2351文字、文系情報との付き合い方を踏まえた、対格差や対差別をはじめ、警戒する必要のない対秩序と見なせる条件についての考察
2023-6-002
場の疑似でない個別性と整合的かどうかに関係なく、明晰さや曖昧さといった表層形を重視する哲学形式は、場の個別性を尊重する事についての原理を包含してない、
したがって、採用してる哲学者は本人が意図していようといまいと、内面局面なり、大小様々な社会なり、場の尊重が対応に含まれるべき問題との相性が悪い
(少なくとも、その原理の不在を指摘されてなお件の形式を放棄しないなら、場の個別性への非尊重を固持してるも同然)と言えるように思いますが、
有限性(内外境界発生)が前提である場合、帰属関係の修正(知性や倫理や美意識を帰属操作に利用してないと言える場合のそれらの働き)は内外性質からの乖離を縮減する話
(真善美との間に生じてる距離自体の否定は疑似問題に、内外性質が疑似化してるほど真善美との間に生じてる距離は疑似解決)にならざるを得ないのに、
有ると無いとが完全一致でない時点で、つまりは、何らかの存在が関わる領域な時点で、
差異の登場、ひいては、有限性の登場は避けられないと解せるでしょうから、その前提は与件レベルであると疑える点、
近代性は文系的局面(個別性が根拠になる局面)での個別性捨象(同種の他との差異要素捨象)や個別性内実無検討(抽象化具体化の精度最大下での交互反復の結果と実態とのズレ許容)を、
科学の在り方や個人の精神に関する分離の成功体験によって強化してしまっていて、
先の哲学形式(ヘーゲル後の主流)も、既存の文系教育(同種の他との共通要素捨象に十分さらされてない個性を修正余地扱いする能力の養成は不在)も、
このパラダイムの外に出てはいない点(対パラダイムの役回りを最も負ってる立場が肯定してる形のパラダイムは、
弊害の、この例で言うと、感情を根拠にした時点で個別性偽装になるのに問題にされない事態などの正当化込みで、お墨付きによって守られてるようなもの)、
これらを認めるなら、文系における権威も含めた知性や倫理や美意識の既存の有り様とは、文系との相性が悪いもの
(個別性の疑似化部分を保存してしまう既存の欧米文系の産物を一流かのごとく扱う所作は、疑似問題疑似解決のまき散らし)として付き合ってく必要がある事になるように思われます。
ちなみに、与件と疑える有限性について、それでもなお無限性ないし無限者を始点とする理解も、
より確からしいものが取って代わる運動性を無限性として捉えつつ、仮説と検証の間の確からしさ向上関係(具体化抽象化の精度が最大から遠いほど形骸)における、
抽象化具体化の交互反復という歴史側面、あるいは、抽象具体関係構造の有する具体形パターンの網羅程度という知識や実力の有り様側面に、
無限性と有限性の間の関係を重ねる事で、無限性が自身たるべく有限性を要請してるという描像として、可能になるのではないかと考えます。
もちろん、この描像において有限者(この場合、次元設定自在性という人間形式を備える我々)は、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存紡ぐ生を、理想が犠牲になる程度を最小にする現実として引き受ける、という方向にその運動性を自身の有限性に対し最大限働かせてる時、
具体化精度最大化が確保されてる事態に相当する、つまり、フィードバックに値する具体化結果に相当するとの扱いを受ける評価体系、
したがって、加害者被害者、強者弱者等の表層形によらず、誰もが先の実存からの乖離部分を修正余地扱いされ、
この観点が人の集団や生集積に対しても、置かれた認識対象がその性質に合わせて整合を受けたものという意味での個々の認識場の産物に対しても、そのまま受け継がれてる評価体系に落とし込まれます。
つまり、有限能力である以上、例えば、誰であれ無知な領域が生じるのは不可避なのに、
先の実存と獲得喪失とが整合してるしてないではなく、博識か無知かそれ自体に反応してるケースを、誰にでも起きる事まで個人に帰する形骸な功罪感覚と見なす、
もっと言えば、通用領域の広狭と確からしさとの相関を何の差異について持ち出すか、
という着目無視設定自体へのその相関の適用に阻害がある為、競走の観点に薬の効き具合や副作用無視具合が含まれてるなどの、確からしさ判定の確からしさが低い事態を、
有限性の代替不可能化の不十分さ有無と問題状態扱い解決状態扱いとの不一致の原因、
ひいては、疑似問題疑似解決のまき散らしや知性倫理美意識の矮小化に加担してしまう原因と見なす評価体系に落とし込まれる為、
その描像を採用できてるなら、取りこぼしてしまう、割り引いてしまうといった有り様を、抽象化具体化の不十分さ解消とは関係なく否定的に扱ったり肯定的に扱うパターンに与する事はないはず、
例えば、言語化などの明晰化作用に際するそれやプラトンカントの提示に対するそれのように、珍しくもなく、
また、場の疑似でない個別性に即させる整合と場の疑似化した個別性に即させる整合とを区別せず、まとめて正義扱いしたり暴力扱いする事例のように、
恐らく対個別性が先に見た近代性に縛られてる対人や対社会であるが故の、価値体系について代替利かない有限性に帰属させる配慮の不在のせいで、大きい実害を生んでるケースもある、
付き合うと論点埋没に加担する形になってしまう上のパターンから成る主張構造に与する事はないはずで、
その採用は対格差や対差別に限らず、警戒しなくて良い対秩序の条件に当たるのではないかと、
加えて、囚われる事の拒否をもって自身の価値体系を再構築するにせよ、この拒否が有限性の代替不可能化と整合するわけなので、
井の中の蛙状態の偶然による緩和か、ライフサイクルによる特定の構造持った半ば強制的な緩和かによらず、再構築に関する先の不一致の抑制にもなるのではないかと、考えます。