虎と私の十三日間
(序)
代官山の蔦屋書店に併設されたスターバックスで、私は窓の外を眺めていた。
虎はフロアを物色して、私の過敏な神経を逆なでできる分野の本のタイトルを探しながら、歩み寄ってきた。絵本から出てきたような、鮮やかな毛並みの虎だった。
「よう。しばらくぶりに外に出れたぜ」
野太く、狡猾な声で虎は私に話しかける。
私は無視する。手元にある本にできるだけ意識を集中させる。労務管理の本を読んでいた。
「なあ。無視するなよ」
虎は私の足にわざとすり寄り、頬の毛を整えた。
「何を読んでるかは聞かないが、その世界で、お前はいちばんになれるのか?」
「知らない。でも懸命にはやってるんだ」
「お前よりも上手に、要領よくできる奴を、たくさん見つけたよ」
虎の眼がぎらりと鋭く光る。虎はわざと言葉を舌の中で転がすように、ゆっくりと言った。
「ちょっと黙っていてくれないか。俺はお前に用はない」
私は両耳にイヤホンを付けて、虎の声が聞こえないように、音楽を聴いた。
虎はにやりと笑って、私の横に横たわり、毛づくろいをはじめた。
その夏、私は過労によりバーンアウトして、当面、仕事を休職していた。ある日突然雷鳴に打たれたように、朝、起き上がれなくなったのだ。
その頃から、虎が私の前に、たびたび現れるようになった。調子が悪くなると、どこからかやってきて、ひとしきり私をこき下ろした。
私はコーヒーを一口飲み、口を潤した。手元のボールペンを握りしめる。今、虎は油断している。その証拠に、両目を閉じ、あくびをしながら眠そうに横たわっている。
私は立ち上がり、虎の脳天にめがけて、思い切りボールペンを突き立てた。
容赦はしない。私が死ぬか、虎が死ぬか。そのどちらかだ。
「きゃあっ! 」
隣の席から女性の悲鳴が聞こえた。
二人組の女性が、がたんとコーヒーテーブルを揺らした。瞳孔が開き、怯えた顔で私を見ている。カップを握りしめた手が震えている。
私は一瞬、何が起こったか分からなかった。彼女たちの目線を追って、自分の足元を見た。
体に電流が走る。
右の太腿に、ボールペンが深く突き刺さっていた。
虎は、いつの間にか、いなくなっていた。
これは、私が虎と過ごした十三日間の物語である。
(つづく)