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4175文字、自己肯定感の捉え直し、および、宗教や理念との付き合い方について

2024-7-006

足の速さが問われてる場での優勢劣勢有り様に、家柄の差異なり薬の効き具合の差異なりが反映されていた場合、茶番なだけでなく奪う奪われる関係の発生も言えるわけです。
自身の優勢劣勢有り様の表層形だけを問題にして、帰属関係の内実の確からしさを二の次としてる状態を、優勢劣勢有り様に振り回されてる事態と位置付ければ、

振り回されてるという低通用状態(いらぬ振り回されを負ってるという不自由状態)からの解放は、
優勢劣勢有り様が場に即してるという意味での内実確からしさの確保を、表層形に先立たせれば良いだけです

(優勢劣勢有り様が場の取り違え最小な個別性に即してる時、搾取は生じてないという理解の不在、
搾取概念に対する抽象度不足の現れでもあるこれは、内実不問や具体化精度不問の原因の一つ)。

先立たせてる場合、場Aにおける優勢劣勢有り様を、場Bの優勢劣勢有り様に持ち込むのを防いでもいるので、
特定の場での劣勢という事実の波及は最小ですし、場が無数にあるだけでなく場の性質が変化する以上、優勢立場に置かれる可能性を開いてもいて、
さらには、フェアを越えて自己を助けない状態故に、自己の救済への志向が肥大化する(特に、解決不能性に振り回される)のを防いでもいます。


(政治的にであれ経済的にであれ、優勢と劣勢の間の差異自体を無くそうとする発想は、
肥大化した実態の肥大化部分除去でなく、肥大化してない実態も当然含まれる実態自体を否定する過剰反応である点で振り回されてる上に、

その点では対道徳においてディオニュソス的イメージを持ち出すなど、形式や管理に対する批判が、
場の本質を場全体に行き渡らせる役回りが果たされているいないの観点を超えて展開されるパターンと何ら変わらないように思われます。)



また、他者との比較を戒める主張がありますが、他者との比較は単なる情報であって、情報に振り回されなければ良いだけであり、
この場合、優勢劣勢有り様に関わる情報なので、上の解放が獲得条件と言えます。

ちなみに、情報にしろ能力にしろ可能性にしろ、代替不可能な内外事情にしか応じない実存と整合してない獲得喪失は、
いらぬ特化による自己の低通用化(言わば、無意味に死角を作るような振る舞い)である為、

この実存と整合的な情報を得る事と、余裕や実力がないという局面事情の要請による次善の策としての情報遮断とは矛盾せず、
条件良化にもかかわらず次善の策に頼り続けるのは過保護による閉塞(通用領域低減)です。

このいらぬ特化(内在場や外在場の取り違え最小な個別性が根拠でない部分の獲得喪失)の有無を取り込んでない対人評価
(この実存における個々事情の集積でない状態の市場を根拠とする評価も込み)に付き合わない態度も、上の解放の効用なので、

認識場の個別性が取り違え最小化状態でない(自己評価がここを不問にしてる)せいで、
認識場での選抜が茶番選抜になってる人(対テキスト等での自身の問題意識の反映に、

存在するのと引き換えでない要素を存在に帰属させる帰属操作の側面が含まれてしまってる人)の感情や意見に、
もちろん、それら茶番な選抜結果が前提になってる言動に振り回される程度を、

自分が自分である限りこうならざるを得ない感に含まれてる偽装の側面に付き合わない分は抑えられると期待できます。
(これは他者の能力にも言えて、小学期前半で既に、代替不可能な内外事情にしか応じない実存と整合的でないという意味でのいらぬ特化に対する拒否を、

能力獲得に先立たせる受け入れる能力選抜が最重要課題としてあり、この課題踏まえた対人理解が、
社会や世界の有り様評価に、ひいては、未来の有り様決める対環境での引き受けるもの引き受けないもの分別に繋がるなど、
疑似問題である下で言う二択枠組みに注力する文系者の知性倫理美意識を形骸とした時の、文系者の実質に関わると認めましょう。)



ところで、実力は対象理解と同様に、対象に関して持ってる抽象具体関係構造の像(対象理解では例えば、野球という概念は抽象にも具体にもなる)ですから、
持ってる像が現実の複雑さに通用しない原因である、具体化条件パターン網羅におけるその限定性や具体化精度の低さは解消対象であって、

持ってる行動原理を仮説とした時の検証情報の精度最大化に相当する上の解放は、
フィードバックによる仮説改善の上限化、つまりは、実力向上上限化の条件でもあり、
反面、帰属関係を操作する小手先の優勢劣勢有り様改善は、実力上限化の阻害でもあるわけです。



自身の優勢劣勢有り様を問題意識として持つにしても、問題解決像の抽象度が足りてないなら井の中の蛙的な勘違いが生じてると捉え、
帰属修正余地の総体を抽象としての問題状態、先の実存を具体化条件にそこから切り出したものが受容に値する(持つに値する)具体的問題である、

内外境界発生意味する有限の与件性が、より確からしいものが取って代わる運動性の受容阻害を最小化してる時(例えば、先の実存)、修正余地がない為に解決状態と言える、
(内在性質と外在性質の統合として現象はあり、両性質が代替不可能的であるほど現象は確からしい、

例えば、内在的問題解決スタイルである自我と外在的問題解決である文化との関係が、
あるいは、個体レベルであれ種レベルであれ置かれてる場に通用させ続けるという既に引き受けられてる存在課題と置かれてる場の性質との関係が、
抽象化具体化の不十分さ解消の下での抽象化具体化交互反復としてある時、その関係は確からしさが上限の現象である、

当然、代替不可能な外在性質の影響まで認めない過剰否定と言える絶対主義も、
代替不可能でない外在性質の影響まで認める過剰肯定と言える相対主義も、選ばれるに値する確からしい現象を導けない、)

これらから成る問題解決像を採用し、問題解決の集積である生の矮小化(および、
自ら生を取りこぼしておきながら生有り様に不満を持つ擦り付け)を防ぎましょう。



例えば、被害者立場は奪う事が許される的な発想(被権力側というだけで生じ得るし、権力の正当化にも繋がり得る)含め、
権利感覚は帰属修正的な者と帰属操作的な者に同じ資格を認める個別性捨象の産物なので、
権利獲得を解決とするのと帰属修正を解決とするのとの間にある抽象度(通用領域)の差異は、奪う者が存在できる世界とできない世界の差異に相当してしまいます。

(文系事象に関する抽象度を上限化するには、同種の他との共通要素捨象をもって、
雨が降ろうが槍が降ろうがそれが存在する限りそれにとっては引き受けざるを得ない、
という意味で通用が行き渡ってる要素を抽出する処理が機能してる必要がある以上、

抽象度上限化の要求が、個別性の取り違え最小化の働きを潰す枠組みからの、特に、個別性捨象と個別性無条件根拠化の二択枠組み、
対秩序で言えば、場の本質に即した秩序にも合わさない過剰否定な前者と場の本質でない性質にも合わせる過剰肯定な後者の関係に相当するこの近代パラダイムからの脱却の要求を含んでないのなら無理な要求です。


文系事象についての抽象度上限化が無理な人は、理想現実関係に対し、理想を割り引く程度を最小にしつつ成立させてる現実であるかどうか、
最小にしてる現実が点として紡がれてる歴史であるかどうかで肯定否定する内容の検討について、理想を準備する時点で既に失敗してますから、
肯定的であれ否定的であれそのレベルの検討欠いた評価を歴史的事件に対して持つよう強要するという対歴史での知性不全が欧米にも普通に見られる事実、

テキスト解釈において読み手時空と書き手時空が離れてるほど飛躍を評価する上で必要となる、書き手価値観への書き手に課されてる条件における上限の産物かどうかでの肯定否定を、
欧米文系という単位では期待できない事実をも意味するこれは、近代パラダイムを脱してない弊害と見なせます。)



同様に、宗教や理念は、代替不可能な内外事情にしか応じない実存を要請してる、
かつ、その要請が自他の救済への肥大した志向にも先立つレベルで機能してる、これが言えないのなら

(実際、先に見たように近代パラダイム下では文系事象については、内在性質に関してであれ外在性質に関してであれ、
個別性の取り違え最小化が機能せず、個別性が根拠になる局面でなお個別性の取り違え可能性は未検討領域になってしまうわけですが、

検討しない領域を欧米文系における知性倫理美意識が持つ事実を問題視しないなど、
既存の文系空間を妄信する限り近代パラダイムの外には出られない為、人の有り様がこの実存でない事態、

たとえ上の要請があったとしても機能しない事態に対する責任は、文系空間における対個別性の有り様、
例えば、個別性の内実確からしさを問わない理解力像なり、いらぬ特化を気にしない獲得喪失観なりを再生産してる人達にあると言えます)、


帰属修正余地を持たない為に受容に値する有限性そのものな実存と整合的ではない獲得や喪失回避に対する許容性が付け込む隙となって、奪う理由に利用可能である為、
それらとの付き合い方に対する評価における焦点が、そこの利用可能性を潰せているいないと肯定するしないとの一致度

(通用が行き渡っているいないの差異を扱い差異に反映させる事で、現実の複雑さに通用してないものが根拠になってる弊害を抑えてる程度、
もっと言うと、通用してる領域の広狭と確からしさとの相関を持ち出す際の観点自体にもこの相関を適用する未検討領域潰しにより、

有限能力による確からしさ判定の限界に対して、認めるだけなら相対主義止まりであるところを、
認めた上で受容せざるを得ない有限性と言えるだけの修正余地なさを、したがって、選ぶ根拠に対してもこれ以上遡れなさを、持たせにいってる程度)である時


(一致してるなら例えば、個別性の取り違えが最小なその実存だけから成る集団において見られる多様性、
社会の場合は社会の性質が場の本質と乖離しないので、表層だけ多様にする小手先な対応故に場の本質と秩序有り様との乖離を許してしまう類の多様性とは別物であるこれは肯定され、

その実存でなくとも許容する寛容さやその実存を許容しない同調圧力は否定される)、
それらが持つ危険性に対する過大評価過小評価は防げてると考えます。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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