フェア志向重視でない以上、形骸な主張を選抜してしまう可能性下げる姿勢が不在でも知的上層になれる、これまでの文系世界の有害性を認め、修正しましょう
2022-1-001
特定時空での話を普遍時空での話かのように扱う
(同じ構造である、局面次第なものへの局面の差異無視は、特に、捨象観ひいては論理観の強制特化を通して、文理関係に帰属修正が必要な状況を作ってるのが問題)、場の越境も、
通用してるしてないを取り違える(ドーピングによる金メダルのような、選抜込み)、観点の疑似化も、
場とその産物の紐付けに失敗してるが故ですから、帰属修正(原理抽出も含まれる)の能力が機能してない現れです。
(絶対主義も相対主義も場に合わせる精度が低い、つまり、具体化精度が低い為に、
精度の低い実験結果をフィードバックしてるケースと同じ事態を、抽象次元に引き起こしてる事を意味するにもかかわらず、
上で見た越境や疑似化の傾向を修正しなくても、つまり、具体形パターンの網羅に具体化精度による選別を組み込めてない質不在状態でも、
これまでは知的上層になれてきたので、
もっと言うと、通用領域の広狭と確からしさとの相関を、具体的に持ち出す事を可能にしてるところの、観点に対しては適用しない、
したがって、第一根拠的に持ち出しておきながらその相関だけに頼ってるとは言えないデカルト地平が、文系世界で健在なので、
文系の知的権威は、抽象次元の通用領域の広さを、井の中の蛙な地平が可能なだけ押し広げられてきた事を、何ら保証しません。)
なので、フェアを越える事で生じるものは(自他救済すら)捨象する態度(割り振りが、各場の疑似化されてない固有性に即しているいないだけに着目する、各場尊重を内容とする捨象)と、
固有性特定(同種の他との共通要素の捨象)との相補的関係が機能してるほど、
例えば、形骸な主張(場と齟齬のある観点の産物込み)の採用可能性を下げてくれるなど、文系知性は形骸化を抑えられると推測します。
(教育がフェア志向を重視してるとは言えない以上、我々が置かれてるのは、
選抜精度を無視してる、つまり、選抜規範を選抜する基準が選抜精度でない社会、
痛みをはじめ、問題発生を本人に告げる機能や発生してるしてないを他人に告げるメディアを、
問題の有無や他に優先すべきものの有無の判断精度を捨ててる形な為に、生かせない社会と言えます。
この持ち合わせてる機能を生かせない問題で最大のものが、次元設定自在性という人間性を帰属修正へと注ぎ込めずに振り回されてる、手綱を握れてない状態と思われ、
捨てる事もできない中、振り回されないだけの実力を得る方向に相当するのが、上の相補的関係を機能させる保障であると推測します。)
一方、既存の教育(可能性拡大の推奨や主体的勉強の推奨も込み)は、
フェア志向を内在場にも拡張させた内容と言える、代替不可能な内在事情外在事情にしか応じない主体像から、
乖離してまで獲得されたものを許容しないよう
(他者におけるそれ含め、通用性の取りこぼされたもの扱いするよう)促すどころか、許容するよう促してる形である為、
むしろ形骸な文系知性へと導いてるも同然です。
(理系者も主観に確からしさを必要とする局面が人生を通して無数に有り、
人生の形骸化を気にしない人、他者のそれ含め、通用する理由を持たずに負わせる負わされる生で満足する人しか理系者にはいないわけではない以上、無関係ではありません。)
政治主体や経済主体の見せる振る舞いが、
代替不可能な内在事情外在事情にしか応じない主体像に近い対象ほど優先する反応を、割り出した引き受けざるを得ない現実的事情でもって割り引く、という理想現実関係の内容でなく、
疑似部分を取り除けてない理想像や現実像を反映させた内容になってる
(弱者圧殺や個人圧殺の糾弾が、上の意味でのフェアな帰結の要求と関係ない、
赤ちゃんなりの最善といった、各自の疑似でない条件における最善を求めたり受容したりに平等を見る世界像と関係ない、
言い換えると、分捕り合戦や押しつけ合戦の域を出ない内容をしてる)のも、
つまり、政治経済が分捕り押し付ける内容へと矮小化させられ、既存の立場が負わせる負わされるに値しない形骸物の、着せ替えのバラエティでしかないのも、
また、政治経済に限らず、各場の疑似でない固有性の発現を損なわずに立ち上がってる形式でない、
あるいは、立ち上がってる形式であってもフェアを基底とする割り振りでないなら、競争であれ協調であれ修正対象である
(対競争も対協調も、その場の固有性かのように扱われてるものの深掘りが本筋である)との理解が支配的でなく、
過剰だったり恣意的な攻撃や擁護がまかり通ってきたのも、
上で言う許容するよう促す教育者の再生産サイクルから繋がってる事態と見て、
先の主体像から乖離した上での獲得を認める教育者の影響力を削ぎ、認めない教育者を増やす方向で世界の
(フェア志向重視でない以上、形骸な主張の採用可能性を下げる姿勢が見られなくても知的上層になれてしまうこれまでの文系世界の、
例えば、非を認めないばかりか押し付けさえするなど、ポジション確保の為に、帰属の操作で世界を歪ませるのを厭わない知性や上記の意味での対人間性が、形骸扱いされない世界の)
修正を図りましょう。