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倫理を捉え直せれば、文系知性の再構築まで可能でないか、という話

2022-10-008

倫理的な肯定否定について、具体化精度への問題意識の反映(肯定対象や否定対象への具体的反応に対しても込みで、精度の高低と整合的な肯定否定の話)としてしまえば、
理系における実験の精度問題(改悪フィードバック問題)と同等の位置づけとして、
過大反応過小反応(いらぬ振り回されの分だけ生じてる低通用)を防げるのでないか


(個別性に帰属を見る文系的な現象解釈における、仮説と検証の関係運営能力は倫理実態と表裏であり、
例えば、局面と着目無視の不一致という具体化精度の低さは、いらぬ振り回されが理系の成功体験に対して生じてる論理観の原因でも、
いらぬ振り回されが表層形に対して生じてる自由観平等観の原因でもある、との位置づけも可能になる)と期待します。


実際、自己含む対象自身(内在事情を負わされてる身でも、外界に負わせる身でもある)やそれが外界から負わされるものを、受容条件の満たされてる状態へと持ってく働きとして倫理を捉え、
有限(内外境界発生)の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性、
これらに帰属がある為に、帰属の修正余地がないと言える現象を、受容条件が満たされてると解せば、


存在と引き換えでない要素込みの実存まで正当化し、理想に対していらぬ割り引きを持ってしまってる現実としての有り様に留める類
(いらぬ割り引きを持たない有り様への道を奪ってる形)の救済や尊重(自由観や平等観込み)は、

(したがって、市場や民主制はもちろん、
代替不可能な内外事情にのみ応じる主体像と能力獲得なり可能性獲得なりとを整合させる気がない、当然、理解力にも関わるいらぬ特化回避能力も育てない既存の教育論は、)


形骸であり(理想についての例として無限性や存在性を想定すれば、信仰や芸術の形骸化助長、
および、形骸物をそうでないかのように扱わせる搾取の助長でもある)、

場に置かれるものや場(その性質が整合の基準になってるもの)を、同種の他との共通要素の捨象に十分さらして、
雨が降ろうが槍が降ろうがそれがそれである限り持たざるを得ない、存在と引き換えの要素だけから成ってる固有性へと持ってく働き

(例えば、感情を内面世界の性質が反映された割り振りの結果と捉えるなど、
内面世界を社会と同様に、場の個々具体として扱う抽象具体関係構造を持っていれば、
個人か社会かの上下論に話を矮小化する事もないわけで、個々の場に同じ原理を見る現象理解はその種のいらぬ闘争を防ぐ為に重要、
逆に言うと、その種のいらぬ闘争は文系者の理解力に責任が帰せられる)を、


つまりは、その捨象が用いられた抽象化や具体化条件割り出し、あるいは、その抽象化具体化の交互反復から成る歴史性(受容に値する類の歴史)を、
持たせる方向に修正すべきものとの位置づけになるはずで、冒頭のように捉える事は可能と思います。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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