noteに住まない2月が過ぎて
1月はいぬる。今年の初めの月は、アナグラム詩ばかりを書き、読んでいた。その歌会で、人の作品を選ぶということをした。その後わたしは、ほとんど毎日していた投稿をしなくなり、ほかの人の記事を読みにいかなくなった。ちょっと休憩、という気持ちだった。
2月は逃げる。コメント欄で、励ましや暖かいことばをもらった。でもnote から遠ざかった。投稿をする間隔も、だんだん長くなり、ほかの人の記事を読むことも、まばらになった。何日もたってから記事を読みに行こうとすると、どこから、誰のから、と考えだすと、動けなくなった。どの足を先に動かすのかわからない毛虫のよう。全員のが読めないのなら、まったく読まない方がいいのでは、と思ったりした。タイムラインを遡って全部を読む、というのはあきらめた。前は、ギャップのないように読んでいたのにと、じくじくとした気になった。
毎日投稿をし、noteにハマってると自覚していた頃は、投稿していない日が来るんだろうか、と思うことがあった。いつかは、とも、そうでなかったらいいな、とも思っていた。でも、その日がきた。投稿しなくても、日は過ぎた。そして、投稿しないのが、ならいになった。書いても、仕上げようという気持ちが弱くなった。自分で、新鮮で、ちょっと嫌だったのは、そこ。書かないことが普通になるのは、簡単だなということ。わたしは、詩を書くことを、もっと日常にしたいと思って、noteを始めたのに。
noteに参加する気が薄らいだ理由はいろいろ思いつく。疲れた、余裕がない、仕事が忙しい。でも、いちばん大きいのは、家の修理。こう書いてみると、さもありなんと思うけど、ほとんどの修理が終わる今になるまで、思っていなかった。
風呂場が水漏れしていて、隣接する部屋やクローゼットの一部も被害を受けた。業者が修理に来ている間、その部分は全然使えなかったのだ。
コロナで、大学の寮に住まなくなった上の子も入れ、今、家には、成人サイズが4人いる。授業も仕事も、みな在宅。定位置の仕事場の確保ができないわたし。わたしたちのベッドはダイニングルームに。最初こそ、「大都市でアパート暮らししてるつもりで」、とか言ってみたりはした。でも、思っている以上に、不便度アップが、ストレスになっていたと思う。それで、仕事に、やたらと時間がかかった。集中できなかった。決めごとも、連絡も、ふだん以上に優柔不断になった。
水漏れ被害をなおすのは、時間がかかるのだろうとは思う。でも、乾かす作業を終え、11月の半ばと言われていた修理が、遅れに遅れて、始まったのが、1月末。修理をする人たちが、朝からいて、音を立てる。紙を敷いてではあるが、土足で上がる。浴室タイルが、やっと先週貼り終えられた。蛇口やらシャワーヘッドつけて完成、と思いきや、そういう部品の注文を、忘れていたとかで、待たされている。コロナの時は自分にも他人にも寛容に、と思っているが、半分の前金を、早くに納めているので、正直怒りもわく。
風呂場もクローゼットも、まだ修理は終わっていないが、とりあえず、もとの寝室で寝られるようになった。それが、一週間前。
この一週間、noteの街に、寄りたくなり、楽しめている自分に気がついた。自分のnoteへの関わりや興味が薄らいだのは、そういう理由だったなんて。住まいのストレスのせいが大きかったんだなと思う。もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。でも、今の自分は、その説明で納得しているので、そうしておく。
それにしても、理由はなんであれ、書くことについて、いろいろ考えさせられた。noteを始めてから思っていたほど、書くことは、自分には、そこまで大切なものではないのかもしれないと思ったりもした。わりと簡単に、書かなくなることもできるとも実感した。そういう、思いがけないことを考えさせられたのが、面白かった。今は、そこを掘り下げると、違った意味で書けなくなりそうなので、ここまでで。
ひさしぶりに、note街で、みなさんの記事に寄らせてもらっている。そこまで考えこまずに、投稿しようと思えるようにもなってきた。楽しいな、と思い出すと、読めていない記事を全部読んでからじゃないと、投稿できない、とか思わなくなった。もっと、気楽に楽しもうと思えるようになった。今、前のようなタイムラインの追い方はしていなくて、目につくものを読んでいる。コメントも、しゃかりきにはしていない。前と違った参加をしているが、それでだれかを傷つけたりしていないことを願っている。
3月は去る。そうなる前に、中の住人に、またなりたいなと思う。いっしょによろこびあっていきたい。この街を楽しまれているみなさんを、ご近所さんとして。
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note参加や書くことについて、いくつもの記事を目にしました。そのたび、目を開かされたり、背中を押してもらったりするような気がしました。そういう記事のひとつで、いちばん新しく目にしたものです。わたしとは、立場も状況も考えていたことも、まったく違いますが、 noteで書くということの魅力のありかを、練れた、でも新鮮な言葉で綴られていて、揺さぶられました。
ありがとう、ぼんラジさん。ありがとう、みなさん。