
詩集「みみをすます」 #人生を変えた一冊
谷川俊太郎の「みみをすます」。この詩集を読んだから。
なんと続けたらいいのだろう。わたしの人生は変わったのだろうか。
変わったと思う。でも、それは、はたから見てはっきりわかるような形ではなかった。その作品を読んで、だから何かになった、とか、谷川のような詩人になった、とかではない。まったく、ない。
でも、わたしは詩を書くようになった。
そして、人生が少し楽になった。
もっと正確に言うと、わたしは詩を書いた、2年間ほど。
わたしは、若かった時、いろいろなことを、自分に想像したことがある。野心という言葉もはっきり意識していた頃、思い浮かべる自分の可能性は、名前をつけると、いくつでも出た。でも、数多の「なにか」のなかに、詩を書くことはなかった。
好きな詩はあった。詩というジャンルが好きと思ったことはなかったが、いくつかの詩には、感銘を受けた。日本で一度だけ行った、詩の朗読会は、アレン・ギンズバーグのだった。
「みみをすます」を読んだのは、渡米して、そろそろ1年たとうかという頃だった。同じ町に住んでいた、詩人の翻訳家が誘ってくれて、バイリンガル朗読の日本語を受け持つことになった。「みみをすます」。日本語のオリジナルを私が、その人が自分の英訳を、朗読した。練習での読み合わせの時、英訳も原詩も初めて聞いた。
その詩人の英訳では、「みみをすます」は "Perk Up Your Ears" となっていた。のちの実際の朗読会でも、読み合わせて練習しているときでも、"Perk Up Your Ears" のフレーズは、それこそ耳がピンとたつようなリズムがあった。
1行ずつか、段落ごとか、かけあいのように読むか、練習で読んでいるだけで、恍惚とまではいかないが、ぼうっと違う世界に入り込んだような気もちにもなった。朗読会は、いっしょに何度かしたが、聴いている人たちが、途中から、”Perk up your ears” や「みみをすます」のフレーズを、口ずさんでいたのを懐かしく思い出す。
その人から借りた、黄色い表紙の「みみをすます」の詩集。なかの作品を、どれも読んだ、声を出して。
「そのおとこ」という詩。読み始める。
都会の街角に立っている男が浮かんだ。ホームレスとくくられるようなさまの。誰も気にもとめていない、半開きの口で突っ立つ男。その男のことを、谷川は、文字で描く。自分の朗読を聞きながら、たまらない気持ちになってきた。涙が出だした。
そして、ここ。
そのおとこも
あかんぼだった
ははおやのちちをのんだ
・・・
たぶんがっこうで
あいうえおをならった
・・・
読めなくなるほど、わたしは、声をあげて泣いていた。
詩の内容と表す言葉への感動。
そして、こみ上げた思いの純度を濁すかもしれない、自分の事情も入り混じる。
その頃の私は、日本語にふれることが少なかった。今のようにインターネットはなかったし、都会にも、大きな大学のある町にも住んではいなかった。1年くらい離れていただけではあるが、自分になじむ言葉やら文化やらに囲まれていない郷愁もあったろう。
詩の中の男に、少しだけ自分が重なった。枷のように感じていた、育った文化や周りの人間。そういういっさいから離れていた。この先、どうなるかわからない自分。定住所など持たず、流れ者でいたい気持ちも強かった。自由で繊細でというと、聞こえがいいが、小心で、自分のことしか考えられなかった。
そして、きっと、声を出して日本語を読んだから。詩の世界を耳にして、(自分の声ではあるのだが、)わたしは酔ってしまったのかもしれない。
この作品集を読んで何日もしないうちに、わたしは、毎朝のように、なにか、詩のようなものを書きつけるようになった。
言葉が降りてくる、という経験をしたことは、あまりない。でも、詩を書き出してからのわたしは、降ってくることばを、逃げないように書き写す。そんな気持ちだった。
そうして書いた一つが、「おとうさん」という詩だ。
自分の育った世代や環境のなかで、くすぶっていたことが、言葉になった。これを書いて、そして、この詩を朗読して、私が抱えていた、父のムスメでいることでの葛藤が消えてくれた。
この詩が全部ひらがな書きなのも、直接の影響を考えると、さにあらん。でも、書いた当時のわたしには、なぜかはわからなかったし、考えてみたりもしなかった。詩はそういうもの、と、わたしの頭のどこか、たぶん視覚が、かってに決めてくれていたような感じだ。
言葉は降りてこなくなり、まったく詩を書かなくなった。自分の方から言葉をつかまえに行ったのは、20年近くたってからだ。そして、詩を書くことを日常にしたいと思って、ちょうど一年前に、noteに参加しはじめた。
言葉が降りてくる。
長く格闘していたことが、蒸発してなくなる。
そんなことは、もう味わえないのかもしれない。
でも、そんな魔法のような経験ができた。一回でも。
それだけだが。それだけでも。
詩集「みみをすます」。
それを読んで、わたしは詩を書くようになった。
そして、人生が少し楽になった。
どう見えようと。ほかの人に。または、疑い深い日のわたしに。
わたしの人生を変えてくれた一冊。
👂🏼 👂🏼 👂🏼
谷川俊太郎の2013年までの詩集をまとめて、電子書籍版として刊行された、「谷川俊太郎これまでの詩・これからの詩」シリーズ。23巻が「みみをすます」です。
英訳もついていますが、「みみをすます」の巻は、訳者が違うので、わたしの覚えている翻訳とは違い、”I Listen" となっています。(タイトルは “Listening”)
"Perk Up Your Ears" と英訳したハロルド・ライト氏は、このシリーズの24巻になっている、詩集「日々の地図」の翻訳を手がけています。