【掌編小説】Agents
夕刻。ホテルのラウンジには西日が注いでいた。
奥のテーブルに、一組の男女が、向かい合って座っている。
「お時間頂きありがとうございます」
「あなたが佐伯さん?てっきり男だと思ってましたよ」
男が鞄を脇に下ろし、手帳とペンをテーブルの上に置いた。女は答えなかったが、男に向かって微笑み、手元の書類を一瞥した。
「エージェントの佐伯です。事前に職務経歴書を送って頂きありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
「今回は、同業界内での転職をお望みですか」
「そうです」
「私どもでぜひお力になりたいのですが、より田辺様にあったご紹介をしたいので、今回転職をお考えになっている動機を教えて頂いてもよろしいですか」
正直、今の会社に特に不満はないんですが、と男は頭を掻きながら答える。
「組織風土って言うんですか、うちの会社は完全に年功序列で。自分よりも上の世代ばかり溜まっていて、活躍の場が限られてるんです。あと数年すれば、私も現場ではなく管理職になるんですが、これが内勤ばかりで自分の性分に合わない。手遅れになる前にと思って、転職活動をはじめました」
「失礼ですが、今おいくつでいらっしゃいますか」
「三十五です」
「今が働き盛りの世代ですものね。即戦力を求めている企業は多いので、条件に合った紹介はできるかと」
「お願いします」
例えば、と言って佐伯はクリアファイルからレジュメを取り出した。募集要件が簡略にまとめられている。
「こちらの会社[X社]はいかがでしょう。前任が急きょ退職してしまったそうで、欠員補充の募集が出ています。非公開求人です」
退職ねえ、と田辺はコーヒーを一口含んでレジュメに目を通した。以前名前を聞いたことのある会社だった。業界内での評判も悪くない。
「先方にも田辺様の経歴書は送っていまして、非常に関心を持たれています」
「興味はあるので、いくつか質問させてもらってもいいですか」
「もちろん」
「業界内でのポジションについて教えてください」
「創業は二〇〇三年。シェアでいうと業界三位で割とニッチですが、技術力に定評があり、一位二位の競合他社にも迫っています。社員数は八十名ほどで、少数精鋭という感じですね。ただ、少数精鋭の組織によくありがちな丸投げスタイルではなく、育成にも力を入れているのも特徴です」佐伯は流れるように言った。
「雇用条件は?」
「契約社員として入社してもらいますが、六か月の試用期間中のパフォーマンス次第で、正社員登用のチャンスがあります。あと、田辺様の場合は経験者なので不要かもしれませんが、先輩社員のメンター制度など、社内のサポートも充実しています」
「選考フローは?」
「一次は実技、二次選考は適性検査と役員面接です。二次の前に条件面談を設定しております。経験とスキルによって給与にはレンジが設けられていますので、詳細についてはその時にお話しますね。今回は緊急案件なので、サインオンボーナスのご用意もあるそうです」
「ちなみに、田辺様の会社に『MBO』はございますか」
「横文字は苦手で…」
「毎年の昇給賞与は半期ごとに設定する個人の目標管理制度(MBO)によって決まります。期初に目標を立て、一か月に一度、上司との1on1で目標の擦り合わせを行います。実際には目標自体の難易度にもよるのですが、自分の頑張りが直に査定に跳ね返ってくるので、ミスマッチの防止や、やりがいにもつながります」
「その『目標』っていうのは、標的ではなく、私自身の目標のことですか」
「おっしゃる通りです」
「ずいぶん進んでいるんですねえ。離職率はどうですか?」
「五年で五割ほどでしょうか。競争が激しい業界ではありますので、どこも人手不足です」
「福利厚生は?」
「備品は事前に申請すれば、現物給として支給されます。住宅補助制度もありますが、利用を希望されますか」
「お願いしたいですね」
「では、あわせて先方にお伝えしておきます。そのほか一次選考に必要な情報は、のちほどメールさせて頂きますね」
ラウンジを出て田辺がエレベーターに乗る間際、佐伯が田辺に聞いた。
「休日や休暇制度については本日ご質問頂きませんでしたが、大丈夫でしょうか」
「最初の仕事が終わったら、ゆっくり考えますよ」
エレベーターのドアが静かに閉じた。
◆
「ぱすっ」「ぱすっ、ぱす」
サイレンサー(消音器)付きの銃のこもった音が響き、男が倒れた。
その日の夜。田辺は指定されたコインロッカーで備品を受け取り、指定された場所で、標的の男の脳天を打ち抜いた。殺し方は指定されていない。自由演技だ。
転職活動も楽じゃないな。田辺は佐伯の携帯番号にコールした。
(了)