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2141文字、既存の文系権威との付き合い方について

2024-10-004

自身の個別性の取り違えを最小化してない(自身の個別性を同種の他との共通要素捨象に十分さらしてない)人の場合、
自分が自分である限りこうならざるを得ないという感覚は形骸です(例えば、自身の感情についてのこの感覚は形骸であり、

認識場の個別性が疑似化してる為に、感情選抜にせよ、ある状況での競争有り様や協調有り様についてなどの意見選抜にせよ、
足の速さが問われてる状況で家柄の良し悪しが序列に反映されてる的な茶番選抜です)。

形骸な根拠の産物を受容に値するものかのように扱い、自他に受容させる可能性を高める不当達成の試み
(自身の取り違えを最小化させた内外事情のみ引き受ける実存をもって理想と対峙する事で理想を割り引く程度を最小にする、

この理想現実関係を生きてないのに、仕方なさ等の有限能力の現れな概念を持ち出すのもこれ)を、
常時生きてるのに等しいこの事例と同じ構造を、既存の文系権威は持ってると解して、

個別性の取り違えを文系論理的な飛躍と位置づけ、理系者が通念的な論理飛躍への寛容さを放棄してるのと同じだけの厳格さを、文系者に文系論理的な飛躍に関して求める事で、
文系論理的な飛躍のある秩序(通用の行き渡ってない中途半端な構築物)を保障しようとする有害な影響力を、権威者によるもの含めて弱めにいきましょう。


市場や民主制を根拠にする立場も、反映される個々事情が代替不可能な内外事情にしか応じない実存にとっての事情に限定されてないケースを含むのならば、その種の秩序を支持してる形ですし、
多様性の確保を根拠にする立場も、代替不可能な内外事情にしか応じない実存以外も保障する

(代替不可能な内外事情にしか応じない実存が受容条件である為に、この実存の反映でありさえすればどんな表層形も肯定される、
それこそこの実存間で生じてるのであればどんな競争有り様もどんな協調有り様も肯定される世界、

つまり、より確からしいものが取って代わる運動性の受容阻害が最小な有限性の反映は、
帰属関係に修正余地がなく受容に値するものとして扱われる世界とバッティングする、

実存の無条件肯定が内容の理念に立脚してるとか、取り違えが最小な局面事情を引き受ける具体化精度上限化への志向の欠如から着目無視設定が局面と一致せず、
次元設定自在性という人間性に振り回されたり持ち腐れさせてる事態を美化してるなどの、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存ではない部分まで肯定する過剰肯定な世界を意味する)のならば、その種の秩序を支持してる形です。


文系権威がその種の秩序を支持していてなお権威でいられるのは、文系空間で評価される能力に、個別性の取り違えを可能なだけ取り除く能力が含まれていないからであり、
個別性が根拠になる局面で個別性の取り違えの有無を検討する能力の機能具合が評価対象でない以上、既存の文系権威は、先に見たような茶番選抜の産物に他ならないからです。

(取り違えを最小化させた局面事情と着目無視設定との合致は上で見たように人間性を生かし切る条件ですが、
合致させたままの対他者は各場が持たざるを得ない偏りのみを負わせるが故に平等に相当し、
合致に伴う捨象が保持されるように自己を扱う対自己は囚われてない状態に導くが故に自由に相当します。


ここで対人を対概念に差し替えると、負わされる理由のない偏りを負わせるとの意味での不当な扱いが概念に対して見られたり、概念がいらぬ囚われを負ってる事態に疑問を持ってさえいないなら、
人間性不全が言えてしまう為、概念を自在に扱えるとか、持ってる概念が豊富といった量的側面のみで知性を捉える発想は、人間性不全が言えるレベルで知性が機能してない証拠となります。

同じ事は対存在性、つまりは、美意識に関しても言えるわけですが、既存の文系空間は、
個別性が根拠になる局面で個別性の取り違え具合を検討する能力が評価対象に含まれておらず、文系教育からして人間性を生かし切る方向を向いていません。
にもかかわらず、そこには知性倫理美意識の権威が存在し、影響力を持ち、文系空間の有り様に対する修正要求を潰しさえするわけです。)



存在するのと引き換えでない要素まで存在に帰属させてる帰属操作状態での存在立脚に対する糾弾
(他の搾取を否定しながらこの搾取には肯定的であるご都合主義への糾弾込み)を、

知性倫理美意識の権威をもって封殺する事態の発生も、文系者という単位での実力を持ち合わせてないのに、個別の専門性での実績を根拠に、持ち合わせてるかのように振る舞う飛躍
(言わば、数を数えるという抽象次元を、林檎を数えるという具体次元が乗っ取ってる形であり、
これ自体は、文系空間における同種の他との共通要素捨象の軽視の影響で、この捨象を用いた抽象化具体化の能力を埋没させてる既存教育の弊害)の弊害であるわけです。


なので、張りぼてな権威を実質があるかのように扱って、何らかを達成する不当達成についての彼らの自己正当化(修正要求に対する拒絶)を真に受けずに済むよう、
既存の文系権威は、個別性が根拠になる局面(文系的局面)、かつ、個別性の取り違えが搾取に繋がらない局面(単なる実態報告など)でのみ取り合うに値するとの理解を押さえましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。