内面を可視化する
金曜日にnoteを一本書く。
と決めて3週目。
今、土曜日。。。
あーーー!!!!
ということで、毎週金曜日はnoteの日、とスケジューラーに入れてリマインドできるよう設定しました。
静岡県熱海市の会員制ワークスペース”CLUB HUBlic”のオンライン部員になってから、3年以上経過。(だと思う)
毎月、一か月の行動を振り返り、内省するリフレクション講座に参加している。
コルブの経験学習モデルを元に、自身の行動を反省するのでなく”内省”する。
自分の時間をどう使うか、つまりは、自分の人生をどう生きるのか、を考える時間になる。
3年以上も講座を受講して、自覚的に時間の使い方、行動を選択していこう、と瞬間的には思うものの、続かない自分を自分で見て正直うんざりする。
講座でも、「これって毎月自分が言っていることだよなぁ」とか「あれ、堂々巡りだな」と思うことが多々ある。
そして毎月「もう卒業したいんだ!」って宣言することを繰り返している。
一体に何を繰り返しているのか、というと、他者の目線や価値観を基準に仕方ないと言いながら流されていることを繰り返している、と自覚している。
流されると選択するのであれば、まだ良いかもしれないが、何かを回避したいから仕方なく、といった自分以外を理由として行動を選択してしまう。
これって、どんな気持ちや考えが背景にあるんだろうか。
ネガティブな人の評判や評価、見られ方を避けて、自覚的ではない選択を繰り返す背景。
それって、「いやー、自分じゃないんですけど、他の人から色々言われちゃうのでー」といった言い訳が先にたつ選択しているってことか。
これは、責任を他者に負わせている選択に聞こえてくる。
自分で責任を取りたくない、自分の責任だと思いたくない、自分が失敗したと思いたくない、といった気持ちが背景にありそう。
「〜しかないから仕方ない」といった消極的な選択→積極的な選択ができる人を増やしたい。そんなまちにしたいんだ。
なぜなら、積極的な選択を主体的にする人は誰かのせいにしたりはしない。自分で腹をくって生きていく。そうした人は、住んでいる地域の当事者として地域について考え行動すると考えているから。
自分で自覚的に選択する=自己決定。自己決定した人の幸福度は高い、といった研究もあって、自己決定する、しあわせを感じる人が多いまちって、しあわせだよね。
と思っている自分が、消極的選択、他責の選択をしている。
これはいかんぞよ。
言行不一致とは、このことでしょ。
私は言行不一致の場面を見てきては、自分はなるものか、と思っていたつもりだったけれど、自分も同じじゃないか。
どんどん内側に入りすぎて、内省ではなく反省や自分責めになってしまう。
それは本意ではないので、こうしてnoteに書くことで、自分の内側を見える化にトライしている。
言語化する、可視化すると、自分の行動が「なんのコントしてるのか、ウケるー」と遠くから見えるような気がする。
自分を自分で見るのは、渦中にいると難しい。
言語化すると、自分を少し離れたところから見られるように思う。
そうすると、自分にとっては深刻な悩みを少し冷静に見られるように思う。
内側を掘ってみる。穴を掘っていく。でも、掘っていると穴の全体像は見えない。
穴を出て見てみる。
思ったより深かったり、方向性が曲がってしまったり。
穴を掘るって、暗いし心細い。
そんな時、一緒に掘ってくれたり、穴の近くで明かりをつけてくれたり、他の場所で同じような穴を掘っている人と喋ってみたり。
穴を掘るのは自分だ。
でも、仲間がいるって、心強い。
仲間はリアルだけではない。
会える距離にいる仲間や友人がいることが心強い。
さらに、熱海のワークスペースで出会った全国の仲間がいることは心強い。
「グッド・ライフ」という本がある。”よい人生を送る鍵、それはよい人間関係”
幸せとは何かをハーバード大学が研究、まとめた本。
冒頭だけ読んで積読にしてしまった。(ごめんなさい)
良い本、持ってるんだよね。
持っていても、読まないと意味がないじゃんか!
あぁ、これって、持っていても出さないと意味がない。行動しないと意味がない。と同じかも。
1日遅れのnote。
こうやって、内面を可視化していくと、頭と心がクリアになる。
私にとって行動するための、小さな一歩は、内面の可視化なのかも。