身体も思考も、無意識も意識も、ある運動性が展開されてる場(限定作用)の違いでしかないとした上での(問題解決の注力化前後の)関係改善について
2021-5-010
繰り返し持ち出されてきた、分離か統合かという枠組みは、デカルトホッブズガリレオらのある種の分離による時代更新以降は、
その枠組みが既に分離に解決見る発想の、つまり、分離への(成功体験に引きずられた)過大評価バイアス(内実不問)の産物と見るべきで、
また、仮説(Aさんはこういう人といった程度含む)と実証の行き来のような確からしさが向上する側面にしろ、言葉の意味合いやニュアンスの変遷のような向上とは言えない側面にしろ、
歴史性は場に置かれた帰結(個々具体形)の反映なので、
抽象化具体化の精度(捨象の用い方とその局面における確からしさ確保に当たる作業との一致度)だけを、歴史に対する扱い差とするような捨象態度が採られるべきと考えます。
例えば、内面立脚と状況立脚の関係を、
個の傾向の内実不問的規定と集積の帰結の内実不問的規定との保障綱引きに矮小化する同じミス(帰属の修正が論点になってるとは言えない知性や倫理の働き)の繰り返しから解放したいなら、
こういう内容を持つできるできない、得る得ないならば確からしいので受容するという、肯定される類の有限性形態についての理解(内実検討)に立ち返る必要があって、
その肯定される類は、有限性(特に、能力への限定作用)を不可避としつつも、十分な説得根拠(通用領域の広狭と確からしさとの相関が的確と言える根拠)を持つものとして、
論理展開を、限定前の通用量最大化と限定後の通用量保存から成る表層形変転(抽象化具体化の交互反復)に抑える態度の産物だとすると、
(文系域では、同種の他との共通要素の捨象アプローチベースで、最大限代替不可能化させた内在事情外在事情にのみ応じる方針が、その態度の、
例えば、不確定なものをあえて確定してるものかのように扱う次善の策を、代替不可能化した局面事情からの要請と言える場合は持ち出すし、その場合にしか持ち出さない、
安易に持ち出す事で何が得られようとも、場の事情の反映後もその事情のやむを得なさ、引き受けざるを得なさによって通用量を補完してる帰結の方に説得されるような着目無視の態度の、前提と思われます)
立ち返る試みには、対ヘーゲル(精度不問な具体化物としての分離物まで統合対象とするせいで形骸な確からしさ向上)、さらには対プラトン(理想現実関係)に見られる後続の修正作業を、
(具体化条件割り出しの精度向上による、具体化条件の代替不可能化を理想への接近と解する拡張込みの)先の捨象態度とのズレの残存をもって、
修正不足と見なす事で可能となる、
包摂について(されてない状態に自由や救済必要を見るなどの既存)の論点の捉え直しや、
主語述語関係についての枠組み刷新(限定前後の通用量の観点から、主語の切り出しや述語化も、先の変遷との関係も見る)も射程に入ってくるように思われます。
そして、それらが可能となる事で、
身体と思考、無意識と意識、こうしたより確からしいものが取って代わる運動性を展開させてる場(限定作用)の設定の違いでしかないものの間の関係も、
帰属の修正作用(ある人の内面世界での割り振り原理が、内在場の性質を代替不可能化させてない疑似固有性から成る為に、他の場の割り振り原理で展開されてるも同然な事態の修正など)を、
十分に受けられるようになる(受けた人達の個々事情だけから成る集積場の性質に、需給事情はじめ、経済や政治での割り振り原理の中身が近づいてく)と期待します。