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有限性の所与性を、有限性をやむを得ないものに抑える要請として受け止めるとして、その要請と適合的なスタイルについて

2020-6-005

大騒ぎも見て見ぬ振りもしない、状況上自然な反応を内面的にも局面的にも心掛けてる、
その上で、内在と外在の性質を代替不可能な固有性として取り出せてるほど、
自由や平等と言え、自他への適正な扱いを為せると個人的には疑いますが、一方で、
例えば、資本主義で担保されてる自由とも、共産主義系で目指されてる平等とも異なる事も知ってるので、

それぞれを文脈次第で切り出される具体と見た場合の抽象物(アンフェア主体の都合が反映されてる場ほど、
フェアな割り振りから遠ざかるとの事情を踏まえ覚えてる、確からしさの差異も捨象してる)と、
概念の本質的要素(代替不可能な固有性)を取り出せてるのではないかと期待してる抽象物としての、
自由平等(内容は抽象と具体の行き来による確からしさの確保や向上が反映される)を持ってる、
つまり、同種の他との差異要素の捨象と共通要素の捨象を使い分けた結果としての、
抽象と具体の関係構造(理解)を自由平等について持ってると言えます。(内面局面も話は同じ。)

ところで、小学生までなら、真面目と不真面目を両方持つというスタイルも特に問題ないでしょうが、
中学校に上がると、ルールや現実がより明確化する(有限性が際立つ)事情から、
生真面目と不良を併せ持つよりも、どちらも否定する、つまり、ルールや現実に盲信も反動反発もせず、
状況上自然な反応を心掛ける方が、無理のない適応追求ではないかと、
そして、ニーチェ系譜におけるハイデガー後は、言わばその二択における、両方持つ方向へと進んだので、
両方否定の方向に軌道修正すべきなのではないかと疑ってます。

確かに、立ち位置の固定や偏りの無化はあらゆる表層形の残像化によってクリティカル事態回避も期待でき、
質を確保するのに十分確からしいスタイルではあるでしょうが、
有限性が前提である点を踏まえると、避けられない限界をやむを得ないものに抑えるという要請と適合的な、
引き受けざるを得ない軸(内外境界である有限性から思うに、内外に各一つ)を割り出した上で、
マイナス的なものをその軸を引き受けた帰結に限る方が、我々の実態に即してると推測します。

つまり、実質の有無を表層形に先立たせる(実質を備えてれば表層形は何でも有りとす)べく、
場の性質把握の深度(内面も局面も深い程、内面差異への局面での割り振りはより妥当)を論点とした上で、
着目無視が、割り振られる損得や役回りが、その場その場の性質に即してる(フェア)なら認める、
この方向へと軌道修正する為のハイデガーの乗り越え方としては次の二点がその内容と考えます。
認識を場と見、場に合わさない絶対性も、場にその代替不可能な固有性以外も込みで合わせる相対性も否定。
場の本質に即して立ち上がってる体系に限って肯定する方向に、全体と個人の関係問題も回収する。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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