1691文字、既存の文系権威(理念込み)が確からしさを保証できる範囲(権威に影響力を認める範囲)について
2023-7-002
Aさんが何かを指差し、同種の他との共通要素捨象(個別性から疑似化部分を取り除く処理)を、
自覚的にか無自覚的にかはともかく機能させられる(その捨象用いた抽象化具体化の十分不十分の差異まで把握できる)Bさんも、機能させられないCさんも、その指差しの対象や意図を把握できたとして、
Aさんの振る舞いを言語行動(書き残したもの含む)に拡張した上で、BとCに扱い差を付けない教育有り様を想定すると
(実際、過去も現在もこの有り様なわけだけれど、同種の他との差異要素捨象に関しても同想定をすると、
対主観でのそれ、つまり、客観視できるできないの差異の無視がそこには含まれる事になる)、
当然、能力獲得(端的には、代替不可能な内外事情にしか応じない実存と自他有り様とのズレを、
修正余地扱いする反応の内面化)の手間が省ける分だけ、その教育空間ではC的有り様の方が効率良いわけです。
(局面事情と着目無視との合致の一種としてフェアを捉えた場合、フェア志向でない時点で、代替不可能な内外事情にしか応じない実存を生きてない事は確定ですし、
上の前者捨象を用いた抽象化具体化の不十分さに修正余地を覚えない対自己の時点で、
他の文系事象に対しそれを覚えたとしても、林檎を数えられないのに蜜柑はできてるつもり的原理不在である事は確定です。
その実存を生きてる場合、失敗やできないは自身の疑似でない個別性の現れなので、
それらについて、自分が自分である限り修正余地のないものであるとの主張が可能になりますが、
その実存と諸々の獲得具合とを整合させない生においては、この類の主張を放棄してる形である為、
両生を比較すると、問題発生に対し隠蔽や矮小化誤魔化しをする有り様に近いのは、
また、現象を受容に値する状態へと、例えば、対立関係を上の前者捨象を用いた抽象化具体化の不十分さ解消状態の損なわれてない表層形へと、
持ってく働きが機能してない文系空間の有り様に近いのは、後者の方であると思います。)
さらに話を、提示された文章の言語形式や内容関連の全体像に詳しい詳しくないの差異へと拡張すると、先の扱い差を付けない文系空間の現状は、
具体化精度を気にしない量重視の下でのみ、具体形パターンの網羅程度(井の中の蛙状態の緩和)が問われてる状況であり、
文系の専門家を意味する肩書や文系の権威が、具体化精度最大化物に網羅対象が限定されているいないの差異把握
(同種の他との共通要素捨象用いた抽象化具体化の十分不十分の差異把握)の保証までカバーしてる状況にはない点を、
確からしさを保証できる範囲から逸脱してる影響力(例えば、代替不可能な内外事情にしか応じない主体像だけから成る多様性なり統合体なりへと至るルートを、
寸断する類の多様化統合化の、理念扱いレベルでの強要)への対策として、押さえる必要がある事実と表裏である、そう解せるはずです。
ここで、非を認めない有り様(有限の与件性の持つ受容せざる得なさが受容条件となってる状態の確保として、知性倫理美意識が働いてれば生じない類のこれは、
より確からしいものが取って代わる運動性への阻害の一種)はいらぬ対立を保存する点、
対立関係の設定が疑似化してたなら、定義問題よりも手前で、問題自体の疑似化という形骸化に議論や思考が陥る(疑似問題の熱心な解決試みに周りを巻き込みさえする)点を踏まえると、
文系空間の形骸化(実際、対立関係への表層的非難、抽象次元への遡りと引き受けざる得ない具体化条件の付し直しが、
質重視の下で展開された結果である個々有り様と実際有り様とのズレをむしろ保存するそれが、
未だまかり通るなど、質への言及にとっては存在しにくい状況がある)への対策として、
より確からしいものが取って代わる運動性への阻害(特定のこれに限らない原理レベルでの)除去は重要で、
質重視と量重視との間の上で見た分別に、局面に即した両者間推移の側面を足した像へと、
文系空間なり文系者の振る舞いなりを落とし込むよう求める働きかけは、その阻害の最小化を原理レベルでそれらに持たせる試みに相当するのでないかと期待します。