他者配慮を二の次とする倫理に惑わされない為に。できるできないの有限性形態を疑似化な内容へと誘導する教育論に巻き込まれない為に。
2022-9-010
いらぬ特化を避ける態度が機能してれば、できるとか獲得するとか解決するとかを、これ以上は避けるというラインがその態度の反映になるわけで、
左右を押さえてる状態から右に注力する(左が死角になる)といった時の、通用領域減を補填するだけの通用量が、限定する理由の示す引き受けざるを得なさに備わってるなら、
通用の行き渡ってる状態(選ぶに値する状態)は限定の前後で保存されてる(広義の論理性と整合的な歴史展開であり、内実の確からしさと関係ないという意味での単なる成立で満足してない)、
この内容(具体化精度への、ひいては、外在を持つものの現象形式だろう具体化抽象化交互反復における内実確からしさ差異への、鈍感さの回避)を、
特化に持たせるという意味での先の態度を欠いてる状態のまま、こうすればこれができるようになる、といった話に接するのは、
自身の有り様を、いらぬ飛躍が有る疑似化形(知性や倫理が機能してれば修正対象扱いであり、
自分が自分である限り仕方ない的ニュアンスをまとった時点で、負わせるに値しないものの受容強要になる)にしてしまう原因となります。
(他人や他種、無生物や概念等に不当な扱いを与えない為の配慮に不自由なり多様性減なりを見て、その配慮を二の次とする、不当な扱いありきの方向でなく、
こういう限定なら負わされるに値すると言える条件を満たしながら対自他を展開する原理化によって、過剰配慮を抑える方向を選ぶ際にも、
その配慮に持たせる事で過不足を抑えるもの、
つまり、精度が低いという意味で具体化に失敗してるかどうかを評価軸に持たないが故の、過不足に過不足反転で応じるなど過不足事態の外に出れない囚われ状態を、解消するものとして、上の内容は必要。)
その構造をそのまま持ってる既存の教育を修正できれば
(内在事情外在事情の代替不可能な要素にしか応じない主体像への志向、できるできない等の有限性形態に確からしい内実を与える働き持つそれを、いらぬ特化回避への志向として組み込む事ができれば、
あるいは、局面と着目無視の合致状態を基準とする、反応の過大過小への否定対象化についての、小学期からの働きかけを通じて、具体化精度への感度を高めてもらうだけでも)、
フェア(各場の疑似でない固有性に即した割り振りへの支持)を越えて自他を助ける(過解決)有り様に、
疑問が持たれない世界である事の弊害もなくせるのでないか(奪い合いな世界に身を置いてる状態からの解放が可能になるのでないか)と期待します。
いらぬ特化回避への志向を前提に据える事で、教育有り様の具体化失敗の把握精度を、
さらには、既存の教育が持ってる枠組みの肯定を通して有限性形態の疑似化に与してる人達が持つ不当性の把握精度を、上げましょう。