2310文字、余裕があってなお、分かり合える合えないを論点とする事の有害性について
2023-6-006
抽象化具体化の不十分さが解消されてないもの(限定化前後の関係が、引き受けざる得ない限定条件のみでの橋渡しでないとの意味で、有限性が代替不可能化されてないもの)は、
内在性質(抽象状態)か外在性質(具体化条件)、あるいは、その両方に疑似化が生じてる為、
余裕がある局面(反応の具体化条件)なのに修正余地がないものとして扱って
(内実の修正余地の有無という観点を埋没させたまま反応を具体化して)しまうと、
それが生成立であれ、需給成立であれ、何らかのコミュニティの存続であれ、成立自体を重視せざる得ないほど余裕がない状況ではない以上、
対象にとっての内在性質外在性質と受ける扱いとが整合してない事態を大した理由なく許容してる事(不当な獲得喪失の発生)になります。
この話は、対象を肯定したり否定したり保留する時のその対象に自己を据える事で、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存ではない自己(その実存に、経験含む獲得喪失を整合させた結果の特化有り様を、紡ぐのではない生から成る自己)の為す肯定等を、
内実の確からしさ程度を検討するだけの余裕があるのに、修正余地がないものとして扱うのは、自己における不当な獲得喪失の正当化に他ならない、との理解を齎すはずです。
ここで、できるできないの有り様(有限性形態)を肯定する(修正余地がないので受容に値するとする)条件は、上の実存を生きた結果である事だと認めると、
対象を理解する際に生じる割り引かれも、上の実存である時に肯定されるわけで
(割り引きの過不足を縮減するこの肯定は、現実軽視と理想軽視の同時否定であり、真善美に関する絶対主義と相対主義を、
つまりは、各人の認識の場とか時空とか、場に合わせる加工を認めない立場と場の性質に疑似化部分込みで合わせる加工を認める立場を、同時否定する立場に相当する為、
知性や倫理や美意識の働きが、この同時否定を、文系的局面では同種の他との共通要素捨象用いた抽象化具体化の不十分さ解消に相当するそれを、伴いつつ展開されてるのでないなら、認めてる事にならない)、
余裕がある状況においては、分かり合える合えないは論点でなく、有限能力故に対象理解には限界があるけれど、その限界からくる分かり合えなさが上の実存の帰結かどうかに論点がある
(余裕がない場面で真善美を確定的に扱うのは次善の策として妥当ではあれ、
内実の確からしさ程度を検討するだけの余裕がある状況で確定的に扱うのは、
検討機会を逸する点から見て踏み込み過ぎ、いらぬ特化である)と解しましょう。
(理想を割り引いたものである現実が、過不足ない割り引きという理想軽視も現実軽視も防いでる内容をしてるもの、として上の実存を捉えると、
上の実存ではない時点で、対象を過剰に割り引いてしまう存在有り様である為、尊重という側面は形骸化が避けられないと言えます。
この理解をもって尊重対象が無限者のケースと、上の実存が局面と着目無視との合致の一種としてのフェア志向を包含する点からフェアを越えて自他を助けない救済像に話を拡張した上で、尊重行為が救済のケースを、
尊重の形骸化から解放するのが、対ヨーロッパ中世における本筋と見なした場合の、
次善の策として、個人の精神や国家の権威や科学の在り方に関する近代始点での分離試みは、位置付けられると、
もちろん、内面世界や自国社会や国際社会に対する態度に、あるいは、文理の局面差異に対する態度に、場の疑似でない個別性の尊重という観点を、
着目無視などの扱い差異の体系含め、場が価値を決めるとし、場の個別性に合わせる合わさない的な統合分離発想でなく、場の性質の、
つまりは、尊重対象の疑似化具合を論点とする平等観と共に、伴わせる試みではないとの位置づけと合わせて、解しつつ、
余裕が生じてなおその次善の策が、分離処理自体への成功体験由来の過大評価込みで、居座ってるパラダイムの弊害に、主観はじめ個別性を根拠にするという尊重の不全があり、
文系的局面における知性や倫理や美意識が内実次元の帰属修正として働かない結果の疑似問題疑似解決の発生を、
言わば、競走局面での評価に薬の効き具合や副作用無視具合の側面が含まれてる事態と同じ構造をしてる、
との扱いを既存の文系空間に対し為さない人達によるその発生の保全込みで、引き起こしてると認めましょう。)
さらに遡って、有限の与件性を認めつつ、有限性が与件性(受容せざる得なさ)を装ってる類か否か
(現象の帰属が疑似化してる内在性質外在性質にあるかどうかという、帰属関係の修正余地の有無)を論点にしてない知性や倫理や美意識に、
たとえ権威付きであろうと(既存の文系権威は欧米であれ、個別性から疑似化部分を取り除くのに必要な、同種の他との共通要素捨象を教育してもらえないまま権威に至る為、
権威付きは、その捨象用いた抽象化具体化が十分である事を、したがって、文系事象に関する具体形パターン網羅や抽象化具体化交互反復に対する質の保証を意味してない)与しないよう
(例えば、奪う奪われる側面の発生について、有限の与件性に帰属がある現象には認めない、
かつ、そこに帰属してる状態へと現象を寄せる内容しか阻止作業として認めない事にし、奪うか奪われるかの二択も同然な内容の自由観や救済観等に与しないよう)、
有限性の代替不可能化(抽象化具体化の不十分さ解消)から乖離してる部分持つ問題や解決に修正余地を覚える
(例えば、余裕のなさに即してる次善の策、時空事情に即してる常識等も、場の疑似化してない固有性に即してない状態になった段階で修正余地を覚える)知性や倫理や美意識を志向しましょう。