主義への糾弾も込みであり、

愛や信仰や自由の名の下になど、実存を内実不問で肯定する内容へと矮小化した理念を掲げる事で帰属関係の操作を正当化して、帰属操作の責任を理念に擦り付ける、
言わば、理念への形骸な尊重の事例を踏まえると、この搾取には理念に対する搾取も含まれると見なせる)を、

知性倫理美意識の権威をもって封殺する事態の発生も、文系者という単位での実力を持ち合わせてないのに、個別の専門性での実績を根拠に、持ち合わせてるかのように振る舞う飛躍
(言わば、数を数えるという抽象次元を、林檎を数えるという具体次元が乗っ取ってる形であり、
これ自体は、文系空間における同種の他との共通要素捨象の軽視の影響で、この捨象を用いた抽象化具体化の能力を埋没させてる既存教育の弊害)の弊害であるわけです。


なので、張りぼてな権威を実質があるかのように扱って、何らかを達成する不当達成についての彼らの自己正当化(修正要求に対する拒絶)を真に受けずに済むよう、
既存の文系権威は、個別性が根拠になる局面(文系的局面)、かつ、個別性の取り違えが搾取に繋がらない局面(単なる実態報告など)でのみ取り合うに値するとの理解を押さえましょう。



個別性の取り違えが搾取に繋がる局面では、文系事象を構成してる内在性質と外在性質に分離した上で、
両性質が同種の他との共通要素捨象に十分さらされたものであるか検討し、十分にさらされてる場合と実際とのズレ部分に付き合わないところまで現象解釈に含めてる方に与しましょう。

また、外在事情を確からしいものに限って引き受けるのは、義務や道徳の話ではなく、具体化精度確保であって、
確からしさが上限な内外性質から成ってる状態、あるいは、抽象化具体化の不十分さが解消されてる状態を、

解決状態(有限性下で帰属関係に修正余地がなく受容に値する状態)としてる現れです。
(当然この場合、代替不可能な内外事情にしか応じない実存部分以外込みで自他を肯定する人もその部分込みで自他を否定する人も、
この解決状態の達成を、ひいては、この解決状態の集積な世界への接近を阻害する有害な存在と見なされます。)


言い換えると、通用してる領域の広狭と確からしさとの相関(肯定否定保留の根拠)を持ち出す際の観点(着目無視設定)に対してもこの相関を適用するレベルで、この相関にしか頼ってない状態は、
有限(内外境界発生であり、有と無の差異も込み)の与件性、および、より通用領域の広いものが取って代わる運動性
(常に通用領域が上限である為に無限性と解せる)の受容阻害が最小な有限性有り様を選ばざるを得ないという話なので、

代替不可能な外在性質の引き受けすら、何らかの価値体系の妄信的な採用であるかのように糾弾するなど、
割り引かれの拒否の形で上の相関に頼ってる内在不問外在軽視な典型自由観の立場から具体化精度確保を
(したがって、先に見た人間性を生かし切る内容の自由平等も)否定するのは、

自身が頼ってる根拠を中途半端に持ち出してる(通用を行き渡らせる事ができてない以上、
頼ってる根拠から自身の有り様を否定すべきを肯定してる点で、ご都合主義のバリエーション)に過ぎないと解しましょう。

(例えば、社会性は、赤ちゃんをどのような状態で生み、どう育てるかまで性別システムに含めれば、人間形式の一つと言えますが、
社会性と個々人の関係性も、主題を代替不可能な内外事情にしか応じない実存によって具体化する対象の一例に過ぎず、

抽象化具体化の不十分さ解消とは、あるいは、解消状態での交互反復が内容の変化不変化有り様とは無関係に、
社会性との具体的関係を肯定否定するのは、問題解決に対する抽象度不足の現れです。)

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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