見出し画像

4159文字、十代前半の達成課題の未達許容の弊害として、秩序と権利、どちらかの名の下の泣き寝入り強要の二択もあるという話を、教育の修正像と共に

2024-9-001

十代前半の達成課題を、妄信と反動反発の二択からの脱却と解せば、場に合わせる合わさないの表層形反転二択
(空気を読む読まない、資本主義などの標準になってる形式に付き合う付き合わない、自他の内面世界が持ってる価値体系を肯定するしない等)な発想は、

場の本質にのみ合わせて自他のポジションや具体的有り様を規定したり、そうなる(帰属修正余地がない、したがって、受容に値する状態の達成)のを自己正当化に先立たせる
(当然、帰属修正の要求に対して不当な扱いを受けたとは受け取らない)態度の不在の現れ
(ドーピングや審判買収によって金メダルを取りにいく的なアンフェアや茶番選抜化もこの一種)、および、その課題を達成してない知性倫理美意識の現れと見なせます。


また、文系の近代性を、個別性が根拠になる局面で個別性が疑似化してても根拠にするデカルト的誤謬(内面世界や社会の実態を、修正余地のある個別性だろうが根拠にする態度)と、
個別性が根拠になる局面で個別性捨象(通念的論理込み)を展開するカント的誤謬の二択枠組みとして捉えれば、

今なお文系の仕事が近代性を脱せない(知性倫理美意識の権威によって生み出されたものが、
一方の誤謬への批判にかこつけて他方を押し通す内容であっても、受け手側の評価が権威の資格を認めたままである)のは、
十代前半の達成課題を果たせてない知性倫理美意識の現れに修正余地を見出す評価軸を文系空間が持ってないからと解せます。



なのでまず、知的上層になる事と、具体化条件次第でしかないものに表層形の固定を強要して、
表層形のみで肯定否定する差別(および、抽象化具体化の不十分さ解消状態という内実確からしさの上限達成の論点化によって表層形を開放する事への妨害、

例えば、変化不変化という表層形を、抽象化具体化の交互反復、仮説と検証の関係も、言葉の意味合いやニュアンスの変遷もその内実としてるこれが、不十分さ解消状態であるかどうかと関係なく肯定否定する、
例えば、その内容の表層形開放を、内実の確からしさ差異に関係なく追求されてる両極保有や多様性確保や総合化処理と混同させるなど)を展開しながら、
倫理的正当性を主張するのが知的さの証拠であると信じる事とが現状、同時に成り立ってる以上、


学歴は、文系的な具体化精度確保(代替不可能な内外事情にしか応じない実存などの、抽象化具体化の不十分さ解消状態を解決状態とする態度)と関係がなく、
したがって、仮説に検証精度の低い情報をフィードバックする仮説改悪に対する回避傾向の高さを、文系事象における理系的側面以外については保証してないと言えて、

具体化精度確保の不在は、場の本質でないものも込みで場に合わせる過剰肯定か、
場の本質にも合わさない過剰否定の二択を意味する為、上で言う発想からの脱却は、

これまでの教育(個別性が具体化条件になる局面では、同種の他との共通要素捨象によって個別性の取り違えを抑える能力や姿勢が、
具体化精度確保には必要なのに、能力も姿勢も養成してない)では果たせないと認めましょう。


(例えば、感情について言うと、認識場の個別性の取り違えを最小化した上で生じてるのなら正負によらず肯定される、
かつ、主体の置かれてる局面の取り違えを最小化させた個別性に合わせて具体化されたものなら加工の程度によらず肯定される、
かつ、無表出含め具体化された感情の受けた扱いが、置かれてる社会の代替不可能な個別性を反映させたものなら受容に値するとする、

これら具体化精度確保から成る枠組みをもって捉えてないなら疑似問題としてしか語れない為、
同種の他との共通要素捨象を用いた抽象化具体化の不十分さ解消状態を、自他の振る舞い含む、文系事象の解決状態とする教育の不在に対して疑問を持たない、

当然、認識場の個別性を代替不可能な内外事情にしか応じない実存とする事にも、社会の個別性をその実存の集積の反映とする事にも、
政治の専門家が個々の政治課題に、取り違え最小な理想が割り引かれる程度を最小にしつつ成り立ってる現実へと落とし込む対応をし、

担当領域の歴史がその種の現実を点として紡いでる内容となるよう各々の立場から働きかける力の醸成にも、貢献しない教育有り様に対しても疑問を持たない教育者は、
対感情について子ども等に語った時点で、疑似問題の内面化を権威駆使して働きかける有害な存在と化す、これを認めましょう。)



次いで、理系が義務教育段階から、同種の他との差異要素捨象の能力(これが機能しないと、
算数の文章問題も解けない)の獲得も、公式と代入の関係像獲得も要求してるのと同じように、

文系も義務教育段階から、文系事象の具体形との接触と同時に、それを構成してる内在性質と外在性質に遡り、
両性質の取り違え具合(取り違えを最小化するのに、言い換えると、帰属修正余地のない状態の達成に、
同種の他との共通要素捨象の能力が必要)をもってその具体形を評価する枠組みの獲得を要求していきましょう。


特に、代替不可能な内外事情にしか応じない実存を、自他に求める上限とする
(この実存以上を求めるのは修正余地の無いものを有るものとして扱う過大要求、
この実存を求めないのは修正余地の有るものを無いものとして扱う過小要求と見なし、

さらには、存在するのと引き換えでない要素が存在に帰属するのを防いでるこの実存にとっての事情、
ひいては、需給事情がそれらから成ってる市場などの、その集積から成ってるものを尊重しないのは、
先の過剰否定が言えるだけでなく、自己もその個々具体であるところの存在を尊重しないのに等しいと解しつつ、

例えば、今何の差異を取り上げるべきかについての判断が、この実存の反映である場合に持たれてる観点は肯定する)。
(置かれてる場に通用させ続けるという存在課題を我々は呼吸してる時点でこなしていて、思考も呼吸によって可能になってるものの一つなので、

存在否定は全面的には無理であり、存在の個々具体の一部を否定できるだけに過ぎず、
通用してる領域の広狭と確からしさとの相関を踏まえると、確からしさの低い存在尊重でしかないと思われ、

この意味での確からしさの高い存在尊重を量的な確からしさ確保とした時の質的なそれに相当するのが、
存在するのと引き換えでない要素まで存在に帰属してる存在有り様の否定であると考えます。)


局面と着目無視を合致させながらの対他者や合致させる対自己をもって、他者の属性や自己の置かれてる状況に対する大騒ぎも、見て見ぬ振りも拒否する
(置かれてる状況を何らかの流行とした場合、流行に近づき過ぎず遠ざかり過ぎない位置に立たせるこの対自己は、

流行の一種と解せる常識の内面化を無邪気に押し付けてくる外界に取り込まれるのも、
単なる反動反発の道具として持ち出して哲学等を矮小化するのも避けてる立ち位置、

形骸物で構築された人生を他者や自己によって送らされる程度を抑えるべく、内実の確からしいものしか受容しないよう、
受容に値するだけの修正余地なさが欠けてる事態に相当する抽象化具体化不十分さの程度について、
対象を検討する精度が、囚われのせいで損なわれるのを防いでもいるこれを準備してる形です)。

(不当な扱いを受けるのを望まない対象を自己のみから始めて他者や他種、無生物や概念にまで広げた場合、
妥当な扱いとは場の取り違えを最小させた個別性に即した扱いであると解し、

その扱いなら損得によらず引き受ける態度とバッティングする内在不問外在軽視な典型自由観や、
場の取り違え最小な個別性を場全体に行き渡らせる事への責任から見て縛りに過不足のある権力観、
あるいは、不平不満がその扱いも込みかどうかに関する無分別を、不当な扱いを受けるのを望まない対象についての抽象度不足の現れとする。

また、都合に適う妄信対象を探してさまよい、その時採用してる妄信対象の異端審問官として振る舞って忠誠度を示す生でなく、
肯定否定の根拠を通用してる領域の広狭と確からしさとの相関と解し、その相関を何の差異に関して持ち出すか決める観点設定についてもその相関を適用するレベルで、それにしか頼らない生を生きるなら、

後者的生においてなお確からしい、内外境界発生意味する有限の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性としての無限性、これらの統合物であるかどうか、
つまりは、有限性がこの運動性の受容阻害を最小にしてるかどうかの問いのみが疑似でない問題となるので、

受容阻害最小状態と整合的な自由平等への志向は疑似問題ではなく、例えば、
局面の取り違え最小な個別性と無関係に明晰曖昧の割合を決めるなど、そうでない自由平等への志向は疑似問題であるとする。)



この二点を、十代前半の達成課題の前段として小学期前半から求める(例えば、親や先生に対する、
不完全さ持つ一人間として捉えつつも、修正余地のある不完全さまでは許容しない態度を持たせる)事で、

表層形反転二択な発想が影響力を持ててしまう社会(内実の確からしさ差異に対する検討が先立たないせいで、
内実の確からしさの上限状態を損なってない表層形が表層形自体を理由に否定されたり、

内実の確からしさが上限でないものでも表層形次第で肯定される状況に付け込んで、
帰属関係の操作を、帰属修正余地のない確からしいものかのように偽装する事、

上の実存を生きてない時点で、存在するのと引き換えでない要素を存在に帰属させた結果の産物が生じてるにもかかわらず、
例えば、その種の感情を、自分が自分である限りそうならざるを得ないものかのように扱ってる事態も、
秩序か権利の名の下に泣き寝入りを強要する二択も込みであるこれが、可能な事態)を終わらせましょう。



我々有限者は無限の点を集める事ができない以上、点から線への次元上げには、
通用が全体に行き渡るだけ為した点選抜をもって線とする飛躍が必要なので、

同種の他との共通要素捨象の能力獲得をむしろ妨げてる現行教育には、個別性の取り違えを最小化する能力、文系事象からその原理を取り出す能力、文系的に通用を行き渡らせる能力を阻害する為に、
自己同一性にも関わる時間感覚の内実確からしさを上限化できなくなるという弊害もあると想像します。

ご支援の程よろしくお願い致します。