005の進捗報告(1461文字)大学受験に関して文系者が気をつけなければならない事
2022-5-005
大学受験に関して文系者が気をつけなければならない事
(内実の確からしさの差異を無視するルールに特化するほど点数は取りやすくなる反面、文系的理解力を諦めることになる為、
そこのバランスを引き受けざるを得なさと整合させる必要ある)
既存の教育を構成している獲得観に疑問を持たないなら、資本拡大や侵略への批判も、原理不在故にご都合的。
現代文の成績が良い(大雑把には高学歴である)事をもって文章読解はじめ、現象解釈が信頼に値するとの漠然としたもの含む誤解と根っこは同じ。
例えば、対常識において、特定時空性を一旦剥いで引き受けざるを得ないそれを付し直したものと実際に見られるものとのズレを掴まえてないのに、
何が常識か知ってるとか、対象と常識との距離が分かるとか、それで満足してる状態があるとして、
その種の状態でも知的上層になれてしまうルールを大学受験はじめ、既存の文系世界は持ってる事を認めましょう。
机の上の林檎を東側から見てるとして、他の観点を思い描ければ、抽象次元を立ち上げる事ができるし、
引き受けざるを得なさの偽装を観点に対して解除できるほど、より確からしい具体化条件を付し直せる、
この時、手に入る情報の下で得られる確からしさ向上(選ぶに値する状態である、通用の行き渡ってる状態に持ってく)の上限は、抽象化具体化が精度最大である時なので、
そこを最大化させられてないなら、他の観点(人間形式の外部込み)をどれだけ集めようと、集めたものを生かせてない事態になるわけです。
そして、有限の与件性と有限性の代替不可能化から成る、したがって、偽装でない引き受けざるを得なさの体現と言える、
代替不可能な内外事情にしか応じない主体像は、
抽象化具体化の精度最大化の帰結でもあるので、その主体像と獲得するしないを整合させる態度とバッティングする、単なる量追求は、
抽象化具体化の精度最大化を原理レベルでは持ってない事(最大化させにいっても、数を数えられないのに林檎を数えてる的事態)を意味してる形です。
005で予定してる内容
無闇に量を求めるのと、獲得をある主体像に整合させるのとがバッティングするとして、
具体化条件付し直し意味する主体象の否定の形である場合、前者は付し直す原理を持たない為量を生かせない。
両極保有のようなポストモダン的有り様への批判にも通ずる話
お金を出す側であるとか仕事を振る側であるとか、何らかの理由で立場が上な存在がいる事自体は問題なくて、
その非対等性を肥大化させない(過大要求や不当軽視が通ってしまう状況にさせない)という問題意識の不足
(曖昧さを生かせない単なる量追求と繋がってる)が問題(社会がその意識をもっと持つ必要ある)と思います。
横柄に振る舞うお客さんに対し、その場その場における本質的でない要素を捨象できない人(着目無視が的外れで判断選抜が信頼できない人)として扱う、この種の環境があれば、
虚業実業問題(投資的振る舞いや卸売り的振る舞い)も健全化可能で恐れる必要はなくなると期待しますし、
立場が上の人に都合の良い仮説や環境が保全される類の見て見ぬ振りやスケープゴートも減らせると期待します。
権利や義務での対抗(曖昧さは減る)も手ではあるけれど、
その場その場(規模は関係ない)の本質的な事を尊重し生かす(その発現が損なわれてない形に場の上に立ち上がるものを組み上げる)為に曖昧さを使えるなら、日本人のバランス感覚は強みになるはずなので、
宝の持ち腐れにならないよう、上で言う肥大化に繋がる方向には使わない配慮が必要と思います。